2014年7月31日木曜日

幸せさがし-26

 何が一番楽しいことなのか。
青年海外協力隊というボランティア活動があります。
主に後進国に出向いて自分に備わっている技能を活用させてボランティア活動するのですが、それに対する報酬は微々たるものです。
出向される全ての人がそうであるとは限らないようですが、皆さん活き活きと活動されています。
 その原動力になっているものは、人の役に立てて現地の人たちから喜ばれている、それを感じ取ることが出来るからです。有り難がられているということは、自分の存在が認められ称賛されているということです。これは何よりも心躍る喜楽ですから、生活環境の悪い中でも活き活き、延び延びと活動できるのです。
 私は衣裳担当として芸能界の裏方として働いていたことがあります。
役者だけで生活できている人は少数です。特に名が売れるまでは、必死でアルバイトをしたりと、私の知っている限りは大変な苦労をされています。
その苦しさに耐えて我慢した人だけが残っています。その頑張りにはただただ敬服していました。
なぜそこまで頑張れるのか。人間は自己顕示欲の大変強い動物です。自分の存在を知らしめたいのです。
目立ちたいのです。自分の存在を承認されたいのです。役者と言うのは自己顕示欲を満足させることのできる職業であるからです。
自分の存在が承認されることになれば、どんな手段で得られる喜楽よりも大きく永続性のある喜楽となるから頑張れるのです。

2014年7月30日水曜日

幸せさがし-25

皆様は喜楽に付いて検証されてことがあるでしょうか。
楽しみには刹那的に消滅してしまうものと、心掛け次第では毎日が励みとなり、遣り甲斐、生き甲斐に感じられるものとがあります。
 遊ぶ楽しみは幼い子供でも知っています。遊んでいるときは心が躍ります。
遊んだあとは多少の余韻はのこります。また思い出として少しは残留もしますが、大抵は日時の経過と共に忘れて消滅します。
会食、お洒落、旅行、観劇等々のお金を出せば得られる遊びに付いて考えてみますと、心躍る時間と我慢、辛抱しなければいけない時間を比較しますと、我慢しなければいけない時間の方がはるかに大きいのが遊びの楽しみです。
 それが分らずに、遊びから得られる楽しみが究極の楽しみであると考えている人が沢山います。
また分っていても、仕事が楽しくないのでリフレッシュをしなければ、仕事に差し障りが生じるので、癒しの為に遊びに興じる人もいます。
でも遊びは刹那的ですから同じことの繰り返しになります。遊びにはお金が必要ですから、結果は我慢辛抱の生活に陥ってしまいます。
 仕事が楽しいという人は、私は一番幸せな人だと考えていますので、そういう人は出来るだけその立場を堅持できるように頑張ればよいと思います。また時間とお金を持て余している人は毎日贅沢に遊んでいればいいと思います。
でもどちらにも属さない人が沢山います。そういう方々は、一度しかない貴重な人生ですから、どうすることが、どうなれば一番楽しいことなのか。その検証をしっかりされて、大事に胸に仕舞っておくことをお勧めします。

2014年7月29日火曜日

幸せさがし-24

子供が親離れをするようになって自身を振り返った時に、自身には何の楽しみもないことに気づかされます。
確かに友達と、とりとめのないおしゃべりをしたり、遊びに行ったりすることは楽しいのですが、家族を持てばお金と時間に制約があって自分勝手に、自由奔放に遊ぶ事も出来ません。
またある年齢に達すると遊びから得られる喜楽は刹那的で、そういうものばかりを求める日々は虚しいことも理解できるようになります。
中には友達と飲み食いしながら、おしゃべりをする。また観劇や旅行に行くことは究極の楽しみであるという考えを生涯変えない人も少なくありません。
それはそれで、それが出来る人はそういう生活を続けていけばよいでしょう。
でもそれには家族の絡みや、経済的、時間的な余裕、またそれが出来る真の友人が存在するという条件がもとめられます。条件的にそれが出来ない人が多いのです。それが出来ないのに、遊びが究極の楽しみだと考えている限り、その人は幸せさがしから遠のきます。
 人生において確かな理解をしておかなければいけないこと、理解をしておけば短い人生に必ずプラス効果をもたらせるというものがあります。
 それは喜楽に対する理解です。

2014年7月28日月曜日

幸せさがし-23

私は長年お稽古事に携わってきました。
昔はお稽古事といえば若いお嬢さん方が嫁入り修行の一つとして、お茶、お花、踊り、裁縫とお稽古したものですが、最近は嫁入り修行という概念はなくなり、本当のお金持ちのお嬢さんぐらいしか行っていません。
現在はお金持ちのお嬢さんでも社会経験を積むためにお稽古事よりも就職をする時代になりました。
就職をすればお給料を頂いている限りは義務と責任を背負わなければいけません。
若いから遊びたいでしょうからお稽古事どころではないというのが現実です。
 現在のお稽古事は若い人よりも、熟年層の方が多くなっています。
結婚に憧れていたものが、実際に結婚をしてみるとあっさりと夢や希望が打ち破られます。伴侶に希望を感じなくなって、女から母に情念を燃やして子供の育成に躍起となります。ところが子供は親に甘え、まつわりついて来るのは小学生までです。直ぐに精神的には親から巣立って外に喜楽を求めるようになります。
そういう時期は必ず来ます。そうなって自分自身を振り返ってみると、精神的支柱となるものは何もないのです。
 愛は愛されることよりも、愛することのできる対象者が存在することの方が、本来は大きな喜びなのですが、なかなかそうはおもわれません。一方通行でなく自分も必要とされ、愛されていることを感じ取りたいのです。それが子供の成長と共に感じられなくなっていく。そして子供の養育に没頭してきたために、修行する間もなかったので何の特技も技芸もない。
このままでは、まだまだ先の長い人生が虚しいものになってしまいます。そう思ってお稽古事を始められる人が多いのです。

2014年7月27日日曜日

幸せさがし-22

 子供は確かに可愛い存在です。ですが、中学生くらいなりますと親よりも友達や異性と一緒にいることに喜びを見出して外に目を向け始めます。そして直ぐに親元から育って行き、自分のテリトリーを築きます。
どんな動物も親元から離れて行きます。子供が親から離れて行くのが正常な状態です。
こんな例があります。大阪の人で、女手一つで男の子を育てた。子供は東京の大学に行きたいというから、母親は必至で働いて子供に仕送りをした。子供は卒業して東京の企業に就職し、東京の女性と結婚した。「私は苦労して東京の大学まで行かせたのに騙された」といったご婦人がいました。
自分の生き甲斐、楽しみを全て子供にかけてきた女性の典型です。
生んだ子供は責任がありますから、立派に社会貢献の出来る子供に育てなければいけませんが、子供に親のロマンを背負わせてはいけないのです。
夫にはロマンや希望は持てないからと、子供の養育に没頭する女性も少なくないのですが、子供は親から離れて行くのが正常です。
子供の養育に没頭することは幸せさがしから遠のくといのは、夫のしろ、子供のしろ、他力では駄目ということです。
夫との関係が面白くないから、子供の方に傾いて行きます。でも子供は親から離れていくのです。
それが現実で、それなのに子供の養育を生き甲斐にしていては幸せさがしから遠のいていくのは当たり前の理屈です。

2014年7月26日土曜日

幸せさがし-21

 結婚した当初は好きだった。一緒にいるだけで楽しかったのに、何時からか白けた関係になっていく。
意外と早くにそうなっていくわけですが、男女どちらに原因があるのでしょうか。
女性に聞きますと異口同音に「そりゃ男性や」といいます。色々と夫の事を気づかい食事なども作ります。
そういう時の料理は旨い下手の問題ではなく、心の問題なのです。
例えば、料理が美味しくなくても、「有り難う」の感謝の言葉があればいいのですが、当たり前のように振る舞って全く感謝の気持ちが感じられない。そういうことが原因で秋風が吹き始めると女性達は言うのです。
 男性の立場から見れば、他の面でもっと気遣いをして欲しいという不満が、そこにつながっているということもありますので、一方的に女性の言い分は正解とはいえません。ただ、男は俺が働いているから生活できているという傲慢な気持ちが表面化して嫌味となり、そうなっている事も少なくないことには頷けます。
人間には自己防衛の為に「慣れる」「飽きる」「忘れる」という本能が備わっています。
その本能は恋心にだけは影響を及ぼさないでくれればいいのですが、そんな例外扱いはしてくれません。恋心にも直ぐに迫ってきて影響を及ぼします。
あんなに好きで一緒になったのに、その初心を忘れて、慣れてしまい、そのうちに飽きさせてしまうのです。どんなに好きだからといっても、毎日そればかりを食べていたら飽きるのと同じです。
 その結果、別れて行ってしまう夫婦。飽きても別に嫌いになるわけではないので、旨く調整して続けて行く夫婦。できれば別れてしまいたいけれども、子供のことを考えて我慢する夫婦と、ザックリですが三つのタイプに分類されます。
 こういう流れの中で、女性は子供の育成に心の拠り所を見出して、育児に没頭して行く女性も多数いるのです。
子供は自分の分身ですから可愛いです。私も親の一人ですから、子供の可愛さは理解していますが、子供の養育に心の拠り所を見出す選択は消極的選択で、幸せさがしから遠のいていきます。

2014年7月25日金曜日

幸せさがし-20

結婚をするまでは女性も結構稼いでいたのが、子供ができたことによって専業主婦になります。優秀な女性が多いのに勿体ないことです。宝物を捨てているようなものです。
 専業主婦になったことによって亭主関白になる男がいます。専業主婦になってからというよりも、本来はそういう性格が表出してきたということでしょうか。
「俺が稼いでいるから生活が出来ている」「家にいるお前は家事、育児を確りとやるのは当たり前、俺は疲れているから子守の面倒まだ押し付けるな」と怒ります。それで嫌な顔をしますと、「それなら俺が家にいて主夫するから、お前が働いて俺と同等に稼いで来い」と怒ります。悔しいけどそんなこと出来る筈がありません。悔しいけど耐える以外にありません。
好きで一緒になった二人、今は恋ごころも薄れ、ときめきもなくなった。だけど顔を見るのもいやと言うほどではないから夫に合わせて頑張っている女性がいます。
それとは対象に、本心をさらけ出してもいいのなら、「今すぐにでも別れたい」、だけど子供のこと考えればそんな軽挙なことはできない。子供が大きくなるまで我慢をする。
そういう女性も少なくないのです。知らぬは亭主ばかりです。
旦那が若くて稼ぎが少ないから。その他の理由で主人の稼ぎを補うためにパートに出ている女性は沢山います。
女性は仕事を終わってから帰りに買い物をして、疲れていても食事の支度をしなければいけません。
それは女性の役割で、それが当たり前のように思っている男性はいます。
毎日の食事の支度は大変です。それでも女性の役割と思っている男性は食事をしても「美味しかった、何時も有り難う」の一言もない。そんな男性を毎日見ていると、次第に男にロマンを感じなくなり、心の拠り所は子供だけになり、女性は子供の養育に一生懸命になっていきます。

2014年7月24日木曜日

幸せさがし-19

夫婦が仲良く、初心忘れずの気持ちで、生涯仲良く生活していければお金は食べて行くに困らないだけあれば楽しい人生が送れます。
ところが人間は欲深いものですから、様々な欲求が募っていき、その欲求が実現されないことがいら立ちとなり、愚痴になり、満たされないことの原因が連れ合いに起因していると思うようになり、連れ合いを非難する様になります。
恋心が消滅していなかったときは、相手のために役立ちたい、何かしてあげたいという労りや、心遣いがあったのに、時間の経過と共にそういう感情は薄れて来て、自分の為にもっと気遣って欲しいと相手に求めることが多くなっていきます。
夫婦は年月の経過とともに、よりお互いを知って益々好きになっていけばいいのですが、飽きて、慣れて、次第に好きでなくなっていくケースがおおいのです。
そうなってくると、女性は妻であることよりも、もっぱら母親役に徹して行くようになります。
女性の多くは主人よりも子供重視の方向に進んでいきます。
勤めに出ている男性は、育児の大変さが分っていない人が多いのです。だから男の仕事と比較すれば、育児、家事は簡単で楽なものだと軽視しています。軽視する結果として、俺は外で苦労して稼いでいるから生活が成り立っている。だから育児ぐらいしっかりしろと、心の中で思っている男性が少なくありません。それが夫婦間に隙間風が吹き抜ける要因の一つとなります。秋風が吹き始めると男は仕事にかこつけ外に目を向けるようになり。母親は益々子供の育児に没頭していくようになります。

2014年7月23日水曜日

一週間ぶりのブログ更新です

引っ越してから初めて夜にお酒を呑みに出かけました。
京阪香里の駅周辺には呑める所が沢山あります。以前から「出かけたいね」と話をしていたのですがやっと実現しました。
花とお寺巡りが好きですからよく出かるのですが、夜にお酒を呑みに出かけるのは始めてです。
 写真を載せましたがサーロインステーキとご飯と生ビールが付いて1600円です。安いのでそこに決めました。イケメンの男性二人で行っている店です。先ずは生ビールで乾杯です。久しぶりに外で妻と呑むビールは最高です。お肉も美味しかったです。お肉はグラムが少ないので少し物足りないので、串カツ4本入りセット(牛肉、エビ、豚、鳥)と常連のお客さんであろう人が出汁し巻きを注文されていたのです。普通の出汁し巻きとは違うような気がしましたので私たちも注文しました。
卵を割った時に見せてくれました。卵の黄身が白いのです。この卵はお米で育てている卵だから黄身も白いのですと教えてくれました。
これも美味しかったです。二人とも大満足です。
 ご機嫌で帰って来ました。歳ですね帰りますと歯磨きをしてすぐにバタンキューです。
暑かったので扇風機の風を当ててくれたのですが、それがいけなったのです。
呑んで大口を開けて寝ていたからなのでしょう。扁桃腺が強く炎症して39.6度の高熱です。
常温が低い体質ですから朦朧としていました。やっと熱が低くなりますとつぎは歯痛です。
抜くはめになりました。歳を取ると次から次と身体が支障をきたしガタガタです。
 やっと歯痛も収まり今日からブログ再会です。またご訪問くださることをお待ちしています。

2014年7月17日木曜日

幸せさがし-18

「親子は一世、夫婦は二世」と昔から言われています。
どちらかが倒れて面倒を見て貰わなければいけない状態になった時は、子どもにはそれぞれに家庭がありますので連れ合いしかいないのです。
人生で一番絆が強いのは夫婦ですから、何十年経っても甘え合い、労わり合い、心遣いの出来る仲であることが理想です。そうであればお金は食べて行くに困らないだけあれば、それだけで楽しく生活していくことがでます。
だけど、人間というものは自己顕示欲の強い動物です。長年の自己主張の応戦で何時からか、お互いが少し疎ましく感じるようになり、妥協と惰性の生活に陥っている夫婦が殆どです。
夫婦仲に妥協と惰性の生活がはじまりますと、家族愛によって喜楽を得ることは難しくなります。
女性は、その虚しさを子供の育成に方向転換させて、気持ちの張り合いを維持して行こうとします。
子供は自分の分身ですから可愛いですし、責任もあります。
子供は鎹(かすがい)と言われています。子供を鎹にして、夫婦仲を上手に修正して生活している夫婦もいますが、大抵は子供の世話でくたくたになって、夫婦間の歪を修正することを忘れて、子供の育成に没頭している母親が多いのです。
そうしますと、男は家では寛げない、癒される場ではないので、外に目が向くようになります。次第に帰宅が遅くなります。妻の方も子供の育児は結構重労働ですから、夫の帰宅が遅くなったりしても「亭主は留守で元気がよい」と言われているように、帰宅が遅くなったり、出張してくれている方が息抜きできて気楽という気持ちを持つようになっていきます。
こうなりますと既に家庭環境によって喜楽を得られる状態ではなくなっています。当然のことながら外に喜楽を求めます。外に目を向けると何をするのもお金が必要ですから、心よりお金という気持ちになってしまいます。

2014年7月16日水曜日

幸せさがし-17

お金はないよりもあった方がよいのは当然ですが、財産が沢山あるからといって必ずその人の人生は幸せであるとは限りません。
お金持ちで外から見れば幸せそうに見える家庭でも、夫婦関係が壊れている。親子関係が壊れていて毎日鬱々として暮らしている人も少なくありません。
一般的には経済的にゆとりがある家庭の方が、家庭環境は良好に推移している確率は確かに高いのですが、食べて行くに困らないだけのお金があれば、心掛け次第ではそれ以上に幸せに生きて行くことは可能です。
言葉では簡単に可能なんて言えますが、学生時代から将来を見据えて確り勉強をする。そして目標としていた職業に就いて、楽しく仕事が出来るようになること以上の難しさが伴います。
食べるに困らないだけのお金があれば、幸せに暮らせる術はあります。それには心の在り方です。
お金は心の潤いの為に使うものですから、お金より大切なのは心です。 
普通は結婚して家族を設けて共同生活をします。自分だけが穏やかに、心遣いが細やかであったとしても、家族全員が同じ気持ちで支え合い、助け合わなければ楽しい家庭はつくれません。
そういう理想的な家庭をつくることは本当に難しいのです。
これは若い人には理解のできないことですが、結婚をして10年も経てば、連れ合いと一緒にいることが一番楽しいという夫婦を未だに見たことがありません。別に嫌いになるということではないのですが、100%に近い確率で一緒にいても心がときめかない、楽しいと思わなくなります。
それが現実である中で、家庭環境において喜楽を得ることの方が難しくなります。

2014年7月15日火曜日

幸せさがし-16

現状は様々な要因が絡んで出来上がっています。
家庭環境といいましたも、例えば経済的に豊かであったか、普通か、それとも貧乏なのか。親の人生観はどうだったのか。親の社会的地位はどうだったか。両親の夫婦仲は良好だったか。学生時代に勉強が好きだったか。友達関係はどうだったか。様々な要因が絡み合って現状が構築されています。
その結果として、仕事が楽しいという現況の人は、既に永続性のある喜楽を得ていますのでそれでいいのです。問題なのは仕事が楽しくないという人達です。
仕事が楽しくないという人ほどストレスが溜まって癒しが必要になります。その癒しにはお金が必要です。使えるお金には限りがあるのが一般的ですから、癒しをお金に依存していればかえって面白くない日々が続きます。
仕事が楽しくないという人のところには、お金は多く流れませんので、そういう人が遊びで楽しみを満たそうとすることは無理な事で、かえって惨めな思いをするだけです。
そういう人は救いようがないのかといえば、そんなことはありません。生きて行くためには食べなければいけません。食べるためにはお金は必要です。その食べて行けるだけのお金があれば、考え方次第、心がけ次第で幾らでも永続性のある喜楽を得ることが出来ます。
人間は法の下に平等ではありますが、人生はスタートのところからハンディーを背負っています。
その結果として仕事が楽しくないという職にしか就けていない人も少なくありません。運命はある意味で酷ですが、神様は心の持ち方で一様に幸せになれるように人間を作ってくれていますので、その事に思いをはせる心のゆとりが必要です。


2014年7月14日月曜日

幸せさがし-15

 私は極貧の家庭に育って、食べるために仕事をしなければいけないことの面白なさを知っています。
また幸いにも仕事を通して得られる喜楽の大きさも知ることが出来ました。
お金は使うことで得られる喜楽よりも、稼ぐことによって得られる苦楽の方が大きく、また永続性のある喜楽がえられます。
 医者になる、法律家になる、学者になるというような具体的な目標がなければ、お金を人並み以上に稼げる人になることも立派な目標です。
人は何に取り組んでも真面目でなければいけません。真面目は基本ですが真面目だけでは人並以上に稼げる人にはなれません。前向きにエネルギッシュに、そして創造と創作性を働かせて人並以上に働かなければお金は沢山稼げません。
大変な苦難が伴いますが、それで逃げ出さないで頑張って先が見通せるようになりますと、苦難が心地よい喜びにかわってくるのです。そうなれば益々仕事に弾みがつき、金銭面だけでなく精神的にも大きく成長し、自身の成長が自覚できるようになり、喜びになって行きます。
仕事が楽しいからよく働く、働けば自ずとお金が集まってくるのは自然の法則です。
 健常者の全ての人は働かなければいけません。それが社会人としての義務であり使命です。
同じ働かなければいけないのであれば、働き甲斐のある、そして生涯年収が多い方がよいのは当たり前のことです。
生涯年収を少しでも多く稼ぐにはどうすればよいかということを、学生時代から確りと考えて置くことは大切です。
道は幾らでもあります。どんな道を歩んでも忘れてならないことは、我慢、辛抱のできる根性、前向きな気持ち、集中力、これさえあればどんな道でも必ず人並み以上に稼げるようになります。
そういう観点から子供の育成を見れば、今の親はそれを壊してしまっている育て方をしている人が多いですね。

2014年7月13日日曜日

遠き昭和の・・・

「遠き昭和の・・・」これは作詞 高田ひろお 作曲 杉本真人 唄は小林旭が唄っている曲のタイトルです。
戦時中生まれで戦後育ちの私には懐かしい詩が描かれている素晴らしい歌です。


あいつとあの娘は今はどうしているか。
みんな貧しかったが、そんな惨めさは微塵もない。
気骨を持って前に進んでいた。
街の景色はまだダークだが心は希望に輝いていた。
まだ人情も熱かった。
友達も一緒に泣いて怒ってくれた。
喧嘩もしたし、やんちゃもした。恋もしたし振られもした。
戦前を知らない戦後育ちには胸がキューンとなる昭和の懐かしさだ。
時には歌でも聞いて昭和を思い浮かべて下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=mD75z6ynPm8 遠き昭和の・・・

2014年7月12日土曜日

幸せさがし-14

仕事が楽しい生き甲斐だという人がいます。そういう人は既に仕事で永続性のある喜楽を手に入れています。そういう人はここに記していることは分っていますので読む必要はありません。もし読んだとすれば「そうだ」「その通りだと」言われると思います。
ただ、仕事は楽しいという人は少数派です。大方の人は食べるために仕方なく働いています。
遣り甲斐のない仕事は楽しくないのです。楽しくないけれども生きて行くためには仕事をしなければいけませんので我慢や辛抱をして頑張っています。
そういう人達は仕事によってストレスを溜めています。溜まったストレスは決して解消しきれませんが、少しでも少なくしなければ辛いので、例えば飲んだり、食べたり、お洒落をしたり、旅行をしたりして、また人間関係を良好にするために気遣ったりというように、リフレッシュすることに精を出しています。
心が萎んでしまわないように、気持ちをつないで、つないで自分のため家族の為に頑張っています。
定年を迎えるまで頑張りとおして、定年後も暫くは頑張られる方が多いのです。本当に強いです。自分は大企業に入社しましたが、面白くないので直ぐにやめました。頑張り通すことは本当に立派ですが、幸せさがしからは少し外れた生き方です。
人生は喜怒哀楽の繰り返しですが、怒哀と喜楽を比較したときに、喜楽の方がはるかに多い生き方をする。それが幸せさがしの主題です。

2014年7月11日金曜日

幸せさがし-13

 動物たちをみていますと、彼らの一番大切なことは餌を確保することのようです。
人間は少しでも楽をするために、また確実に餌にありつけるために蓄えるという知恵を働かせます。
それが知恵のある動物と、一般の動物との違いですが、働くことが一番大切だという点では同じです。
 全ての人は働かなければいけないのですが、働くことは食べるためだけのものではありません。
仕事を通して、様々な事柄から喜怒哀楽を感じ取れる貴重な人生経験の場です。勿論辛いこともあるでしょうが、その辛さがあるから精神も鍛えられ大きく成長して行きます。
大人は成人と言われています。精神的にも肉体的にも立派に成長している人と言うことではないでしょうか。成人になるには仕事は欠くことのできない鍛錬の場で、仕事が無ければ成人になり切れないとおもいます。
人間は仕事をすることが一番の使命であり、その仕事に弾みをつけるために寝る事と遊ぶ事があるのです。遊ぶことから得られる喜楽は刹那的です。刹那的な喜楽ばかりを求めていたのでは、お金は幾らあっても足りません。幸せさがしにとって、最も大切なのは永続性のある喜楽を有するということです。永続性のある喜楽は仕事の中に多く存在しています。これは経験のある人にしかわからないのが、人生論を理解することの難しさです。

2014年7月10日木曜日

幸せさがし-12

健常者の全てが働かなければいけません。同じ仕事をしなければいけないのであれば、楽しんで働きたいものです。
私は仕事が楽しい生き甲斐だという人が一番幸せな人だと思っています。
人生は喜怒哀楽の繰り返しであり、日々の生活は「寝ること」「遊ぶ事」「仕事すること」のサイクルで成り立っています。
そのサイクルの中で稼ぎにつながるのは「仕事」です。寝て、遊ぶだけでは生きていけません。健康な状態で寝て、遊ぶためにも食べなければいけません。そのためには仕事をしなければいけないのは当たり前のことです。
 そう考えれば三つの中で仕事をすることは一番大切です。
レクリエーション(リクリエーション)という言葉があります。リ=戻る、クリエーション=創造、創作ですから、レクリエーションは創造、創作活動に戻る、即ち仕事の合間に遊んで身体と心をリフレッシュさせて仕事に戻るのがレクリエーションなのです。
三つのサイクルの中で一番大切なのは仕事をすることで、その仕事に弾みをつけるために眠ることと遊びがある。本来の人間の日常はそういう行為の繰り返しを行う動物として神様は作られていると思います。
時代がどうのこうの、云々ということに関係なく永久的にこのことの繰り返しなのです。
これが人間の生態だと思います。

2014年7月9日水曜日

幸せさがし-11

 稼がなければ生きて行けない。稼ぐためには仕事をしなければいけません。
学校を出て社会人になれば、全ての人は自立して自分で稼いで食べて行かなければいけないのです。
先日、日本カモシカの生態をNHKで放映していました。子供が自分で餌を探して食べるようになれば、親はこどもを追い回して親の縄張りから外に追い出して自立させます。
親は自立するまで支えるのが使命です。自分で働けるようになれば、動物と同じで早々に完全自立させなければいけません。ところが豊かになって親に経済的ゆとりがあるものですから、何時までも側においてお節介をしたがる親が増えています。子供は親に面倒見てもらっている方が楽ですから、自立しない、出来ない子供も増えています。こういう現象は恥ずかしいことです。
 何故ならば、私たちは不特定多数の人たちに支えられて生きています。社会から受けた恩恵は、貢献度に差異はあっても働いて返さなければいけません。親が十分に返しているという問題ではないのです。それが共存させて頂いている我々個々の義務です。
 借りを返さなくても「返せ」と借金取りは来ませんが、それが義務だという考え方が出来て初めて大人と言えるのではないでしょうか。
でも二十歳そこそこの若者では、そういう人生哲学が理解できる若者が少ないでしょう。
それを、親や学校の先生が教えてあげるのが役割だと思っています。

2014年7月8日火曜日

嘘泣きの号泣県議員

 今お騒がせの号泣議員が連日テレビで取り上げられています。
テレビで見ていても顔を背けたくなる馬鹿馬鹿しさです。
ただ「阿保な奴や」で済まされないのは、政務調査費の使い道です。
あの号泣議員は恐らく不正な請求をしているでしょう。
その事実を証明する事柄が幾通りか出ています。
号泣議員がそういう使い方をしているということは、おそらく他の議員もしているからだと想像できます。他の議員もやっていることだから自分も同じようにした。ただ号泣議員は規約に則った事務処理報告がずさんであった。注意を怠ったということではないかと思っています。
恐らく県民の多くは号泣議員だけでなく、多くの議員も同じようなことをやっていると思っています。
法律に則って納めた貴重な税金を、違反すれすれのずさんな使い方をしても、それを容認している。そのことに怒りを覚えます。
号泣議員は、議員という大きなくくりの中での政務費の問題などは些細のことなのだと、号泣議員はほざいていました。
議員はそんなに偉いのか。議員全体が自分たちは特権階級であるとふんぞり返っている姿が窺えます。
この号泣議員は武庫川団地の3号棟に済んでいるそうで、私は去年の11月まで18号棟に住んでいました。団地内では団地の恥さらしだと怒っている人も多いように聞いています。

2014年7月7日月曜日

幸せさがし-10

 生きて行くにはお金は必要です。
お金があれば何でも買える。恋愛関係も優位となるし、お金はいくらあっても邪魔にならない。
正直お金は欲しいです。今更自分はこの年になって贅沢したいとは思いませんが、お金があれば妻や子供たちにもっと贅沢な生活をさせてあげることが出来ます。
みんなそう思って宝くじを買い、ギャンブルに手をだします。
 お金はあった方が良いのは当然です。でもお金は自分で稼がなければいけません。
稼ぐという字は、禾編で禾(か)は稲の意です。日本は農耕民族ですから、家の者が全員で協力して農作業に励めば稼げて家は栄えるということなのでしょう。
 働き方は様々ですが、生きて行くにはお金を稼がなければいけません。平成24年度のサラリーマンの平均年収は408万円です。その程度の年収で、お金を使って得られる喜楽に頼って幸せを掴み取ることができるでしょうか。無理ですね。
お金を使って得られる喜楽は刹那的です。刹那的でもそれがあるから慰めになり、励みにもなることは確かでしょうが、慰めばかりに終始していては精神的に、また生活環境面でも現状通りのままにおわってしまいます。

2014年7月6日日曜日

幸せさがし-9

最近は中学生や高校生が、お金欲しさにいかがわしい仕事に手を染めるという話はよくあります。
お金さえあれば楽しいことが何でも手に入ると考えていることの証です。
そういう子供たちに親はどう説教するのでしょうか。
「人生はお金だけではないのよ」と言うのでしょうか。お金が全てだと思っている子供に、幸せはお金だけでないと言って説得力があるでしょうか。
子供は親によって性格や人格が作られます。親たちのお金に執着した姿を見せつけられて、子供たちは育ってきます。もしそういう子供に「人生はお金だけでない」と言っても効き目はないでしょう。
お金が潤沢にあれば本当に幸せな生活が出来るのであれば、法律に抵触しない限り、学生であってもお金に執着して、お金儲けに走っても悪行であるとはいえません。
お金に執着しても僅かな金額しか手にすることは出来ない。そんなことで学業を疎かにしてはいけない。
まして将来の有る身でありながら、僅かな金額で身体や心に傷がつくような行為は愚かであると、大人はそう思っているから諌めるのです。
子供達の行為を諌めるそういう時の大人達は、人生はお金ではないということが分っているのです。
でも、どう生きて行くことがベターでありベストなのか、そのことを明確に論理的に子供たちに伝授するだけの説得力に欠ける大人が多いのです。

2014年7月5日土曜日

幸せさがし-8

きもの学院を運営している時に、人生は幸せさがしである。幸せを掴むにはこうあるべきだという、私なりの考えがありました。折角お稽古に来ても簡単に辞めて行かれる人が多いのです。
そういう取り組みは幸せさがしにマイナスになりますので、やろうと決めたことは遣り通すことが大切である。何故大切であるかということを、理解してもらうためにお金を使うだけでは大きな喜楽は得られないという話をよくしました。
そうすると、喜楽を得る手段がその他にあるのか。私には分らない、教えて下さいと言う人がいました。
着付を習いに来て人生論をぶたれると、着付と何が関係あるのかと、心の中でそっぽを向いてしまう人、また分っていなくても、分っているようにお澄ましをして聴いている人が多い中で、率直に自分の気持ちを言える人は素晴らしい人です。
そうです、お金と喜楽との関係は理解されているようで、実は分らないという人が多いのです。
誰も教えてくれませんし、お金を使って得られる喜楽よりも、より楽しく生き甲斐だという事実を実感していない人には理解できないのです。これは理屈でなく経験をした人でないと理解できないという難問題なのです。
この難問題を解けない人が多い、当然のことながらお金に執着します。どうにもならないお金に執着し、お金で得られる喜楽ばかりにこだわっているから苦を背負ってしまいます。
 

2014年7月4日金曜日

幸せさがし-7

お金は誰もが潤沢に稼げない。そしてお金を使えば簡単に得られる喜楽は刹那的です。
お金に執着しても喜楽に包まれた日々を過ごすことは難しいのは確かです。

多くの人が勘違いしている事があります。それは喜楽と癒しは違うということです。

例えば、心理状態に基準値があると仮定します。

癒しは基準値から下がらないために、また下がった気持ちを元に戻すのが癒しではないでしょうか。

喜楽は心の躍動です。それは基準値よりも心が高まる状態です

高尚な感情の高まりを感じますと、「よしまた明日から頑張るぞ」という善なる気持ちが湧出してきます。「よし頑張るぞ」と前向きに実践すれば、必ず自身も生活も向上します。

喜楽の多い生活は精神的面だけでなく、生活環境の向上にもむすびつきますので、日々楽しく暮らすということは大切です。 

頑張っていれば心身共に疲れて来ます。そういう場合の癒しは必要であり大切です。でも頑張りもなしに癒しばかりの生活に終始していては、幸せな生活にならないことを知ることが大切です。

 消費することによって得られる喜楽は刹那的であり、誰もが潤沢にお金を稼げることもないので、お金を使うことで充実した日々を過ごすことは無理という理解は重要です。


2014年7月3日木曜日

幸せさがし-6

 お金さえあれば様々な喜楽に繋がる手段を選択し、実行することができます。
喜楽というものは心の躍動です。心が躍動すれば充実感や幸せ感を感じ、生きていることの喜びとなります。
同じ生きて行くのであれば、心の躍動を感じながら生きたい。躍動は喜楽によってもたらされますので、簡単に喜楽につながるお金に執着するのです。
 考えてみてください。
お金を使って得られる喜楽は様々にあり。個々に感じる躍動にも差異はありますが、旅行は共通して楽しみにつながる最たるものだと思います。
その旅行ですが、遣り繰り算段して行くのが普通です。一度行けば次の機会までは我慢、辛抱して働かなければいけません。旅行に行って躍動した心は、思い出としては残りますが、直ぐに波打たなくなって平常に戻ります。刹那的であるということはそういうことです。
お金で得られる心の躍動は直ぐに消滅し、次の躍動感を得られるまでは我慢、辛抱することを強いられるというのが一般的です。
我慢、辛抱の日々は怒哀につながります。怒哀と喜楽の日々を比較すれば、怒哀の方がはるかに多い日々を過ごすことになります。そんなこと考えてもどうにもならない。だから酒で心の濁りを清めている人も少なくないでしょう。

2014年7月2日水曜日

幸せさがし-5

きもの学院を運営している時に、「皆さんは貴重な時間とお金を費やしてお稽古に来られています。
着付のお稽古に限らず、全てのお稽古事は同じですが、何のためのお稽古されるのですか」と聞きました。
 そうすると着付の場合は、「親に作ってもらった着物がタンスの肥やしになっている、その着物を自分で着れるようになりたいと思って来ました」、そう答えられる方が最も多かったです。
そうなんです。少し答えが異なったとしても全員が自分で着れるようになりたいと希望して来ています。
 「それでは何故自分で着れるようになりたいのか」、着れるようになることの根本目的は「どういうことだと思いますか」と質問を重ねますと、皆さん答えに詰まってしまいます。
 人生は喜怒哀楽の繰り返しです。喜楽が多ければ幸せに感じますので、着付けという手段によって喜楽を増幅させたいのです。
お稽古をすることの終極の目的は喜楽を得たい。楽しみを増やしたい。充実した日々につなげたいと希望されているからです。
普通はそこまで考えてお稽古される人がいません。何となくお金を使って喜楽につなげたいと行動を起こします。それが普通でその事の良否までは問いませんが、それで大切な時間とお金を浪費させてしまっていることが多いのです。どういうことか。終極の目的に付いての認識が明確であるか否かで取り組み方、持続性に差異が生じてきます。

2014年7月1日火曜日

幸せさがし-4

一度しかない人生ですから贅沢もしてみたい。誰もが単純にそう思います。
それは当然の心理ですが、お金に関しては運命的なものがあります。
一般的に貧しい家に生まれれば、その境遇から這い上がって、人並み以上に稼げる人になるには至難のことです。
お金を人並以上に稼げるようになるには、起業をし成功する。技芸を磨いて活躍する。
医師や法律家など特別なライセンスを取得して活躍する、学者や研究者になるというように目標は明確です。
でもそれを目指すにはお金が掛かります。その課題は簡単に解決しません。
また人は生活環境や親の影響を大きく受けて作られていきますので、知能、身体能力という大きな課題が生じます。
運命によって授けられたものが各自に備わっています。
そういう運命的なものを突き破って、人並以上にお金を稼げる人になることは奇跡的といえるくらいに難しいことです。
でもその難しさをバネにして頑張って成功した人も沢山います。
お金に執着するのであれば、前向きに我武者羅に頑張るしかないのです。頑張っても必ず成功するとは限らない。それが人生であるという理解が必要です。
でも若い時はそこまで考えません。考えが及べばもっと頑張れるかもしれません。