2014年4月30日水曜日

子供の学校の成績-32

昔と比べれば豊かになっていますので、例えば工員さんや職人の子供が、親が頑張って、今の時代ですから大学に行けて、その結果として事務職に就いたという例は沢山あります。でもその程度では「子供は親の尺度を越えた」ということにはならないでしょう。人の値打ちは社会貢献度によって語られるからです。
有名企業の事務職になっても給料が35万円で、親父が職人で40万円稼いでくれば、越えたことにはなりません。世間体がいいというだけのことです。
 「子供は親の尺度しか育たない」正にその通りで、親を越えれているか否かを見渡してみますと、親を越えれている子供の方がはるかに少ないと思います。
目標があれば大半の人は目標の手前までにしか達しない。それが通例ですから、親を越えることは難しいのです。
 子供は可愛い存在ですから、子供にだけはという親心は分りますが、親が変わらなくて子供だけが変わるわけがありません。
 親が変われれば親自身も少しは精神的には楽になるのですが、それは子供を育成するよりも難しいでしょう。
自己顕示欲が強く欲も深い、それが人間の性ですから、そんな性を有していて簡単に変われるわけがないのです。
そう考えると子供の成績に付いてヤキモキしても仕方がないようにおもいます。
熟の先生が自主性をもたせる術はないということはそういうことでしょう。
熟の先生はやる気のある子供はドンドン伸ばしてやれるノウハウをもっていますが、自主性を持たせることまでは塾の先生の責任範疇ではないのです。

2014年4月29日火曜日

子供の学校の成績-31

子供は親の背中を見て育つ、だから「親の尺度しか育たない」今も昔も不変の事実なのです。
 子供を成績の良い子に育てるには、お母さんがせっせとパートに出て塾通いをさせても、熟は幾らかの滑り止めになっても、子供が自主的に目標を持って取り組まない限りは大きく上昇はしません。
 子供の自主性には親がキーポイントになりますが、親も日頃頑張っていますので息抜きがしたい、親父は家ではだらしなくゴロゴロと寛いでいたい。そうすると嫁からは疎まれて、時には険悪になってしまう。
夫婦というものは、時が経つと慣れて、飽きて、最初の熱い気持ちを忘れて、労りや思い遣りや感謝する気持ちが薄れてギクシャクしてきます。そんな親を見ていて、子供は親は尊敬できなくなるでしょう。そんな親から説教されたくないと思うのは当然です。それが一般家庭の様子ではないでしょうか。
 子供の成績はそういう大人の世界に関係しているので難しいです。有名熟のカリスマ先生でも自主性を促す術はないと言っています。おっしゃっていることは当然だと思います。親が変わることなく、子供だけを良い方向に変えたいと思うことは道理に反したことなのです。無理なのです。無理とは理屈に則っていないということです。
 今の世は大人達のモラルが薄れてきています。それに伴って子供も大人を敬う気持ちが希薄になっています。孫たちのことを考えればどうなるのか心配です。

2014年4月28日月曜日

子供の学校の成績-30

子供も中・高校生くらいになりますと、親以外の第三者から大きな影響を受けて、自ら将来を見据えて学問に勤しむという場合があります。それはほんの一部であって、大半は「子供は親の鏡」「子供は親の尺度しか育たない」と言われている通りに育ちます。
 親に大きく影響を受けるのですが、その親も普通の人で、自己顕示欲も強く、物欲も強く、自らも快楽を求めているのが普通です。大人だからといって子供の手本になるような立派な生き方をしているわけではありません。私などはその典型です。
 また大人だからといって、前記したサイクルの中で、仕事をする事というものの中に、大きな喜楽が存在する。存在するというよりも、そこにしか永続性のある喜楽は存在しないのだ、という社会の法則を把握できていない親も少なくありません。大人の中には、楽しみは遊びの中にしか存在しない。他にあるのですかという人もいるのが現実です。
 説教をしても、それが子供の心に通じるとは限りません。しかし子供の為にしないよりはしてやった方が良いのは当然です。でも親自身が分っていない人も少なくないとうのが現実です。子供の学校の成績はそこに大きく関わっていますので難しい問題です。

2014年4月27日日曜日

子供の学校の成績-29

 人生は上図のように眠ること、仕事すること、遊ぶ事のサイクルで成り立っています。
端的に言えば、眠ることは健康のため。遊ぶ事は心のため。仕事することは食べて行くためです。
健康でなければ何をやっても楽しめないので、健康は無条件で大切ですが、喜楽を得るという観点から外しておきます。
残るのは遊ぶことA、仕事することBです。これは簡単な算数です。Aは無条件で楽しいから楽しみが1つ存在します。そこに仕事をすることが楽しく1が成立すれば1+1=2になり喜楽が膨らみます。
 Aから得る喜楽は刹那的であり、お金で買わなければいけません。大抵は遣り繰りして使っているのが現実ですから、辛抱、我慢を強いられストレスに繋がります。Bから得る喜楽は1だけに留まらずに百にも千にも変化するものです。
 私は仕事をすることが楽しい、生き甲斐だという人は、人生を謳歌している人だと思っています。
 人生は一度限りなのですから、できれば1だけに留まらずに2になるように生きなければ損だと思いませんか。私は貪欲な人間ですからそう考えます。
でも誰でもが2になる人生を歩めるわけではありません。2にするにはそれだけの頑張りが必要です。
お前は1の人生を歩みたいのか。それとも2の人生にしたいのか。早くから子供に語りかけることです。理屈からいえばどの子供も2と答えるでしょう。それでは2にするために頑張ろうねと激励出来ます。
子供に考えさせ、子供の口から答えを引き出させる親子の会話が大切です。

2014年4月26日土曜日

子供の学校の成績-28

一生買わなくても済むくらいに衣服を所持しているのに、新しいものを見ると欲しくなって買ってしまいます。普段始末をしてでも旅行に行きたがります。家で飲食すれば十分なのに時には贅沢に外食をします。
これは全て喜楽が欲しいからです。生きて行く目的は自己の人生の充実ですが、その充実は喜楽で決まります。
 如何に大きくて長続きのする喜楽が得られるかが具体的な生きて行くための課題です。
その喜楽ですが、娯楽や遊びからでは永続性のある喜楽は得られません。
大きく永続性のある喜楽は、社会から自身の存在価値を承認して貰えるようになって得られます。それが社会の法則なのです。
 この法則をよく理解していれば自ずと自主的に頑張ると思います。
でもこの法則は親自身が理解できていない人も少なくありませんので、子供に説教はできないという難しさがあります。
だから人生は面白いのですが、自分の子供には確りと教えたいですね。

2014年4月25日金曜日

子供の学校の成績-27

嘗ては日本も貧しかった。そんな時代には、出世したいという願望があり、それが目標になっていました。
一般の人たちにとって世に出たいということは、有名になって,偉くなって、沢山のお金を稼げるようになりたいということです。
 そのためにはどうすべきか。勉強をして高学歴者にならなければ実現は出来ない。そういう理屈は子供でも分っていたので、親から言われなくても真面目に前向きに学問に取り組む子供が多かったように思います。
 でも現在のように豊かになって、貧しくて惨めな生活を強いられる事もなく。
食べることの苦労がなくなり、衣服も日常的に贅沢品を身に付けれるようになりますと、お金儲けに対する執着が希薄になり、お金儲けをすることが生きて行く目標になりづらい時代です。
 それだけに「なんとかなるわ」という考えの子供が増えて、親も指導者も引っ張っていくことが難しくなっているように思います。
 ども、先生や指導者の一員である親は確りと把握しておかなければいけませ。どんなに時代が変わろうと人の生きて行く目的は変わりません。
人は自己の人生の充実が生きて行く目的です。その充実感は自分の事ばかりを考えていては大きくは得られません。社会に貢献度の高い人が大きな充実が得られます。
この図式は不変の法則ですから、この図式を少しでも早くに子供に教えることが子供の自主性を高めることになります。
この図式を理解することの難しさは、経験しなければ実感として理解が難しいところです。

2014年4月24日木曜日

広島の桃源郷



夢うつつ 世俗忘れる 桃源郷


広島に 誰もが行ける 桃源郷


桃の精 色香で溶かす 世俗垢




 一期一会の花めぐり今回は広島の桃源郷に行きました。
桃源郷は中國の詩人 陶淵明(とうえんめい)の「桃花源記」に由来するものです。
 漁師が行先を見失って、奥地へと船を漕いで遡っていく、そうすると桃の木だけが両岸に咲き乱れているという所に辿り着きます。更に源を見たいと遡って行くと山に辿り着き、その山の洞窟を潜り抜けるとニコニコ笑いながら楽しく仕事をしている仙境が存在していたという話です。
 中國では桃の樹は邪気を払う木とされていたので、仙界の話に桃が登用され桃源郷になったのではと思われます。
 山また山が重なり合う奥地に桃の花が咲き乱れている。そんなところから広島の桃源郷と言われているのですね。
とにかく目を見張る美しさでした。
所在地は広島県世羅郡世羅町別迫1093-24です。
ラ・スカイファームという園です。

2014年4月22日火曜日

半木の道(なからぎのみち)

鴨川の 瀬音に舞いし 紅枝垂れ


京都植物園の東堤の道をながらぎの道と言い、紅枝垂れ桜が植栽されています。

2014年4月21日月曜日

子供の学校の成績-26

どんなことでも例外が存在します。これは差別発言ではなく、総体的にそれが現実だという私の感想です。
 私は泉北の当時は田舎から尼崎の都会に引っ越しをしてきました。
結婚するまでは尼崎の下町で育ちました。結婚してから西宮に移り、苦楽園という高級住宅街の近辺に住まいしました。
子供を通じて知ったことですが、高級住宅地に住まいする人たちと、尼崎の下町で住まいする人との、子供の大学進学を比較しますと、やはり進学する数も、また俗に世間では立派な大学と言われている有名大学に進む人の数は、高級住宅地の子供の方が断然多いというのが現実です。
これは子供の成績に家族環境や生活環境が大いに影響しているという証明です。
 確かに貧しければ波乱も多いので、子供の勉強に災いをまたられせます。これは私が身をもって経験していることですからよくわかります。
こんなことを言いますと。貧しければ救われようがない、希望が持てなくなるということにつながりますが、そんなことはありません。
 私の知っている人で、あいつは菩薩みたいな人だというのがいます。運転手ですから朝早くから夜遅くまで毎日真面目に頑張って働き、自分は好きな晩酌をほんの少しだけするだけで、後は一切の道楽はしないでのです。そんな人ですから夫婦も仲が良く、私に言わせれば菩薩みたいな男です。そこの子は貧しいけれどびっくりする程成績が良いのです。東京の有名大学に行き今は法律家になっています。貧しくても子供から尊敬される親になることは出来るという見本です。
親といえども欲のつよい男と女であり、自分も楽が欲しいと思っている親には、簡単に出来ることではありません。 

2014年4月20日日曜日

子供の学校の成績-25

人は死ぬまで勉強だと言われています。
その勉強とは、学識を深めるという意味もあるでしょうが、それよりも人として如何に道義、道理に則った道を歩むか。そのことを一生を懸けて訓練をしていくかということではないでしょうか。
 人は自分の人生を如何に豊かに充実したものにするかを目的に生きています。
中には家族ん為に、子供の為になんて言う人はおりますが、それは道理ではありません。
自分の人生を倖せで生き甲斐のある人生にしたと思うから、結婚をし子供を設けるのです。
中には、「俺が働いているからお前や家族が食べて行けるのだ」と、奥さんを罵倒する男もいます。そんな男や女がいるとすれば、それは間違いです。
全ては自分の為に行っているのですから、懸命に働くのは当たり前で、頑張っていることは何の自慢にもなりません。
全てが自分の為なのですから、懸命に働き、奥さんには優しく,そして子供達には敬愛される。そんな家族を構築すれば子供は必ず成績の良い子に育ちます。
そういう親になるには道義や道理を弁えた大人でなければできないからです。

2014年4月19日土曜日

子供の学校の成績-24

タイトルは「子供の学校の成績」、でも途中から見て頂いた人には何のことかわからなくなっていると思います。
 子供の学校の成績は学んだことを如何に沢山記憶しているかという、記憶の容量で決まります。その記憶力は如何に集中して取り組むか。そしてその集中を持続させるかで決定します。
集中力と持続性は、自ら進んで取り込もうとする自主性に大きく左右されます。
 その自主性は性格であり、その性格は親の人生観や生活習慣、生活環境に大きく関わっています。
子供の性格は親の手によって作られていきます。
子供の学校の成績は「子供は親の尺度しか育たない」と言われているように、親そのものなのです。子供の自主性という性格も、親によって作られて行くことは真理です。だから、親自身が先ずそのことを理解することが重要です。
 大人、親だといっても、「そんなものぐらい分っている」と思いながらも、利己的に、好き勝手な人生の理解度で生活しているも多数おります。
それが現実ですから子供の成績も区々なのです。
人生は区々だから面白いのです。面白いのですが自分だけは俯瞰できる立場になりたいですね。

2014年4月18日金曜日

高桑星桜(たかくわほしざくら)

 この桜は高桑星桜といい、花弁は先の尖った星形の花をつけますので星桜と言われています。
岐阜市柳津町高桑に原木があり、京都植物園が高桑桜保存会から寄贈されたもので、高桑の現地か横浜の三渓園、または岐阜駅前か京都植物園でしか見れない桜です。珍種ということですから紹介いたします。

2014年4月17日木曜日

菊モモ

先日源平のハナモモを初めて見て、感激してアップいたしましたが、またまた初めてのハナモモの発見です。
菊の花のように咲く菊モモです。初めて見ました。
菊桃は江戸時代には既に園芸品種として栽培され、観賞用として楽しまれていたということです。知らないことばかりです。
 桃は中国では邪気を祓う仙木とされ、わが国でも伊弉諾尊(いざなぎのみこ)が地下の国から逃れる時に醜女(しこめ)に桃の実を投げて危難を逃れたところから、吉樹とされています。そんな所から秋の菊酒と同じく、宮中では上巳(じょうし=三月の最初の巳の日=のちに3月3日となる)に曲水の宴が行われ桃花酒が飲まれました。
3月の節句には桃の花を活けるのは、ひな流しと同じく邪気祓いのためなのですね。

2014年4月16日水曜日

西宮のオリジナルの桜

西宮権現平桜


 昨日は京都の植物園に行って来ました。
京都の植物園には円山公園の枝垂れ桜よりも、巨大な枝垂れ桜があります。
残念ながらその桜の開花は見れませんでしたが、園内にはあちこちに山桜と八重桜が植栽されており、桜も愉しめました。
その中で西宮市オリジナルの西宮権現平桜が一本植栽されていたのを発見しました。幼い若木でしたが立派に花を咲かせていました。
永年西宮で住んでいた私としては、西宮と聞くと郷愁を覚え、暫し佇んで眺めていました。
 そういえば西宮には権現平桜(ごんげんだいらさくら)と夙川舞桜(しゅくがわまいざくら)と二種の西宮オリジナルの桜があることを思い出し調べてみました。舞桜はお酒の銘柄としても使われています。
調べてみますと、権現平桜は高座公園と六湛公園にあり、夙川舞桜は阪急夙川駅の南側の羽衣橋緑地に植栽されているそうです。
夙川舞桜は初めは淡色の紅で次第に白色に変わるそうです。北山公園にも確か舞桜はあったと思いますが、まだ見たことはありません。二種は山桜系ですから今でも見れるかもしれません。

2014年4月15日火曜日

子供の学校の成績-23

お金は「衣食足りて礼節を知る」の諺の如く、心にゆとりと潤いをもたらせてくれます。またお金は社会に対する貢献度に密着していますので、お金を稼げる人になるという目標は、立派な生きて行く目標です。
 そのお金ですが人並み以上にお金を稼げるようになるには、学者になる、医者や弁護士などの特別なライセンスを取得する、成績優秀で立派な企業に入って管理職、重役になる、事業を起こして成功する、芸能、技能またはスポーツ分野で傑出した存在になるというように限られます。
 この中で学問が優秀でなくてもなれる分野もありますが、学問に優れているにこしたことはありません。
 その学問ですが、6+3+3+4(2または6)=16年間も勉強に専念できる期間があるのです。その間に道が開ける門前に立つことは一番楽な道なのです。
優秀な子供は早くから目標を定めて勉強に余念のない子供もいますが、そういう子供は少数です。またそういう子供は放って置いても大丈夫です。だけど「心配しなくてもその気になったらやる」と、悠長に構えている子供の方が多いのが現実です。
そういう子供には、親が人生論を説いて、少しでも早くに自主的に準備する態勢に導いてあげなければいけません。
親子で人生論に付いて真面目に話し合える環境作りをしておくことは、そういう意味で大切なのです。

2014年4月14日月曜日

子供の学校の成績-22

私は女の子に対しても、人生はやり直しはできる。だから男女関係でも制約なしに自由にしなさいと言って育てました。
 私はきもの学院を経営していましたので出教室があり、その一つは梅田の北の兎我野町のホテル街の一角にありました。
夜の7時前に花を袋に入れて彼氏とホテルに入っていきます。恐らく今日はお花のお稽古の日なのでしょう。着付のお稽古は7時から9時までです。
9時になると着替えをしますので、私は先に車に帰って終わるのを待っていました。
ちょうどその時刻に、先に入って行ったカップルが同じようにお花を持って出て来ます。そして恐らく何もなかったように「ただいま」と家に帰るのです。 親はその時間帯ですと、お稽古の帰りと信じて疑わないでしょう。それが実態で、女の子だからといって親が様々に制約を設けて看視しても、自由を束縛することは不可能なのです。
 色々と制約します。もしそういう男女関係が親に知れたら、うるさく制約をする親ですから、怒り狂って親子関係は絶望的な状態になります。
 親自身も若い時は親から縛りを受けたくなかった筈です。自由にしたかった。それが本音ですから自由にさせてやればいいのです。
 何か子供に不幸な事態が生じた時は、本当に助けてやれるのは親だけです。だから何かあれば「お父さんお母さん助けて」と言える家族関係の構築が大切だと私は思っています。何でも話し合える、子供との接し方をしていれば、人生に付いての真面目な会話もできる環境が作れます。

2014年4月13日日曜日

咲き分けのハナモモ


梅の時期には最近紅白の花が咲く梅をよく見かけます。
あれは挿し木で咲かせているもので、紅と白の花は別々の幹に咲いています。
ところが同じ幹から紅白の花を付けている樹を見ました。
桃の木のようです。今年初めて見ましたので嬉しくなって俳句を詠みました。


紅白の 桃花が祝う 新年度


ハナモモと言うそうです。原産地は中国で、わが国でも江戸時代には様々に品種改良がなされ、花は紅、白、紅と白色の咲き分けがあるそうです。
樹形は立性、枝垂れ性、ほうき立性、矮性(わいせい=低い木)とあり、咲き分けのハナモモは珍しいということで、それを見れたのはラッキーでした。

2014年4月12日土曜日

STAP細胞論文問題に思う

独立法人理化学研究所という所は、多額の国の補助金が投入されている所だということです。多額の税金が使われている組織ですから、今回の論文問題は国民全体が注視すべき事件です。
 小保方さんは若くて綺麗な科学者です。それで容姿や服装などの関係のないことにまで様々に言及されています。
でも、そういうことはどうでもいいことです。一番問題としなければいけないことはSTAP細胞が本当に作ることが出来るか否かです。
もし捏造であるとすれば、女性である、そして若くて美しいなどということなどに配慮なく弾劾すべきです。
でも本人は細胞を作れる、存在すると言っています。また学者の中でも論文は撤回すべきだが細胞の存在は否定しない人もいるということです。
ならば理化学研究所の科学者が立ち会って、細胞製法を検証すればいい事ではないでしょうか。何回かに一度でも細胞が作られることがあるのなら、確実に安定的に作られる段階に、研究を進めればいいのではないかと思ってしまいます。
ユニットリダーとして指名した小保方さん本人が、出来ると言っているのに、組織の学者立ち合いの検証もなく、一方的に所属する組織が不正と弾劾することが私の感覚では違和感を覚えてなりません。

2014年4月9日水曜日

2014年4月6日日曜日

子供の学校の成績-21

乳幼児から小学校の低学年まだは、時には殴ったりして、親が怒れば本当に怖いということを子供の体に叩き込んでおくことです。
これくらいまでの年齢は、どんなに怒られても親が一番好きですから、心が離れて行くことはありません。ところが小学校の高学年にもなりますと、心が離れていきますので、怒らないで会話をすることが大切です。
 ところが親子で楽しく、真面目な話が出来る雰囲気の家庭はそんなに多くはないのではないでしょうか。
 私は子供が小学校の6年生の時に、お前たちの成績がその程度であるのは全て親の責任である。自分で熟でも行って勉強したいというなら、親は経済的な面でしか関われないから、仕事を頑張っていくらでも手助けをする。勉強したくなければ自由にしていいと言いました。
そして一つアドバイスをさせて欲しい。勉強するなら、お前たちくらいの偏差値で各学科をまんべんなく勉強するな。この成績では到底一流大学にはいけない。特別なライセンスを取得してこうなりたいという確かな目標があるなら、まだ間に合う。だけど、いい会社に勤めたいという程度の目標なら、そんなに一生懸命にはなれないだろう。だから英語が好きだということだったので、英語だけ勉強しておけ、後は0点でもいいと言ってやりました。
この助言が功を奏して二人とも英会話ができ、一人は一流企業に就職でき、一人は外国で事業を行っています。
これも子供と会話ができた成果です。

2014年4月5日土曜日

子供の学校の成績-20

 生まれついての天才はおりますが、取り上げて述べるに及ばない少数です。
後の人たちは生まれた時からのスタートで競争が始まります。
親の遺伝子、親の職業や家庭環境、親の夫婦仲、親の素行、親の人生観などによって子供が作られて行きます。それによって子供の集中力や持続性という性格も出来ていきます。
勉強にとって大切なのは集中力と持続性です。それは性格の一部であって、乳幼児に基本的なことは出来上がっていますので、子供にはあまり責任のないことです。「十人十色」の言葉の如く、親自身もまちまちですから、子供も当然まちまちな子供に育ちます。成績は性格に大きく起因しますので、成績も当然差異が生じます。
全ては親に起因していますので難しい問題です。大人と言えども人生学に精通しているかといえばそんなことはありません。だから親の人生学の理解度の良化によって多少の変化が望めます。
私は子供が小学校の6年生の時に、子供の成績は全て私の責任だと悟りました。それからは勉強しなさいとは一切言わなくなりました。そんなことを言わなくても、勉強は大切だということぐらいは子供は分っているからです。
それくらいの年ごろになりますと、優しく丁寧に説明をしてやると理解できるようになります。
親子で話し合いをすることが大切だとおもいます。私の所は幸いに子供と真面目な話を出来る状態だったから出来ました。

2014年4月4日金曜日

子供の学校の成績-19

健常者は好き嫌いに関係なく仕事をする使命を課せられています。
それを放棄すれば食い逃げと同じです。
 自分は働いていないけど、親に食わせて貰っているから、他人に迷惑はかけていないという人がいるかもしれません。でも親も社会の中で不特定多数の人達に支えられて生きていますので、自分も同じく支えられて生きていることに変わりはないのです。
 働かなければいけないのであれば、仕事が生き甲斐、遣り甲斐のある仕事に就ければその人は幸せです。でも誰もがそんな遣り甲斐のある仕事に就けることはありません。
またどういう仕事に就けば生き甲斐となる仕事と成り得るのか。それが分らない人も少なくありません。分らないというのであれば、少しでも生涯年収が多いところと考えて、目標を定めればいいのではないでしょうか。
 遣り甲斐のある仕事に就く。生涯年収の少しでも多い仕事に就く。そのように目標を定めれば、世の中は競争ですから、競争に勝たねばならないことは具体化します。
何故こういうことを書くのかと言えば、自主性を高めるには少しでも早く、具体的な目標を描くことが大切だからです。

2014年4月3日木曜日

子供の学校の成績-18

健常者は自分の意思に関係なく働かなくてはいけないのです。
人は社会という人の群れの中で互いに共生して生きています。共生しているということは互いに支え合って生きているということで、支えている力には個人差はありますが、働くことは健常者の使命なのです。
働きたくても働く場がないという社会現象はありますが、ここでは別の話としましょう。
 自分は不特定多数の人たちに支えられて生きています。たとえ微力であっても働いて支えなければいけないのです。
 職種の適正とか選択も重要ですが、それ以前にどんな形であれ、人は働かなければいけない。そのことを若者は分っているでしょうか。
 若者の言い分を聞いていますと、社会性を重んじることなく、自分たちの願望ばかりが先行している場合があります。また折角大学まで行ったのに、働いていない若者も増えています。
 それを先ず親や学校の先生が教えなければいけないですね。
自分が食うため、生きて行くためというレベルではなく、人は働くことが使命であるという理解があれば、もっと自主的に勉強する子供は増えると思います。

2014年4月2日水曜日

春らんまん

ベランダに 出れば仰天 花の山


寒い冬 あってこそとは 知りつつも
         花の訪れ ほっと息つく


歳を取れば寒さは堪えます。今年は春の訪れを特に待ちました。