2013年5月31日金曜日

小袖と現在の着物の違い(身幅)

高台院(ねね)の小袖

 安土桃山時代以前は公家文化の継承といえます。
公家の表着(うわぎ)は男女共に大袖です。反物の幅はその大袖に合わせて織られていましたので、幅は現在よりも広かったのです。
反物の幅は元禄期になって現在と同じ幅になります。現在の幅は36cmですが、元禄期以前の幅は42cmありました。現在は前幅は6寸(23cm)で衽幅は14cmですが、元禄以前は前幅38cm衽幅25cmくらいありました。
能装束の着装をみますと、上前の立て褄がお尻のほうまで回り、褄先が大きき跳ね上がった着装をしています。あれは身幅が広くて対丈ですからそういう着装になってしまうのです。元禄期くらいから身幅が現在と同じになるのですが、何故そうなったのかに興味が湧きます。
 学者は明確が資料がない限りはそういうことには触れませんが、私は学者ではありませんので、想像を巡らせてみます。
 出雲のお国歌舞伎に代表されるように、当初は歌舞伎も女性が主役を演じていてのですが、風紀上の理由で歌舞伎は男歌舞伎だけになります。
女形役は女性らしい、しなやかさを演出するために、体に添わせて体の線を強調する着装をします。そういう着装をするには身幅が狭くなければできませ。歌舞伎がの影響によって反物の幅が狭くなったものだと私は思っています。
 身幅が広いときには前がはだけることがありませんので、坐るときは胡坐か立膝でしたが、身幅が狭くなってからは正座するように変わります。
所作は大陸文化の継承のままでしたが、これも女形が立膝や胡坐では女らしさがでないので、歌舞伎が大きく影響しているのではないでしょうか。

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