2013年5月29日水曜日

小袖と現在の着物の違い(振袖・留袖)


出雲のお国に代表される遊芸の女性たちは、華やかに装うために、子供の着物には脇が空いて小さな振りがありましたので、その子供の着物にヒントを得て振袖の小袖を着るようになりました。
それが一般にも広がっていって娘の晴れ着は振袖になっていきます。
 振袖は万治頃(1658~1661年)には一尺五寸とありますので、現在の感覚からすれば短いものでした。
その後時代の推移とともに袖丈が長くなり、貞享の頃(1684~1688年)2尺、享保の頃(1716~1736年)には二尺四~五寸(90~95cm)、文化文政期以降は三尺(113cm)くらいの袖丈になります。
 振袖には中振袖と本振袖があります。江戸時代後期には富裕な町人や上級の武家や公家の娘は普段でも振袖を着用していました。その振袖は中振袖です。昔富裕層は花嫁衣裳として振袖を着用していました。そこで礼装用の振袖と通常に着る振袖は区別しており、礼装用は本振袖を着用し、その他は中振を着用していました。
 中振袖は名のごとく袖丈は本振袖よりも袖丈は短いものでした。本振袖と中振袖は本来は袖丈の長さで明確に区別していたのですが、現在は本振袖も中振袖も袖丈は区別がなくなりました。
 富裕な階層の娘たちは普段も振袖を着用していましたが、昔は結婚をすれば留袖仕立てにするのが習わしでした。そういう習わしから振袖はミスの礼装とされています。
 留袖というのは本来は振りのない着物という意味なのです。
画像を見れば振袖以外のモデルは留袖の小袖を着ています。

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