2014年9月29日月曜日

幸せさがし-69

菊ではありませんダリアです


 着付ぐらいと侮っている人も少なくないのですが、それは終極の目的が理解できていないからです。
 人の命は朝露の如く消え去る短いものだと言われています。短く必ず果てて行く命だからこそ、華のある人生にしたいと誰もが願っています。
そのために懸命に勉強し、懸命に働き、結婚をして家族を慈しんでいます。全ての行為は生きるためであり、華のある人生にするためです。
その華は心の輝きです。言葉を変えれば心の潤い、豊かさのことであり、心の潤いは喜楽によってもたらされるものです。この人生哲学が理解できていれば、生きて行く目的は喜楽の追及であることがわかります。
 飲食、お洒落、旅行の様々な娯楽は、お金さえあれば簡単に手にすることが出来ますので、多くの人がお金に執着します。
いくらお金に執着しても、使えるお金には限りがあり、節約しながら楽しみの方に回している人が圧倒的多数です。またお金で得られる喜楽は刹那的です。それが実態ですから、お金に執着すればかえってストレスが溜まってしまいます。
 その点、お稽古事は無くても生活に何の支障もないものですが、お稽古で得られる教養を身に付けていれば、日常の生活に役立ち、何時でも喜楽を増幅させることが出来ます。
 例えば、今日は主人と待ち合わせをして食事に行くので「着物でも着て行こうかなぁー」と思って、実行すれば洋服と違って目立ちますので、多くの人から注目され良い気分になれます。またご主人が奥さんの着物姿を見ればきっと喜んで誇らしげに手をつないで歩いてくれるでしょう。
お部屋を掃除してスッキリしたので、お盆点てでお薄を頂く、なんとも清々しいひと時ではないでしょうか。
 教養があれば心掛け次第で、生きて行く目的である心の潤いを、日常生活の中で幾らでも得ることができるのです。
着付も根本は、人生の充実に関わっている大切なものですから、お稽古に来た限りは出来るように成っていただきたいのです。

2014年9月28日日曜日

幸せさがし-68


菊ではありませんダリアです


 教えるということは戦いです。戦いに敗れてしまう。戦いを放棄してしまえば一番迷惑を被るのは生徒なのです。
生徒に迷惑を掛けるような先生は、その職業には向いていないので辞めなければいけません。
生徒達は恐らく蔭では様々に私や学院指導者を罵倒していたことだろうと思います。
そんなことは放置しておけばいいのです。言いたいものには言わせておけばいいのです。どんな場合でも100%支持されることはありません。支持される%を如何に増やすかということで、その為に生徒のご機嫌を取ってはいけなのです。
自分の信条を貫いて、それでも経営的に成り立っていれば、少なくても間違いでないことの実証ですから自分を貫けばよいのではと思います。
タイム着付に付いては大変な抵抗もありましたが、私は生徒の為に自分の信条を貫きました。
私の生徒には、何人か今は着付の指導者として、独立して活動している人がいます。
その人たちと会う機会があり話を聞きました。
仕事が忙しくて自分の弟子だけでは消化しきれないので、他の学院の卒業生を使ったそうです。
仕事が遅くて、その上出来上がりも悪くて全く使いものにならないとこぼしていました。
学院在籍中は何でこんなに急いで着付をしなければいけないのか、疑問に思っていた時もありましたが、今私がこうして活躍出来ているのはあの厳しいお稽古のお蔭ですと感謝されました。
着付は実用に即したお稽古事ですから、お稽古に行ったことがあるだけで終わらせてはいけない。お稽古に来た限りはできるようにならなければ、お稽古に来た意義が半減してしまう。そういう私の考えが実を結んだ。その例が、現在独立して活躍している人の数です。
着付に携わっている人は沢山いますが、事業として専従してそれで生活出来ている人は幾人いるでしょうか。私の弟子が一番多いのではないでしょうか。
経営ともなりますと様々な苦労もあります。でもその苦労がまた励みとなり大きな喜びとなって、彼女たちは活き活きと頑張っている様子です。そのことは私の誇りであり、そういう気持ちにさせてくれたことに有り難うと言いたいです。

2014年9月27日土曜日

幸せさがし-67

どこまで着れるようになりたいですか。それを聞きますと上手に着れるようになりたいと希望を述べられます。その希望を叶えてあげて、辞めて頂くようにするのが私たち指導者の使命です。
そのためには、自分が考え出したタイム着付に精を出して頂くのがベストなのです。
大きな抵抗がありました。辞めて行く人も少なくありませんでした。
方針を転換してはどうか。このままでは小規模の学院であるのに益々生徒が少なくなっていくという献言もありました。それを受け入れてしまえば、生徒の意向に迎合してしまうことになります。
お稽古事は職種的に言えばサービス業です。歳が明ければ何処の,どのお稽古事も税申告をしなければいけません。事業である限りは儲けなければ成り立ちません。成り立つためには生徒の数が多く在籍してもらわなければいけません。生徒に多く在籍してもらうために、生徒のご機嫌をとるような指導者もいます。
普通の学校でもそうです。生徒からどう評価されようと自分の信条を貫く先生が良い先生なのです。
先生はプロ、父兄は素人で、生徒は子供で人生なんかわかっていません。それが実情なのに、先生が生徒や父兄に気に入られたいと機嫌を取ってしまう先生がいます。それをやってしまえば生徒は導けません。人は確かな目標がなく、自分の気儘に進めていれば大抵の人は楽な方向に進んで行きます。また着付の場合は、出来なくても生活に何の支障もないので、目標を与えないと気を入れて取り組むことはしません。
使命感を持って一番真剣に戦っているのは自分ですから、私は自分の方針を変えませんでした。

2014年9月26日金曜日

幸せさがし-66

 物事というものは、論理的に説明できるものと、経験によって編み出した理屈があります。
技能というものは、考えて行っている時は無駄な動きをしてしまいます。
身体で覚えていると、各部位を素早くチエックしながら流れるように進めていけます。無駄な動きがありませんので綺麗に早く仕上げることができます。技料と作り上げる早さは比例をします。
ですから、逆に早く仕上げる練習をすることによって、体で覚えるのも早くなりまので、時間を設定して、その時間内に出来上がるお稽古を重視していました。それをタイム着付と言います。
着れるようになったといっても、お稽古に来なくなれば着れなくなったのでは、着れる様になったことにはなりません。お稽古に来なくなっても、忘れることなく着れるようにするには、街着を3分間で、それも上手に着れる様にならなければ忘れてしまいます。
これは経験によって編み出した説で論理的ではありませんので皆さんには理解しにくいと思います。
家で着る時にそんなに急いで着なければいけないことはありません。
急いで着るよりも、もっと時間を掛けて丁寧に着た方がキチット着れるようになるのでは、そのように疑問を持たれてタイム着付のお稽古を嫌がる人は多かったのです。
そのために辞めて行かれた人も少なくありません。
説明できることは、技能程度と着付ける速さは比例する。体で覚えるには時間を掛けてお稽古するよりも早く着れることを繰り返し行うことがベストであるということだけです。
これは経験よって編み出した理屈ですからそれが理解できなくて、その結果辞めて行く人が多かったのも無理はないと思います。

2014年9月25日木曜日

幸せさがし-65

教室には大きな鏡を設置していましたが、お稽古をする時は、鏡は見せません。出来上がりの姿を見るためにだけ鏡は設置しています。
鏡を見ながら着ますと、どうしても考えながらの着付けになってしまいます。
考えながら着ている間は上手になりません。考えずに次の手順に進めるようにお稽古をします。
鏡を見なくても出来るようにするために、この時はこう持って、こう振り込んで、こう巻きつけて、こう押さえてと、教えるための着付けるマニュアルがあります。そのマニュアル通りにやって動けば、最初は考えながら行っていても、そのうちに自然にその通りに手足と身体が動くようになります。
最初は当然マニュアル通りに手足、身体が動きませんので出来上がりは悪いです。
余りの出来上がりの悪さに嫌気が起り鏡を見たがりますが、鏡は見せません。
ここで各自の性格と人間性が取り組みに表出してきます。
指導する方は、長い経験から得た最上の方法で纏めています。お稽古する人はそれを信じて、指導者の行う通りに物真似をすることが一番の上達の早道です。
ところが、順序だけ分れば、あとは自分の遣り易い手足、体の動かし方で自由気ままに行なう人が多いのです。当初同じライン上からスタートしても、何か月か経過しますと技量に差異が生じてきます。
後れを取った人は、「私は不器用だから、歳だから」等と自己弁護しますが、そういうことは微細な要因であって、そういうことよりも一番大切なのは情熱であり、次は素直な気持ちです。
素直でないということは、裏を返せば自我が強いということです。自我の強い人は素直に物真似が出来ないのです。素直な人は指導者の動きを注視して懸命にその通りに動きを真似します。当然上達も速くなります。
どんなものに取り組んでも一番大切なのは情熱と素直な気持ちです。情熱の持てないものに取り組んでも大きな成果が上がらないと思います。逆に、情熱があって、それが持続出来れば年齢、器用不器用に関係なく成就すると思います。

2014年9月24日水曜日

幸せさがし-64

お稽古に来られた人には、折角お稽古に来たのに出来ないままで辞めて行って欲しくない。
親は子供に勉強しなければいけないと叱咤激励します。そんな大人がお稽古に来て、着付ぐらい出来ないままに辞めて行っては、大人として子供に面目が立たないと思うからです。
こういう風に言いますと、子供の勉強と大人のお稽古事は別つだと思っている人が多数います。
別ではありません。
 勉強に励む目的は端的に言って、特別なライセンスを取得する。また一流企業に就職して、あわよくば役員や管理職になって、安心の出来る生活がしたいということが最終目標ではないでしょうか。
何故そうなりたいのでしょうか。収入が多く安定すれば、それだけ楽しみも多くなるからです。
終極の目的は、楽しみ心の潤いのためです。大きな楽しみ心の潤いに繋げたいと思うから、勉強し、働き、結婚をし、子供を設け、無くても生活に支障のない様々な文化を、お稽古ごとによって身に付けるのです。
お稽古事も子供の勉強も究極の目的は一緒です。一緒だという理解が無いから、別物だと思って疎かに取り組むのです。それは人生哲学の認識不足なのです。
 お稽古事はそういう大切な役割をしていますので、お稽古に着た限りは完全に出来るようになるまで頑張って欲しいのです。
頑張って欲しいから、お稽古に来た人には、「どこまで着れるようにしたいのですか」を必ず聞くようにしていました。
そうすると皆さん「上手に着れるようしたい」と答えられます。
「現在は日本女性といえども着物が着れなくても恥ずかしい時代ではありません。そんな時代にお稽古されるのですから、儀礼時のことを考えるのではなく、お洒落着に重点を置いて、お袖を通すようになってください」、「時にはきもののお洒落着をして颯爽と散策してください。きっといい気分になれますよ」、そのためには着物を着ることが億劫に感じないように素早く着れるようにすることも大切です。素早く綺麗に着るには上手になることが絶対条件ですから、皆さん上手に着れるように頑張ってくださいねと、毎回入ってくる人に言っていました。


2014年9月23日火曜日

幸せさがし-63

普通の出来栄えというのは、特別に無様な個所がなく無難に着れている着付のことです。
この程度の技能の人は着付をする時に、次はどうするかを考えて着付をしている人です。
手順を考えながら着付をしている人は、体で覚えていない人です。
前記しましたように、着付を習ったからと言って普段に着物を着る人はいません。
頭で覚えている状態ですから、お稽古に来なくなると直ぐに忘れてしまいます。
お稽古に行ったが、やはり着れないという人がほとんどなのですが、そういう人は頭で覚えているだけの段階で辞めている人です。
お稽古に来ている間は何とか着れていたのが、やめたら直ぐに忘れてしまうようでは、着れたことにはなりません。着れるようになるということは、辞めてからも忘れることなく着れることです。
何故そういう人が多いのか。これは指導する側にも責任があります。
大手の着物学院は、道具を使っています。出入りが多いほど道具が多数売れますので、カリキュラム通りに進めます。入学日を決めて集団でお稽古をして、一斉に卒業していくシステムになっています。
指導者になりたい人はアシスタントとしてお手伝いをして経験を積んで指導者になります。
指導者になりたいと思ってお稽古に来ている人は少数です。大方の人はカリキュラムをこなした段階で終了です。それでは着れても頭で覚えている程度で、体に染みついているところまでに至っていませんので、お稽古に行かなくなれば、直ぐに忘れて着れないことになります。
お稽古事は行ったことがあるというだけでは駄目なのです。行ったという事実よりも、出来るようになったか否かが重要なのです。
私の所では、きちっとカリキュラムと期間は設定します。しかし出来たか否かが重要ですから、カリキュラムを循環させて出来ていない人は、カリキュラムの内容を取得してもらうまでそのクラスでお稽古します。そしてそのクラスの最終日は内容を取得したか否かを判断する試験をして、次に進んでもらうようにしていました。その試験が嫌で辞めて行く人も多数いました。
試験というのは能力を測るというのではありません。真面目さ真剣さの測定です。真面目に前向きに取り組んでいれば、年齢、不器用に関係なく誰もが着れるようになります。その真面目さを促すための試験なのです。試験を嫌がる人は遊びの延長で着ている人です。

2014年9月22日月曜日

幸せさがし-62

現在は日本女性といえども自分で着物が着れなくても恥ずかしい時代ではありません。
そんな時代ですから、儀礼のことを考えて着物を着なければいけない場合は着せてもらえばいいのです。
こんな時代に折角お稽古するのであれば、儀礼のことだけを考えないで、折角持っている着物なのですから、積極的に着物のお洒落を楽しむためにお稽古すべきです・
例えば、今日は観劇に行く。京都に散策に行くとします。何しに行くのでしょうか。
観劇や散策の楽しみは、心の潤いを時間と金を使って買い求めるわけです。
観劇や散策は手段であって一番大切なのは、楽しみ心の潤いです。
京都に行きますと多くの人が、レンタルの着物を借りて散策しています。何故あんなしんどいことをするのでしょう。気分がいいからです。楽しみが増幅するからです。
きものなんか着れなくても生活に何の支障もありません。でも時と場所によっては着物のお洒落をすれば一番大切な楽しみが増幅するのです。様々に手段は存在しますが、根本目的は楽しみの増幅です。
少しだけ演出することによって楽しみが増幅するのであれば、手間暇をかけることを邪魔くさがらずに積極的に演出すべきです。
生きて行く上でも最も大切なのは、楽しみ、心の潤いであるという原理原則を理解すべきです。
様々な文化を取得して、生活を演出して、楽しみを増幅させる。それは非常に重要なことで、そのことを理解し実践の出来る人が利口な人なのです。
利口になるためには、無くても生活に何の支障も無い事柄(多くの文化)を多く身に付けていることが、より大きな楽しみに繋がるという理解が重要です。
そういう理解が乏しく実用性ばかりを考えるから、折角、稽古に来たのに出来ないままに辞めてしまうのです。

2014年9月21日日曜日

幸せさがし-61

これも経験がないので仕方がないことですが、着物が着れるようになるという点に付いても、確かな理解に欠けている人がほとんどです。
着付のみでなく様々な事柄に付いて、哲学的に思考することが重要ですから記します。
着れるようになる。その出来上がりは端的に言って下手、普通、上手、美しいとあります。
下手でも着れるようになったことにかわりはありません。お稽古に来ていて、指導を受けながら着付ていきます。そうしてなんとか着れるようになります。「よしこれで分かった、出来るようになった。後は家でお稽古すればよい」と考えて、その段階で辞めて行く方が沢山います。
家で懸命にお稽古をすればその判断は間違いではありません。でもそれだけの強い情熱と意思をもっておられるか。そこが問題です。
お稽古日は一週間に一度です。作成されたカリキュラムというものは、その日お稽古をしたことを、次週のお稽古日までに確りと復習して、その都度、確実に取得していただくと仮定しての期間です。
でも実態はお稽古に来たら、次のお稽古日まで触ったことがないという人が大半です。
着付が出来なくても生活に何の支障もないから、何としてでも出来るようにしなければという強い気持ちがないので、復習なんかしません。それが一般的なのです。
着付のお稽古に行ったことがある人は沢山います。だけども、やっぱり着れないという人が殆どです。それがそのことを実証しています。
着物を着る機会がないとよく耳にしますが、正しい言い方ではありません。きものにも寛ぎ着~普段着~街着~外出着~礼盛装とありますので、その気になれば何時でも着れます。着る機会がないのではなく着ないだけなのです。着なければ折角持っている着物が、箪笥の肥やしのままで終わってしまう。そう思うからお稽古に来られるのです。でも次のお稽古の日まで袖を通すことはないのです。
それが普通の人間であり、自分もその一人なのです。そんな人が何とか着れるようになった程度で辞めてしまえば直ぐに忘れて着れなくなるのは当然です。

2014年9月20日土曜日

幸せさがし-60

現在でも8回無料と唱って、テレビコマーシャルを行って募集をかけている所があります。
テレビでコマーシャルするには大金が必要です。その宣伝費、人件費、必要経費を考えますと莫大な利益を上げないと経営的になりたちません。
無料というのは、無料で教えますから呉服を買って下さいというシステムなのです。
私の学院にも、そこに行ったが着れないので来たという人がいました。沢山買ったと言っていました。また、私も行きましたが、私は絶対に買いませんでしたと話されている人もいました。その話を聞いて私はこの人は好きになれないタイプだと感じました。無料を承知で行けば、無視しきれないのが日本人の普通の心情ではないかと思うからです。強制ではないようです。というよりもどんな場合も強制は出来る筈がありませんが、ビジネスとしては上手な手段です。主催する方に問題はありません。ワンクールで着れるようになることはないのに、お稽古する側の人達は以前と同じことを繰り返しているように思えます。
情報が少ないので、実態を知らないままに、知名度だけで選択してしまうのが一般的傾向ではありますが、知名度の高い所はそれだけ宣伝費を使っています。その宣伝費は大変な高額です。それだけ高い収益を得ているということです。その収益はお稽古する人が支払っています。その原理原則を十分に知って上で、選択されることをおすすめします。
ここでは、その選択の資料として参考にしていただきたいと思い記しています。
着付に対しては「その気になれば着付ぐらい直ぐに出来るようになるわぁー」と安易に考えています。その着付ぐらいと侮っていたものが、実際に行ったのに着れないままに終わっていますので、恥ずかしいから技能面の難しさが世間に広がっていないのです。それが同じことが繰り返す要因の一つになっています。
このことに関しても、美容院に行けば髪のセット代よりも着付料の方が高いのです。それは何を意味しているか。技能習得にはそれだけ日時と経費が掛かるからです。キチット着れるようになるには結構難しいということです。難しいからきもの学院が事業として成立しています。

2014年9月19日金曜日

幸せさがし-59

昔からお稽古事(技能)は「習うより慣れよ」と言います。全くその通りです。
技能がなければ何を使っても下手な者は下手、上手な人は何を使っても上手に着れます。
上手に出来るようにならなければ、楽に着て、着崩れの少ない着付も出来るようにはなりません。道具は何もしてくれめせん、それを使いこなす腕が有るか否かが重要なのです。
技能があれば道具を使わなくても素早く、綺麗に、楽に苦崩れの少ない着付はできます。
それが道理で、道理は一つです。
それが道理だと分っているから、道具を使っているきもの学院では、上のクラスにいけば腰紐の着付けも指導しています。
某きもの学院では入学金と初級科の三か月は入学金と月謝無料という所がありました。
例えば、私の学院では入学金3000円で、初級科の期間は6か月で月謝が4000円でした。初級科は着物の畳み方や、着物に付いての常識的なことを理解して頂き、街着、浴衣くらいは何とか自分で着れるようにすることが目的でした。3000円+24000円ですから、初級科で使う金額は合計で27000円です。
何故、その某きもの学院は入学金と月謝を無料にしたか。入学時に小物をセット販売しますので、入学金と月謝を無料にしても多くの人が来れば、私の所の27000円等とは比較にならないくらいに利益が上がるからです。それでないと駅前の一等地でテナントは借りれません。
そして3か月では着れないことは分っていますので、全ての人は上のクラスに進むだろう。上の月謝の高いクラスで人数が多数定着すれば、これも経営的にプラスになるという策なのです。
この策は、一般の人達の自信過剰と計算高いところを利用した旨い策です。
「3か月もあったら着れるようになるわぁー」、それだったら少々道具代が高くても差し引きそんなに損失ではないだろう。多くの人はそう考えて、その学院に殺到しました。
学院といえども事業ですから利益を上げなければ成り立ちません。
学院、学園と銘打っていても、利益優先に考えても間違いではありません。利益優先を考えたシステムにするか。それとも日本の伝統文化であるお稽古事として、道(技の道、心の道)を重んじた形態にするかという主催者の考え方の相違だけのことです。

2014年9月18日木曜日

幸せさがし-58

大手のきもの学院は新装小物というアイディア製品を使用して着付をしています。
例えば腰紐の着付けは痛い苦しいという理由から腰紐の代わるゴムベルトを使用しています。そのゴム紐の先端の留め具は各きもの学院で異なっているだけで原理は同じです。
私が働いていた芸能界の着付けは新装小物を使用しません。動きが激しいので、ゴムは大きな力が掛かると伸びて崩れてしまうからです。
着付は出来上がりが綺麗で、楽に着れて、着崩れが少なく、そして着ることに時間が掛からない着付が出来れば最高でそれ以上はありません。
その四つの点を分析しますと、先ず綺麗という点に付いては、技能だけの問題で使う小物は全く関係ありません。
次に楽に着るという点でが、私が着付に行ってお客さんが言って下さる言葉は、朝出て行く時と帰ってからとは全く変化がない。また先生に着付てもらうと一つだけ欠点があります。それは結婚式に行くと食べ過ぎてしまうことです。有り難いですね。最高の褒め言葉とは思いませんか。
そうなんです、楽に着れるか否かも紐の扱い方次第なのです。即ち腕次第ということです。
次に着崩れが起らないという点ですが、例えば座礼の時です。座る時に裾を踏みつけて下に引いてしまう形になる時があります。そういう場合に、ゴムは力が掛かれば伸びてしまいます。伸びれば裾合わせが下にずれ落ちて崩れてしまいます。ゴムでは崩れやすいので、芸者や舞妓などの時代衣裳を着る時は昔通りの腰紐しか使いません。腰紐の着付けは苦しいといいますが、扱い方次第です。腕次第なのです。私は腰紐を使っていて苦しいと言われたことがありません。
最後の早くという点ですが、前記していますがhttp://kitsukemeijin.jp を検索して頂きますとYou Tubeにタイム着付の画像をアップしています。腰紐の方が扱いやすくて早くできます。道具を使えば、帯結びを道具にセットしている間に私だったら着付が出来上がってしまいます。

2014年9月17日水曜日

幸せさがし-57

 そんな時に教えている人達から「先生が学院を開校すれば私たちはお稽古に行きます」と言ってくれる人が沢山いました。
日本では学校から就職した会社を辞めれば、条件面でそれ以上の所に就職できることはまずありません。
私は学校から神戸製鋼に就職して。そこを辞めた身ですからサラリーマンとしては駄目人間です。
ですから失敗しても、今のサラリーくらいならなんとかなるだろうと思い、皆が言ってくれる有り難い言葉を受けて大阪で学院を開校しました。
時代衣裳の着付専門学院として開講しました。開校当時は他のきもの学院の先生方が120人くらい来てくれました。
一年間のカリキュラムを組んでいましたが、新米先生としては覚えることが一杯で、あっという間に一年間が過ぎました。来てくれていた人達は大手のきもの学院の先生方です。
私の所には、こんな特殊な着付も自分は出来ますと、自分に箔を付けるために来ていました。
また私には時代衣裳の着付けが出来るようになっても、それを活かして活躍できる場を与えてやれる力も策もありませんでしたので、それ以上お稽古しても仕方がないのは当然の理です。一年経った段階で残ってくれたのは三人だけで、他は各自自分の所属する学院に帰って行きました。
アルバイト生活が始まったのはそれからです。
一年間行って来た中で、時代衣裳の着付学院では成り立っていかなことがわかりましたので、自分の着付から、着せ付け、そして講師養成科、時代衣裳研究科と総合的に指導することに切り替えました。
自分の着付のカリキュラムを編成するに当たって、どういうシステムにするかを考えました。
大手のきもの学院の先生方と知り合って、他の着物学院のシステムは理解していました。

2014年9月16日火曜日

幸せさがし-56

人 から先生と呼ばれるのは魅力のある仕事ですから、多くの人が教室を開きました。
契約金の代わりに高額な小物をセットで何組か購入しなければいけません。高額投資ですから教室開講者は小物を捌くために懸命に生徒を集めました。
着物教室ブームの時は、目をつむって石を投げればきもの教室に当たると言われるくらいに多く存在していました。それだけに本校は大きな利益を上げていたと思います。沿線の各主要駅前の立地条件の良い場所に、沢山の分校を設けていたことがその隆盛振りを物語っていました。
その当時私は芸能界の衣裳担当の仕事をしていまして、きもの学院の活躍を知りませんでした。
1965年に松竹が閉鎖され、続いて大映が閉鎖し、東映は時代劇路線からヤクザ映画路線に変更し、映画もテレビも京都、大阪での制作がすくなくなりました。
私も東京に転勤の話が持ち上がりましたが、東京は好きでないので、何とか関西でやって行けるように一般向きのイベント応援事業として一般部を起ち上げました。その時に初めてきもの学院の存在をしりました。着付を教えている所と聞いて、どんな人達が行っているのか調べますと、私たちからすれば素人の人達が行っているということです。早速京都きもの学院の教室に十二単、芸者、舞妓などの時代衣裳の着付をお稽古しませんかと営業にいきました。
私が営業に行き始めた頃は、既に着付ブームが去って、個人の教室は姿を消して、大手の着物学院の分室しか残っていない時代になっていました。
ブームが去って、各着物学院の先生方も現状のままではという危機意識があったのでしょう。
直ぐに教えて欲しいという人が出て来ました。
芸者、舞妓などの時代衣裳を風呂敷に入れて担いで教えに行きました。特殊な着付であり、衣裳の教材費などをいれますと、結構な講習料になりました。育成して舞台や映画などでアルバイトとして使えば一石二鳥ですから、会社に進言しましたが却下され、東京転勤が具体化しつつありました。

2014年9月14日日曜日

幸せさがし-55

 起業して5~6年は食べていけない。家賃も払えないので様々なアルバイトをしました。
学院で呉服の展示会を始めてから皆さんが協力してくださり、アルバイトをしなくてもやっていけるようになりました。
ここでお稽古事と販売活動に付いて、当初は私も善し悪しに付いて大変なジレンマに陥りました事柄で、皆様にも参考にしていただけるところもありますので記しておきます。
きもの学院の場合は、母体が着物を着る時に使用する、腰紐などの和装小物を製造販売している会社が多いのです。
少しでも楽に着れるようにということから、様々にアイディアを駆使して製品を制作している所です。以前はデパートなどの店頭で、使い方を説明しながら店頭販売を行っているのを見たことあると思います。その販売法を組織的にしたのがきもの学院の前身です。
ですから大手のきもの学院は自社で製作したアイディア製品を使用して教えています。
お稽古をする人は、入学するときに小物をセットで買ってお稽古をします。
この販売法を最初に考えた人は偉いと思います。
一時は入学するのに何か月待ちというように大変な着付ブームがありました。小物はセットで販売しますので大きな売り上げをあげていました。
私は各家庭にお邪魔して着付をする仕事、出張着付を今も頼まれて行っています。
家にお伺いしますと、ほとんどの家で各学院のアイディア製品を持っておられます。如何に着物学院が隆盛を極めていたかが窺えます。
お稽古に行っている生徒さんは、上のクラスを卒業しますと、自分でも教えたくなります。その場合は契約金として、小物を大量セット購入すると教室開講が出来るようになっていました。

2014年9月12日金曜日

甘くて美味しいコーン

コーンを買って来て、焼いて食べました。甘くて美味しかった。味塩を振りかけて食べると甘さがまろやかになり、さらに味に深みが出る感じでした。
そんなことは余話で、言いたいのは私の曖昧さです。
写真はコーンを食べた後ですが、きれい方は妻で、汚い方が私です。
ご飯を食べても何時もお茶碗に一粒か二粒ご飯粒を残すので注意されています。
話すことは結構真面だと思っているのですが、実はだらしない性格ですね。
母からご飯を残すと罰が当たるとよく言われていましたので、妻から注意を受けますと母を思い出して懐かしく受け止めています。

2014年9月11日木曜日

ドイツトウヒ

先日妻と寝屋川公園を散歩していまして、実が沢山ぶら下がっている木を発見しました。
ヒマラヤスギの実に似ていますが、ヒマラヤスギは上向きに実がついているのですが、この木の実はヒマラヤスギよりも実が細長く、下向きに実が付いています。
何という木か調べてみますと「ドイツトウヒ=欧州唐桧」という木です。別名はクリスマスノキと言うそうです。
樹形は円錐形で形が整っていますので、モミの木と同じくクリスマスツリーとして用いられます。モミの木よりもこの木が本来のクリスマスツリーとして用いられていたので、別名をクリスマスノキと呼ばれています。

2014年9月10日水曜日

幸せさがし-54

枚方宿


 子供達の中には、少年少女時代から将来を見据えて懸命に勉強している子供もいます。
でもそういう子供は少数で、多くの子供は確かな目標がなく漠然と勉強しています。
そうして、もう一ついけないのは、「その気になればなんとかなるわ」と思っている子供も少なくないといことです。
子供の勉強の成果には、血筋ということも多少の影響はありますが、それよりも大切なのは家庭環境と、家庭環境が生み出す本人のやる気です・
子供の能力はそんなに差異はないと思います。それよりもやる気が大切です。でも今は少子化で豊かですから。子供の意のままに育てている家庭が多いのが現実です。そのことが子供の意欲を削いでいます。
子供は人生哲学なんかわかりません。甘やかされれば楽な方に傾いていくのは当然の道理です。
私の子供頃は総体的に貧しかったので、中学生になりますと進学やその先にある就職のことを考えて真剣に勉強しているクラスメートは多かったと記憶しています。時代の違いですね。そういう点において時代の相違は感じられますが、現実の社会は何も変わっていません。
具体的な目標がなければ成績に悪影響を及ぼします。その結果仕事が楽しくない。面白くないという結果につながります。そういう具体的な目標のない人には、「お金を人並み以上に稼げる人になれ」という具体的目標を子供に授けてはいかがでしょうか。
現実の社会を見つめてみますと、社会貢献度の高い人は、高い収入を得ています。高い収入を得ている人は、高い確率で仕事が楽しい、生き甲斐だと感じている人が多いので立派な目標になります。

2014年9月9日火曜日

北山植物園(西宮市)

今朝は早朝より着付で芦屋まで行きました。
早くに終わりましたので、久しぶりに北山緑化植物園に行きました。
西宮に住まいしているときは3ケ月に一度くらいの頻度で行っていましたので、久しぶりの訪れです。今日は秋晴れで緑が美しく、清々しい気が漂っていました。
沢山花の写真を撮りましたが、私の好きな「ホトトギス」を紹介します。

2014年9月8日月曜日

幸せさがし-53

枚方宿


 これはあくまでも一般論ですが、お金持ちの家庭は家族仲がよいところが多いのです。
ところが、貧乏をしていますと喧嘩が絶えず家族がバラバラで、大きくなれば子供達は実家にも寄り付かないという光景は多くみられます。「衣食足りて礼節を知る」の諺の如く、お金は人の心までも変えてしまいます。本来お金は、命、健康の次でなければいけないものが、心よりもお金という順序で考えている人も少なくありません。
お金は魔物です。人の心を簡単に変化させてしまいます。それだけ大切なものなのです。
お金は時には、汚く嫌なものとして語られる時がありますが、それは使い方、使われ方においてそう語るだけで、お金儲けをするという観点から見ればお金は崇高な存在です。
お金は使うことよりも、儲けることに崇高で気高さがあり値打ちがあります。
儲けるという文字は「信」と「者」とが組み合わさって成り立っています。これはお金儲けをするには多くの人から信用され、そして自分の周りに多くの人が寄ってきてくれなければお金儲けは出来ないということを表現しています。正にその通りです。
事業をして失敗をすればそんなことを考えるゆとりもありませんので、自分を磨くことにつながりませんが、苦労が実った時は、自己研磨の仕上げという大きな褒美がもらえます。これもお金の威力なのでしょう。

2014年9月7日日曜日

幸せさがし-52

枚方宿


 5~6年はアルバイトをして生活維持と家賃の支払いのために必死で働きました。
必死で頑張っていましたが、しんどいとか苦しいとか思ったことはありません。
石のうえにも三年といいます。昔の人はよく言ったものです。
潰れるところは三年以内に潰れます。入ってくるお金は無くても、事業をやっていると出て行くお金は毎月確実に出て行きます。その分は節約の方法がありませんので、持ち堪えるのは3年ということですね。細々と必死で維持していくことに頑張っていた時に、「お前よくがんばっているなぁー。もう3年経ったから大丈夫やで」と言ってくれた人がいます。まだまだゆとりのある状態ではなかったので、「何時までやって行けるかわからん状態や」と答えながらも、そう励ましてくれることが嬉しかったです。
自分の人生をなんとか有意義なものにしたい。また子供達を大学まで行かせてやりたい。私にはもうこれしかないから一歩も下がれない。これが最後のチャンスであることは分っていましたので頑張りました。
何とか経営的にやって行ける目途が立って、振り返ってみますと考えることは感謝ばかりです。お金儲けというものは、商品ばかりでなく、自分の存在価値が人に承認されるようにならなければ、どうにもならないことが分るようになりました。
誰も同じだと思いますが、当初は自分や家族の生活のことばかりを考え、社会貢献なんてことは考えるゆとりがありませんでした。ところが、なんとかやって行けるようになりますと、お金というものは社会貢献度に比例して入ってくるものだ。即ちお金は高いところにしか流れないことが明確になりました。
私にとって大きな収穫でした。


2014年9月6日土曜日

幸せさがし-51

枚方宿


 私の経験から申し上げれば、高校までに勉強する基礎学力を確りと身に付けておけば、必要に迫られてその気になって必死で勉強すれば、医学、化学、物理などの専門分野は別として、その他のライセンスは独学で取得できるのではないかと思っています。
よく人は向き不向き、器用不器用、才能有無などを理由にしますが、そんなことよりも本当にやる気があるか否かが成就させるか否かの鍵となります。その気になれば、誰もが克服できる能力を有しているということです。
あの有名な建築家の安藤忠雄さんがテレビ出演してお話されているのを聞きました。安藤さんも大学には行かないで、というよりも行けなくて独学で一級建築士の資格を取得され、いまや世界の建築家として活躍されています。やろうと決めてから、建築関係の教本を読破して資格を取得したと言われています。努力と情熱の人なのです。
人は才能有無などよく言いますが、そういうことよりも大切なのは情熱です。
長年お稽古ごとに携わってきて感じていることは、人は自分が出来ないことを様々な理由付けをして自己弁護します。そういう人は、苦労や努力をしてまで情熱をもって頑張る必要がない。頑張らなくても何とか生活していくことが出来る環境にいたから、やらなかったという人です。
私のような駄目人間でも、なんとかしなければ先はない。そう思ったから頑張れたのです。
才能なんか関係ありません。そう成りたい,そう在りたいと思って一歩踏み出せば、諦めれば奈落の底に落ちるだけです。そんな惨めな思いをしたくないから、頑張るのです。芸能界で仕事をしていましたが、現在活躍している役者は、苦労に負けないで情熱を持って頑張った人だけが残っています。

2014年9月5日金曜日

幸せさがし-50

枚方宿




 その後、展示会では順調に売れましたので、自分で仕立ていては捌き切れなくなり、仕立屋も何軒か見つかりましたので、自分で仕立をすることを卒業しました。
そして教える事と、呉服と裏調達と仕立屋に運搬する仕事に専念しました。
私には大きな問題がありました。それは私自身の勉強です。
きもの学院と銘打って運営している限りは、学院の理念、そしてカリキュラム編成、教え方などをまとめ上げておかなければいけません。きもの学院の学院長は、学者ほどの専門知識を求められることはありませんが、長である限りは専門知識を深め、解説できるようにしておかなければいけません。
映画演劇の衣裳を担当していましたので、この時代の礼装、平服はどんなものであったか、その衣服をどう着付けるかは知っていましたが、人に教えることになれば、その程度のものではいけませんので勉強しました。
服飾史の教本を開きますと文字が大変難しくて読めません。例えば平安時代に上級の公家が着ていた上衣を袍(ほう=はう)と言います。その袍には武官が着用する闕腋の袍と文官が着用する縫腋の袍があります。武官の袍は「けってきのほう」文官は「ほうえきのほう」と言います。闕腋(けってき)は腋が縫い合わされてなくて下まで割れている袍のことです。縫腋の袍は腋が裾まで縫い合わされている袍のことです。
難しい文字が羅列されていますので、詳解漢和中字典で一語一語を引いてルビを振っていきます。
物凄く手間の掛かる作業ですが、そんなこと言っておられません。何とかしなければという使命感に燃えていましたので頑張りました。大変な作業でしたが、苦労だと思ったことはありません。
学者の書いた著書は憶測では書けませんので、形態の変遷のつながりが分りにくいので、憶測なども加えて少しでも分りやすいように、古代から現在まで服飾史を私なりに纏め上げました。
http://kitsukemeijin.jp で検索すれば見ることができますので興味のある方はご覧ください。

2014年9月4日木曜日

何年振りかの遊園地

 寝屋川の方に引っ越して来て初めて娘と孫が遊びに来ました。
以前は私たちが住んでいる近くに引っ越してくれて、頻繁に行き来していたのですが、今回は久しぶりの孫との対面です。確りと覚えてくれていて、以前と変わりなく親しんでくれました。
久しぶりですから喜ばせてあげたいので、枚パー(枚方パーク)にいきました。
上の孫はまだ三歳です。アトラクションの中には、4歳以上でないと利用できませんというものも多かったので、4歳と偽って多くのアトラクションに乗りました。大喜びです。
下の孫がまだ誕生日前でベビーカーに乗せていますので、交代で見守りながら大人も楽しみました。
写真は妻と空を飛んでいるような気分が味わえるカイトフライヤーに乗っているものです。
怖いと言いながら妻は結構楽しんでいる顔です。

2014年9月2日火曜日

幸せさがし-49

枚方宿


一回目の展示会は大成功でした。その当時は貧しくて車を持っていませんでしたので、大きな風呂敷に返品する反物と売れた分を分けて包んで、一回では持てませんので何回かに分散させて阪急で室町まで運びました。
当時はまだ呉服業界も元気があった時代です。大手の呉服屋が仕立屋をおさえていますので、なかなか仕立屋を探しても見つかりません。折角売れたのに仕立をしなければお客様に渡せません。
私は着物の寸法直しは出来ました。それは地方巡業に行きますと、現地で衣装合わせをすることがあります。台本を読んで、役者の寸法は分っていますので、役に応じてこれで行ってもらおうと組み合わせをして準備をして持って行くのですが、どうしても衣裳を代えてくれという、本人や演出家から注文が出る時があります。予備を持って行っていますので、それを使用するのですが寸法直しをしなければいけません。そんな時は自分でしていましたので着物のことは分っていましたし、運針もできましたので、売れた分は私が縫っていました。
昭和の50年代です。あるお客様が80万円の訪問着を買って下さいました。一か月先に結婚式があるのでそれまでに仕立てが間に合えば買うということです。
そんな高級な訪問着を縫う自信は勿論ありません。それでもそれ一点で一般サラリーマンの一か月分の利益があるのです。「はい間に合わせます」と約束をして買っていただきました。慎重に丁寧に根性で縫い上げました。精魂込めて縫いました。やれば出来るのです。どうしてもやらなければと強い決意で臨めば、ほとんどのことは成就するのです。

2014年9月1日月曜日

幸せさがし48

枚方の宿


 自分のことで恐縮ですが、私は学歴もなく蓄えもなく、ただ経験によって培った技能が少しあるというだけできもの学院という事業を始めました。そんな状態で始めた事業ですから、当初は物凄く苦労しました。
勿論、始めた事業が継続できるように、そして何とか専業で食べて行けるように、そのことで必死でした。というのは、当初は食べて行けませんので、アルバイトをして繋いでいました。
そんな状態ですから、人の為にとか、社会貢献等ということは全く考えていなくて、自分や家族の生活のことばかりを考えていました。家庭があって子供たちに食べさせなければいけない。住まいの家賃を払わなければいけない。大阪の梅田で開業しましたので家賃は高く、滞ってはいけないので、毎月それを払っていくことに汲々としていました。
銀行でお金を借りられればいいのですが、そんな実績もありません。お金を借りられるようになることは凄いことだ、早くそうなりたいと羨んでいました。
そんな日々が6~7年続きました。ある時、生徒がよく他所で着物を買って来ているのを見ていましたので、学院でも着物の展示会をするから、見に来てくれますかと聞きますと「見たい」と言ってくれました。撮影所の衣裳担当をしているときに、京都の室町に衣裳の仕入れに行っていて、卸問屋をしっていましたので、そこに相談に行きました。
高額なものですから、以前に仕入れに来ていたという程度の実績では反物は貸してくれません。
そこで手持ちのお金を全て持って行って、これを抵当に渡しておくからというと、少しですが貸してくれました。
当時きものの展示会といいますと、高級な食事やお土産付というのが一般的でしたが、そういうサービスは一切なし。その代償として、学院販売ですし、経費もかけていないので、市値よりも安い値段設定で行いました。来てくれた人は率先して買ってくれました。