2013年4月30日火曜日

教える、教えられ事とは

先日親しくしていただいているお家に着付に伺いました。
下のお子さんがまだ10歳で成人式までは、まだ十年あります。
私が年老いて来ましたので、「先生お元気でいてくださいね、娘の成人式まで、まだ十年ありますから」と、親しいが故の冗談ではありますが、そういう会話がありました。その後で「私も自分で出来るようにお稽古をしようかな」と言われ、「私にもできるようになるでしょうか」と言われました。
この方は大変活発で学生たちに卓球などを教えておられると聞いています。
現実に人に教えておられる立場の人ですが、分野が異なれば全く違うもののように思っておられるから、そういう言葉が自然と出てきたのだと思います。
 技能というものはどんなものでも同じで違いはないのです。
最近旅行はもっぱら湯快リゾートを利用しています。湯快リゾートは卓球、カラオケという遊び場を充実させていますので、行けば必ず妻と卓球をします。ラリーが続くようなものであればもっと楽しいのでしょうが、俗に言うピンポンというやつです。今回の旅行では最高23回まで続きましたが、続いたと言っても山なりのゆっくりした打球です。それでも楽しかったのですが、激しいラリー続けばもっと楽しいでしょう。
でもそこまでの腕前になるには血の出るような稽古が必要なのです。

2013年4月29日月曜日

歌声喫茶

若い頃ですが、梅田の東通り商店街から細い路地を入った所に歌声喫茶がありました。
リーダーがいて、そのリーダに合わせて皆で一緒に合唱をするのです。
ロシア民謡のカチューシャ、山のロザリア、トロイカなどはそこで覚えました。
歌の好きな私には非常に楽しいところでした。
高原列車は行くよもそこで覚えた歌の一つです。

http://www.youtube.com/watch?v=qFiiz2TSQ8k 高原列車は行くよ

2013年4月28日日曜日

クレーム

お客様は神様ですという言葉は亡くなられた歌手の三波春夫さんがよく言われていました。
こういう言葉に惑わされて様々にクレームをつける人がいますが、おかしな現象であると私は思っています。
お客は神様でも何でもありません。ただ絶対の選択権を有しているだけなのです。
嫌だなぁー、好きになれないなと思えばそこに行かなければよいし、近づかなければいいのです。
例えば商売などをしていて、批評、批判を甘んじて受けなければ仕方のない側の人達は、100%よい評価を受けることは難しいので、如何にその%を高めるかという努力をしなければいけないだけです。その努力を怠れば必然的に衰退していくという罰をうけることになりますので、他者がいたずらにクレームをつける行為は、大人がとるべき行為ではないと思います。
 こういうブログでも批判がましいことを書いて寄こす人がいますが、嫌な書き込みだと思えば開かなければいいのです。
お金を頂いて書き込みをしているのであれば、どういう批判を受けても甘んじて受けなければいけないでしょうが、各々が自己満足で書き込んでいるサイトなのです。黙って眺めているのか、嫌なら開かないというのが良識のある行為ではないかとおもいます。

2013年4月27日土曜日

仕事が出来ることの喜び

今日からゴールデンウイークです。
私は今日、明日と仕事があります。着付の仕事を初めて半世紀です。
出張着付を初めて40年になります。これまで土曜、日曜、祝日は仏滅の日を除いては着付の仕事がありますので、丸一日休んだことがありません。
そんな生活が長く続いていますので、仕事がないと逆に不安な気持ちになってしまいます。仕事ができることのありがたさが身に染みて感じられる年になりましたので、仕事ができることの喜びを噛みしめながらやっています。

2013年4月26日金曜日

ガソリンの値段の高止まり

円高でもガソリンの値段が高止まりしていたものが、この円安で更に値上がりするということです。
イカ釣り漁船が燃費の高騰で出漁を断念しているということです。
産油国は現在の値段よりも半分でも十分に潤っているということで、跡の半分は投機によって高騰しているということです。
石油の高騰によって世界の生産活動に携わる人達が困っている。
お金を動かすだけで、お金儲けをしている人達がいる。
こういう現象を英知で制御しなければいけないのではないかといつも思います。

2013年4月25日木曜日

出石城跡

湯村温泉に行った帰りに、昼はおそばを食べようということで出石城に行って来ました。
城を見ると何時もその建造物に感銘を受けます。
機械もない時代に物凄いものを作ってしまう。
時の権力者の想像を絶する権力と、その権力のもとで使役さえる民百姓の辛苦が目に浮かびます。
特定の人間が偉大な権力を擁することの偉業よりも、民に及ぼす弊害のほうがどれだけ大きいかということです。
 私たち子供の頃は社会主義や共産主義は皆平等でよいなどと聞かされていましたが、社会主義や共産主義の国ほど専制政治を行っています。
今の北朝鮮の体制をよいと評価する人はいないでしょう。
日本の共産党はどこを向いて歩こうとしているのでしょうか。
党名を聞けば専制政治のイメージにつながってしまう党名は改名したほうがよいと思います。

2013年4月24日水曜日

ゴ-ルデンウイーク

ゴールデンウイークが始まります。
アベノミクスの効果で今年は、デパートでも高額商品が売れて、海外、国内共に旅行をする人が増えているということです。いいことですね。大いに楽しんで癒して来ていただきたいと思います。
体の疲れは精神的な面が大きいですから、大いに楽しむことが大切です。
但し、遊び過ぎると仕事が嫌になるから要注意ですね。
仕事があるから遊びが楽しい。私たち年配者のように毎日遊びだけではつまらないですよ。
仕事があることに感謝をすることが精神面で一番大切ですね。
妻はゴールデンウイークは24時間勤務の4泊が連続が2回続きます。
その間私は一人で留守番です。
男は友達を作るのも下手で親しく付き合える友がいないという人が多いのではないでしょうか。私もその一人ですから、寂しいゴールデンウイークになります。

2013年4月23日火曜日

水仙



水仙も様々な品種改良の花が出てきていますが、私は甘い香りとそして凛として清楚な感じがする日本水仙が好きです。
http://www.youtube.com/watch?v=ogF5979aMro 画像です

2013年4月22日月曜日

天空の城跡「竹田城」

竹田城(たけだじょう)は、兵庫県朝来市和田山町竹田にあった山城です。
険しい地形にありながら、曲輪のすべてを石垣で取り囲んだ総石垣の城郭です。山頂に築かれた城郭としては最後の近世城郭にあたるそうです。
竹田城は戦国大名の山名宗全がこの地に城を築くよう命じ、羽柴秀長が新しく縄張りを行い、その後の赤松広秀が文禄のころより豊臣秀吉の支援を受けながら、壮大な城へ仕上げたものと言われています。
 城跡に佇むと四方には地形が連なっておらず城郭だけが天に突き出ていて四方が何の妨げもなく見えるところから天空の城と言われているのではないでしょうか。
 秋から冬にかけては雲海が見れるそうで、その情景は素晴らしいということですから、一度見てみたいです。
今回の湯村温泉の旅は氷ノ山の冠雪が見れて、その上に竹田城跡の素晴らしい景色も見れました。
これで使った費用は二人で旅館代も入れて2万円ほどですから大満足しています。
https://www.youtube.com/watch?v=hE6WtZKnW4o  画像です

2013年4月21日日曜日

湯村温泉旅行

先日湯村温泉に行って来ました。
源泉に卵や芋を入れて茹でる人、それを傍らで食べる人達、足湯に足を浸して談笑する人達、皆さん楽しいそうです。
湯快リゾートですから夕食はバイキング形式です。
安いですから贅沢は言えません。私たちのような一般庶民には内容はあれで十分でした。
好きなものを取ってきて妻とビールを頂きながら、時々はあのカップルは夫婦かそれとも愛人か等、とめどもない話をして食事を頂く、楽しいひと時です。
 来ている人たちは年配の人が圧倒的多数です。中には同窓会と思われる団体がいました。その人たちはお酒もすすむし会話も弾みます。楽しそうです。年配のカップルに目を向けますと会話はないし、黙々と食事を頂いています。旅行に来て面白くない筈がありません。何故笑わないのか、何故会話をしないのか、傍目で見ている限りつまらなさそうです。ここが日本人のよくないところですね。
もっと楽しさや喜びを表現しなければと思いました。

2013年4月19日金曜日

氷ノ山

湯村温泉に一泊で行きました。
途中ハチ高原によってきました。
写真は八チ高原から見た氷ノ山です。
氷ノ山は兵庫県では一番高い山で1510mだそうです。
中国地方を入れても大山の1729mに次ぐ高さです。
当日はあいにく曇っていましたが、それでも身近に見る氷ノ山は美しかったです。
 スキーをされる人なら神鍋や八チ高原、氷ノ山はよく行かれるとおもいますが、冬にチエンを捲かなければいけない所は怖くて出かけませんので、冠雪の氷ノ山を見れたのは初めてでラッキーでした。

2013年4月16日火曜日

山桜

少し遅くに咲く山桜
大島桜は瑞々しいグリーンの葉を持って咲くが、山桜は茶色がかった葉を擁して咲く。
花は小粒で可憐だ。
優しくはあるが、しっかりした女性を連想させる

2013年4月15日月曜日

生きる

司馬遼太郎の小説の中で吉田松陰は、人の人生は喜怒哀楽の繰り返しであり、12歳の少年でもすでにそれを経験しているから、私は何時死んでも構わない。自分を必要としてくれているなら「生きたい」と述べています。
 何の目標もない人生はつまらないですね。
最近は何をすべきか。社会につながる仕事が見つからなくて、寂寥感に苛まれることが多くなっています。
これで妻がいなければどうなっているのか、考えただけでも恐ろしいです。
お金があれば紛らわせる生活ができますが。しかし、そういう紛らわせの生活の空しさも若い時に経験をしているのでつまらないですからね。
人生は死ぬまで現役で頑張ることがいいですね。頑張って惜しまれながらコロッと死んでいく。頑張れることのあることを感謝すべきですね。
仕事の辛さや苦しさを嘆いている人もおおいのですが、そんなものは考え方次第ですね。

2013年4月12日金曜日

きものの美しい立ち姿

ポスターなどのきものの写真撮影に行きますと、ピンワークといいまして見えない部分で、ピンで留めて美しいシルエットになるようにします。
着物を着た時の美しい立ち姿は、写真のように全体のシルエットが裾すぼまりにすることが絶対条件だからです。
 裾すぼまりにするには、全て下前の巻き付け方の操作によってきまるのですが、それが難しいのです。
着付けで一番難しいのは裾合わせです。
お稽古に行きますと、やる気があるか否かが上達の進展に一番影響を及ぼすのですが、やる気のある人でも、それが出来るようになるには少なくても3~4年はかかります。
それが出来て体で覚えることができたことになります。
 順序だけでなく体で覚えるところまでお稽古をすれば辞めても簡単にわすれないのですが、そこまでやっていないから、お稽古にいったけれどもやはり着れないということになってしまうのです。

2013年4月10日水曜日

大島桜


写真は大島桜です。
大島桜は葉と花が同時に芽吹いてきます。
純白の花弁と葉のグリーンの色合わせが清楚で、大島桜は香りも他の桜と比較しますとよい香りがします。
 桜は散るときは花弁がバラバラになって散るのですが、大島桜は花の形をそのままに散る場合も多いのです。
頭の上の花は大島桜が駒のようにくるくると回りながら頭に散ってきたものです。

2013年4月9日火曜日

妻のきもの姿

妻に大島のきものと紬の帯をプレゼントしました。
私にはそれを着るとどういうイメージになるのか、分かってプレゼントをしたのですが、妻には地味に思えるだけで、あまり好きではなかったみたいです。
昨日はお稽古日でしたので、お稽古を終わってから、着なければどういうイメージになるのか、想像できないだろうから着せてあげるといって着せました。
着せて行く途中で、その着物のコーディネートの素晴らしさが分かったらしく、素敵だと大変喜んでいました。
男物の亀甲絣の大島に紬の八寸名古屋帯です。大島ですから着れば無地に見えて光沢がありますので、夕日に映えて少し光っています。
このようなコーディネートは若い人から年配者まで素敵に着れます。
但し粋な着こなしが必要で、着付けの腕前がものをいうきものと帯です。

2013年4月7日日曜日

今日は桜花賞

一週間に一回だけ日曜日のメインレースに3000円の予算で競馬を楽しんでいます。
今日は桜花賞です。18番の馬から買います。勿論3連単で二着三頭の三着10点流しです。
焼肉が食べれるように頑張ります。

2013年4月6日土曜日

かまど

かまどのことを置所(おくど)と言います。
ご飯を炊いたり、煮物をしたりする所で、昔はご飯を炊けば先ず神仏にお供えをしました。そして私たちが生きて行くための生命維持の根幹の働きをしてくれるところですから、「おくどさん」などと敬称で呼んでいました。
「おくどさん」という呼称には、その言葉の中に感謝に満ちた気持ちが込められています。
 荒神さんは三宝荒神の略で、三宝荒神はかまどの神様です。
昔は何処の家でも荒神棚を設けてお祭りしていました。
お正月には先ず最初に荒神棚にお供えをして拝み,それから仏様にお供えをして拝むというのが順序だと教えられていて、封建時代の名残でしょうか、荒神さんは男がお供えをする方が喜ばれると言われて、お正月の元日には子供の私がやらされていました。
今この年になって思えばそれが順序であることがよくわかります。

2013年4月5日金曜日

汲み取り便所

私は結婚をするまでは尼崎に住んでいたのですが、トイレはまだ汲み取り式の便所でした。
妻も愛媛の田舎ですからトイレは汲み取り式です。
妻とよく汲み取り式の便所のことで話をします。
汲み取り式の場合は当初は汲み取り杓で、手で汲み取ってたいました。そういう時代には終われば、清掃係の人に「ご苦労様でした」とタバコなどを渡す習慣が根付いていました。
その後バキュームカーになりそういう習慣も次第になくなりました。
写真の便所は、大きな風呂位の樽が地中に埋め込まれています。
汲み取り式の便所が汚くて嫌で仕方がなかったので、その分強く印象に残っていてな懐かしく見学してきました。

2013年4月4日木曜日

京都美山町茅葺の里


昨日は茅葺の里まで行って来ました。
民俗資料館を拝見してきましたが、様々な生活用品や農具が展示されていました。それら全てが幼い時に目にしたもので、用途も全てわかりましたので懐かしくて妻と会話が弾みました。
 図に部屋とありますが、座敷から出入りするその境の敷居から5寸ぐらい板の間が低く作られています。
これは昔の寝室です。貧しい農家の人はあの部屋に藁を引き詰めて、その中に潜って蓆などを被って寝ていたのです。
藁が飛び散らないように出入りできるところは敷居が高く作られているのです。
木綿が安価な衣料や寝具用として用いられるようになるのは、江戸時代の中期以降です。それ以前は布団などはなく農家の人は藁に潜って寝ていたのですね。
木綿が普及して死亡率が下がったといわれていますが、服飾史を勉強している一人としては、そういう話を聞きますと感激します。
貧しい一般町人はどうして寝ていたのでしょうね。
真綿の入った掻い巻きなどを所持していたとは思われませんので。

2013年4月3日水曜日

思い出

写真は阪神電車の武庫川駅のホームから撮ったものです。
幼い時に何も親父から告げられずに西宮に連れてきてもらって、降りたのは武庫川駅でした。
阪神芦屋の駅もそうですが、小さい川に駅がまたがって存在する光景はよくありますが、武庫川駅のように駅が川にスッポリと入ってしまうような駅は珍しいのではないでしょうか。
父に連れられて武庫川駅に降りた時は異様な光景に驚き、その後も強く印象に残っていました。
幼かったので、どの電車に乗ってどこの駅に降りたのかは覚えていませんでしたが、川の上の駅ということで、もう一度見てみたいという気持ちは心の隅にありました。
小学校の五年生になって、家庭の事情で尼崎に引っ越してきたのですが、川の上の駅は阪神の武庫川駅であることがその時に判然としました。
 駅の名前も記憶に留めておけない幼い時に強く印象に残った地で、晩年は過ごしている。伯母が住んでいて、その伯母を頼って逃げてきたという明確な理由があるのですが、何か不思議に感じてしまいます。

2013年4月2日火曜日

優先座席

先日、買ったシャツを車内に忘れて、問い合わせると梅田の忘れ物コーナーに届いているということで、久しぶりに梅田まで電車に乗りました。
自分では若いつもりでいますので、優先座席に座るのはためらうのですが、よく考えるともう71歳ですから、堂々と座れますので座りました。
 尼崎で甲子園球場帰りの親子が奈良行きの電車から乗り換えてきました。
優先座席しか空いていませんでしたので、小学生の子供二人と母親が(想定40歳代)競うようにして優先座席に座りました。
立っている年配の人が近くに何人かいます。
優先座席というのはどういうものなのか思わず考えてみました。
お年寄りや体の不自由な人に座席を譲りましょうと書いてあります。
座ってはいけないとは書いていませんので、座っても別に間違いではないのです。
 空いてるときは、若い人は好んで優先座席には座らないでしょう。
込み合っている時にそういう現象が起こると思いますので、譲りましょうではなく、込み合っている時は高齢者や体の不自由な人しか座れませんと表示した方がよいのではないでしょうか。
こんなことを考えなくてはいけないほどモラルが低下しているのですね。

2013年4月1日月曜日

晩年

晩年というのは老後、年を老いてからという意味ですが、晩は暗くなっていく。暗闇の世界、即ち黄泉の世界につながっているように思える。
全ては最後は黄泉の世界につながっているのは確かだが、晩年という言葉は黄泉の世界のすぐ入口の近くを示唆しているようだ。