2014年3月31日月曜日

子供の学校の成績-17

自主性をもたせるには、早くから将来の夢や目標を持つことが大切です。
夢や目標を強く抱いている子供は、それを実現するにはどう備えるべきか、当然分っていますので、親は何も言わなくても自主的に勉強します。
そういう子供には親は健康に気遣い、家庭環境を乱さないようにしてあげれば、放っておいても大丈夫です。
 だけども、自分が何をしたいか。どういう人生を歩みたいかを自分んで決めあぐねている子供の方が圧倒的に多いのです。
決めかねているけれど、充実した幸せな人生を歩みたいという、願望だけは誰しも抱いています。そう感じているから、勉強もしておかなければと思い、自分なりに勉強もしている訳です。ですが、そういう人と早くから目標を掲げて勉強している人とを比べますと、集中力や持続性に差異が生じ、当然成績にも差異が生じ、競争ですから負けてしまいます。そういう目標の持っていない子供に対しては親の役割は大きいと思います。
 誰もは幸せになりたいと思っています。「衣食足りて礼節を知る」です。豊かになれば幸せに近づくことは間違いないのですから、目標のない子供には人並み以上にお金の稼げる人になるように口説いてあげればいいのです。
目標が定まると自ずと、どう備えなければいけないかという話になります。そういう議論の中で子供は学び取れると思います。

2014年3月30日日曜日

子供の学校の成績-16

お金が無ければ幸せになれないことはありません。お金はお金を使って心の潤いを買っているのですから、一番大切なのは心の潤いなのです。ですから食べて行くのに困らないだけの収入があれば、後は考え方次第で心豊かに生きて行くことは可能です。
 社会は厳しい競争です。誰もがその競争に勝てるわけがありません。誰もが勝ち組に入れる訳ではありませ。むしろ数字の上から行けば、上に限りがありますので、負け組の方が多いのです。年収の平均からすれば、平均から下は負け組でしょう。平均から少し上でも勝ち組とは言えないでしょう。平均年収は平均より上の人がはるかに少ないという実態における平均ですから、多くの方は収入だけを取り上げて論じれば負け組に入るのが現実です。
 収入面で負け組になったとしても、人生の幸せは心で決まるものですから、負け組で有っても勝ち組の人たちよりも幸せに人生を送ることは出来ます。
現実にそういう人たちもいますがごく少数です。
 仏教では彼岸に渡れと教えています。それは欲望を断ち切りなさい。断ち切れた人だけが彼岸に渡れるわけですが、幾ら信心に篤い人でもそれは出来ません。
仏門に入っている人でも出来ない人の方が多いのですから、欲望は断ち切れないことは歴然です。断ち切れないのですから、収入が少なくても心豊かに人生を送れるというシナリオはここでは忘れましょう。
欲を捨てることは出来ないのですから、昔の貧しかった時代の人たちのように、人生の目標をこれからの時代は男女を問わず出世をする。そしてお金を沢山稼ぐ人になることに的を絞って、子供を教育して行けばいいと思います。
 「稲穂は実るほど首を垂れる」と言います。お金を稼ぐのは簡単ではありません。むしろ至難のことで、その至難を克服した人だけが経済的にも豊かになり、人間的にも磨かれていきますので、立派な目標となります。

2014年3月29日土曜日

子供の学校の成績-15

 どうすれば子供は自主的に勉強するか。その答えは無いと熟の先生が言っていました。
それは事実だとは思いますが、子供は親によって作られていきます。
だから「子供は親の尺度しか育たない」と言われております。例外は稀にありますが、大方当てはまっています。そのことが証明しているように、子供の勉強、即ち自主性は、家庭環境に大きく影響を受けることは確かです。その影響の受ける大きな源は父と母。そして夫婦の在り方だと思います。
 子供は自分の親はどういう親か、そして父母の夫婦関係はどうかということはよくわかっています。
 子供から見て両親が尊敬できる存在であることは理想です。
ところがそれは難しいのが現実です。子供は親に養われていることは分っています。ですから逆らわないで従順を装っていましても、心では異なる評価表を描いていることの方が多いでしょう。
 真に満点に近い評価表を描いていれば、子供は安心して自分を磨き上げる基地とすることができるので、自ずと勉強にも弾みはつきます。ところが夫婦仲が悪くて何時も喧嘩ばかりしている家庭では、子供は落ち着かなくて勉強に集中できる状態ではなくなります。
夫婦仲良く、そして明るく、親父もお袋も共に前向きに頑張っている。そういう家庭の子供は自主的に自分を磨く努力をすると思います。
でも現実にはそういう家庭は少ない。だから子供だけはと願望を持つのですが、それは理に適っていない親の欲ですね。

2014年3月28日金曜日

子供の学校の成績-14

昨日テレビで名物大家族の近況を放映していました。
三男の行方が分らないだけで後は立派に成人していました。一人だけ就職活動に失敗して、現在は就活中という子がいました。その子と親父が話をしているシーンを見ていますと、子供は就活に失敗した事は「ついていない」というよな捉え方をしていました。
さすがに親父さんです「お前はつきがないと二言目にはつきを口にするが、チャンスやつきは全く関係ないとはいえないが、そんなことよりも自分が本当に頑張っているか否かが重要である。頑張っていなければチャンスやつきは巡ってこないのだ」と言い聞かせていました。
 多くの子供は自分では頑張っている。そう思っている子供の方が多いのではないでしょうか。自分では頑張っていると思っているのに評価をしてくれない。だから巡り合わせが悪い。即ち、ついていないと思っているのです。
 自分の価値は誰が決めて評価を下すのか。それは自分ではなく、他者であることが分っていないのです。
自分は自分はと自負していても、他者がこの子は成績は普通だけどガッツがないので自社には相応しくないと評価すれば、その会社には相応しくない駄目な子供なのです。それが他者でも同じ評価であれば「ついていない」のではなく、頑張りが足らなかった。人のせいではなく自身の責任なのです。
 そういう人生学は親が早くから教えておいてあげないと、子供は自分では頑張っているのに、自分を正当に評価してもらえないとひねくれて、益々駄目な人になっていきます。

2014年3月27日木曜日

子供の学校の成績-13

子供と話をしていますと、「心配せんでもその気になったらするから」とよく言います。例えば、進学に付いても、そんなに焦らなくても、その気になったらそんなものぐらいどうにでもなると楽観視している子供は少なくありません。
 子供たちの世界でも、具体的な目標を掲げて、そのためには何処の大学のどういう学部に入って、どう勉強に取りくまなければいけないのかを考え、日々目標に向けて勉強してる子供がいます。
 この世の中は、環境や諸条件を考えますと、生まれた時から差異があります。
生まれた時から将来を約束されている子供もいれば、私のように義務教育しか受けられない貧乏人もいて全て平等ではありません。
でも万民に平等に与えられているものが一つだけあります。それは一日の時間です。その時間を自分の為に有効に使えば、生まれた環境を乗り越えることはそんなに難しくありません。
 生まれついての天才は論じるのも愚かなほど少数です。全ての人は与えられた時間の使い方で人生は決定しています。それが真理なのに「その気になったらする」などと言い訳で済ませる子供は人生の勝利者になれる筈がありません。
 ここでいう勝利とは社会的地位や名声、そしてそれに付随する経済です。
こういう人生論は若い人には分らない、考えたことが無いという若者や子供の方が多いのです。機会があればそういう人生論を親が子供に話してやって、自立心を育むことも大切です。
 

2014年3月25日火曜日

橋下市長頑張れ

 昨日テレビで橋下さんが会見していました。
それを見ていて橋下さんはやはり熱いと思いました。
様々に批判を受けていますが、熱いと感じる政治家は橋下さんが一番です。
 今の時代に満足していると感じている人は65%いるということです。
そういう状況ですから、性急に改革を望んでも国民は振り向かないかもしれません。でも財政を考え、高齢化を考え、出生率を等を考えれば、ゆとりのある間に先を見据えて改革をしておかなければいけません。
徹底して無駄を断ち切っておかなければ、私たちの子供や孫に負の財産を背負わせてしまうことになります。
 目先の手直しだけで何とかなるような状況でないことは、私のような素人でも周知の事実です。
改革しかないのです。改革となると歴史を見ても分るように富裕層は反対するのが常道です。力を有している層が反対しますので、熱く熱く燃えている人しか改革はできません。
時期尚早という人がいますが、立ち行かなくなってからでは歴史をみてもわかるように不幸な人が多出して遅いのです。
ゆとりある段階で行なう知恵が必要です。満足しているという人が65%も存在する今日に、大改革は至難ことですから、熱く熱く燃えている人しかできません。そういう意味で橋下さんを応援しています

2014年3月24日月曜日

行きつけの喫茶店「MORE」



名物マスターです粋でしょう


 妻は週末の金・土・日と泊りの仕事で、私は独りで留守番です。
私だけでなく、高齢者の独り暮らしは多くなっています。都会は近所付き合いもありませんので、行きつけの喫茶店でもなければ、全く会話しないままで一日が過ぎてしまいます。
 会話もなく一日中テレビばかりを見ていたのでは健康にも悪いし、ボケも早く来てしまいます。
独り者にとっては気さくに会話が出来る近くの喫茶店は必要です。
引っ越しをして、幸いに「MoRE」という、そんな喫茶店が見つかりました。
 マスターもママも気さくで粋を感じる素敵な人です。
コーヒーは美味しい。モーニングは安い、店は清潔感がある。そして何よりもマスターもママも話しやすい。こんな条件の揃った喫茶店は少ないので、引っ越した近くにこんな素敵な喫茶店があることを嬉しく感じています。


・「MORE」の所在地紹介
  寝屋川市三井が丘4丁目13-19
*三井が丘の郵便局の信号機を左折(川の方から上がってきて)して一つ目の交  差点の角にあります


2014年3月23日日曜日

子供の学校の成績-12

 子供は出来るだけ厳しく育てる。厳しくというのは何時もがみがみと怒鳴りつけているというのではありません。乳幼児の時から出来るだけ構わないで、放置して見守るだけにする。構うよりもこちらの方が親にとっては難しい接し方ですが、あえて難しい方を親は選択する。怒る時は、親が顔色を変えて「駄目」と言えば絶対にしないように躾けることが肝要です。。
 女親は、子供を捕まえて怒鳴りつけている光景をよく見かけます。そういうことを何回も繰り返していますと、怒られても怒鳴られるだけですから、直ぐに慣れてしまって、怖くもなんともないとうことになります。そういう状態を続けていますと、最終的には子供は自我を押し通してしまうことになります。
それは自由気儘な欲望の増幅であり、自立心の養成にはなりません。
親が顔色を変えて「駄目」と言えば絶対に止めるように躾ける。それには時には殴りつけて、親は本当に怒ったら怖いのだということを子供の体に叩き込んでおくことが肝要です。親が怒れば子供はピタット止める。そういう親になることが親の最大の課題です。
例えば、店の前であれを買ってほしいと跳ね回って駄々を捏ねて、そこから動こうとしない幼児を見かけます。それを見ていると「この親は駄目な親です」と大衆に恥をさらしているのと同じです。
どんな場合でも例外はありますが、そういう親に育てられた子供は優秀な成績を取ることは無理だと私は思っています。

2014年3月22日土曜日

子供の学校の成績-11

私の子供は女の子ですが、小学校の低学年ぐらいまでは、怒る時は本当に厳しく怒りました。もちろん口先だけでは聞き流してしまいますので、怪我のしないように計算しながら、どつきまわし、蹴り倒しました。
 可愛いから優しくするのは簡単です。でも子供のことを真剣に思えば怒られることの怖さも教えておかなければいけません。
 いけないことをすれば怒られる。怒られれば怖い恐ろしい。だから怒られないように、いけないことはしてはいけない。それを理屈ではなく体で実感させておくことは大切です。
 我々の子供の頃は、親父は怖かった。親父だけでなく先生も怖かった。近所の大人も怖かった。そういう怖さをしっているから、今の子供達のような陰湿な虐めはしなかったのです。
我々の子供の頃も、少数ですが虐められている奴もいましたが、「おい、もうやめとけ」という奴もいました。
 怖い人がいないということは、何でも自分の思い通りに事を進められるという甘えに繋がっていきます。
社会はそんなに甘くはありませんので幼い時に確りと叱って、怒られることの辛さや怖さを教え込んでおかなければいけません。
 だけど怒るのは小学校の低学年までです。小学校も高学年になりますと、自立心が芽生えてきて、親を疎ましく思い親から遠ざかろうとします。そうなりますと真面な会話が出来なくなります。
幼い時に怒ったら怖いという印象付けをしておきますと、その効果は長年に渡って効能を発揮していますから、大きくなったらあまり怒らなくても大丈夫です。
大きくなれば、親の特権で上から目線で言い聞かせるというよりも、時には真面目な話を真面目に向き合って会話をすることが大切です。
親子で真面な話を会話できる親子が少ないのです。

2014年3月21日金曜日

子供の学校の成績-10

最近家事を積極的にしていますので、よくスーパーに買い物に行きます。
大きなスーパ-は食事もできるフロワーがあって、若いお母さんが幼い子供を連れて買い物に来て、ついでに子供と一緒に何かを食べている光景をよく見かけます。
幼い子供を見ていますと、駄々を捏ねてお母さんの言うことを聞かないで、自己主張する子供さんをよく見かけます。
子供をたしなめて、親の言うとおりにさせようと懸命に子供に言い聞かせているのですが、子供は自我を張り続けます。
最後は親が負けて、子供の主張する通りにしています。
 それを見ていて気の毒だけど、この子供は成績の良い子供にはなれないだろうと思ってしまいます。
 子供がいけないのかそれとも親なのか。もちろん親ですね。子供には何の罪もありません。子供は親の都合で作られて行くからです。
 忍耐力があり、自主性があり、持続性のある子供に育たなければ、良い成績を取れる子供に育つことは望めません。子供の性格育成は乳幼児の段階で、基礎的なものができあがります。幼い時は親からいくら怒られても、親が一番で、親にまつわりついてきます。そういう時期に親が顔色を変えて睨みつければ、子供は恐れて、親の言いつけを聞くように躾をしておくべきです。
 乳幼児でも、泣けば親は機嫌をとって、自分のすきなようにさせてくれるという知恵を持っています。だから泣いて自分の思い通りにさせようと悪知恵を働かせます。自分のペースにもって行こうとしますが、そんな手管を働かさせない、親の威厳が大切です。「愛のむち」「可愛い子には旅をさせ」で、旅は突き放す勇気を持たなければいけないということではないでしょうか。

2014年3月20日木曜日

子供の学校の成績-9

 医者の子供はほとんどが医者になっています。
医者になるためには勉強をして難関を突破しなければいけません。
医学部に入学するにはハイレベルの競争に勝たなければいけませんので、小学生の時から夜遅くまで塾通いをして猛烈に勉強しています。
 まだ小学生の遊び盛りの子供が何故あそこまで頑張ることができるのか。
それは親の背中を見て、自分も親のようになりたいという意識が強いから頑張れるのです。
 子供自身が将来を見据えて、自分も医者になろうという意思を固めているから自主的に勉強できるのです。
親から強制されてする勉強はあんなに頑張れません。また強制されてする勉強は自主的に勉強する成果とは大きな差異が生じます。
 子供の成績向上は、自主的に机に向かわなければ成果があがりません。その自主性を養うにはどうすればよいか。それが最大の課題なのですが、その答えはこうすればよいというものは無いと、熟の先生がおっしゃっていました。
明確な答えは無いけれども親の背中を見て、親のことを自慢できる子供は、自主性を高める確率は高くなることは確実です。
 親は社会的に地位が高くて活躍していても、外で女を作ったりして家庭に不和を生じさせる親はだめですね。
夫婦が仲が良いことも、子供は安心できる家庭環境ですから、親の希望する気持ちを受け止める度量が養われ、自主性にプラスすると思います。

2014年3月19日水曜日

子供の学校の成績-8

子供は親の影響を多大に受けて、というよりも親によって作られていくと言っても過言ではありません。
親も自分以上の作品を作れることは稀で、大方は「親の尺度しか育たない」という結果になっています。
そういう現実を私は30半ばでよくわかりましたので、子供に謝ったことがあります。
 上の子の学校の個人面談のあった日です。成績は上中下とあれば上と中の中間くらいだと先生がおっしゃっていました。それでは先の大学進学を見据えた時に世間でいう良い大学にはいけません。
 それも全て親の責任ですから、「今からだったらお前たちをもっと成績の良い子供に育てる自信はある」「でもお前たちの性格が既に出来上がって、今からではもう遅い」「勉強、勉強と難しいことを親が無理強いすれば、お前たちが苦しくなって、その結果親子関係までおかしくなる」「お前たちの成績のいまいちなのはお父さんの責任だから、お前たちは何も気にしなくてよい」「お前たちくらいの成績の者が、何もかも良い点数を取ろうとすれば、全てが中途半端になってしまう。だから好きな学科だけ一所懸命に頑張れ。後は0点でもよい」と言ってやりました。
 何の学科が好きかと聞きますと英語と答えましたので「それでは英語だけ頑張れ」と言ってやりました。
 0点でもよいと言っても、各々には友人たちやクラスメートに対するプライドもあります。また真面な人なら今よりも少しでも向上したいと思うのが人間だから、まんざら無様なことはしないだろうという感じは持っていたからです。
それ以来子供に「勉強しなさい」と言ったことがありません。
それでも立派な社会人になってくれました。そして二人とも英語が話せて、一人は外国で事業をやっています。一人は大企業に入社して頑張っています。
女でも自立して頑張れと言い続けてきた結果です。

2014年3月18日火曜日

子供の学校の成績-7

子供の成績を向上させるには集中力と、その集中した状態を少しでも長く保つ持続性が大切です。そういう取り組みをするには自主的に取り組む姿勢がなければ無理です。
 私たちの中学時代を思い出しますと、スポーツに優れているクラスメートは成績も良かった記憶があります。それは集中力と持続性が優れているからだと思います。
 企業でも成績の良い人、スポーツに優れている人を優先して採用します。
何をするにも集中力と持続性、即ち頑張り通す精神、自主性が重要で、成績もスポーツも基本のところでは、自主性と頑張り通す精神に通じているから、そこのところを企業が評価して採用してくれるのです。
 私たちの若い頃の一流企業はゆとりがありましたので、学校で習ったものは使い物にならない。基本の優れた精神を持った者なら、後は入社してから鍛えたら立派に使い物になるということで、入社してから教育したものです。
勉強が全てではありませんが、自主的に頑張ろうという気のない人は何をやっても大成しないことは確かです。

2014年3月17日月曜日

子供の学校の成績-6

 このように偉そうなことを記していますが、実は私も子供を設けた当時は何も分らず、自分の感情だけで子供を育てていました。
きもの学院を30歳の時に開校しまして多くの生徒さんたちと接するようになりました。生徒さんたちは義務教育ではありませんので自分の意思で来られているわけです。
 貴重な時間とお金を費やしてお稽古に来られています。折角来られているのですから、指導する私としては自分の着付ぐらいは出来るようになって辞めて行ってほしいのです。でも着付のお稽古に来られた大半の人は「お稽古に行ったけど着れない」という人です。
お稽古に来られている人は主婦の方が多いのです。恐らく家では子供達に対して
「頑張って勉強しなければいけない」と叱咤激励されていると思います。
何故そうなるのか。私の学院に来た人にはそうなってほしくない。そうならないように指導しなければいけない。どこにその原因があるかを考えた時に、子供が自主的に勉強しないということと共通していることだと思いました。
そこで、もっと前向きにやる気を持ってもらうにはどう指導すべきかを考えました。そんなことで自分で言うのは憚られますが、精神的には大いに成長できたと自負しています。
大人も子供も同じです。「自分でやるんだ」という自主性がなければ大きな成長はないのです。

2014年3月16日日曜日

子供の学校の成績-5

子供をこう育てれば成績優秀な子供に育つという定義のようなものはありません。でも子供は自分の力で育ち、性格育成をしていくものではありません。大方は親の影響を受けて育成されていきますので、親の自覚、認識に依るところが甚大であり、その育成の仕方によってプラス作用が働くことは確かです。
 その育成法ですが、「三つ子の魂百まで」の諺の如く、乳幼児の期間が性格育成にとって最も大切です。でもその時期は親自身が、親になりたてで、その上にまだまだ人生哲学を理解できていない年頃です。自分は人生に付いてまだまだ未熟な理解しか出来ていないのだと自覚している親は稀です。
血気盛んな年齢で自信に溢れている年頃でもありますので、自分は何でも分っている、自分は最高だと殆どの人は思っています。
「亀の甲より歳の劫」「医者と坊主は老人がよい。酸いも甘いも知っている。無駄に鳥居の数をくぐらず」と言われているように、手短な所に指導者となりえる親や親せきや知り合いの老人は沢山います。でも老人の経験を敬う気持ちは全くありません。ある医者はこう言っていた等と、若いママ達は子供の為に様々に参考資料を入手してきます。健康のことは医者に任せることはベストですが、医者よりも人生の理解度の優れている老人の方が多いのです。
お金に苦労のない、「ありがとうございます」と畳に頭を擦り付けるくらいにお客様を貴んで挨拶をしたことない人達よりも、人生哲学を理解者している老人は沢山いる。そういう老人を敬い、意見を求める謙虚さを持たなければ、優秀な子供に育つとは思われません。

2014年3月15日土曜日

子供の学校の成績-4

 子供は柔軟な頭脳を持っていますので、集中して机に向かえば勉強の効果は上がります。子供の成績アップには自主的に取り組むようにさせることです。
繰り返しますが、子供の成績は記憶力できまり、その記憶力は集中力と、その集中した状態を如何に持続させるかにかかっています。集中力と持続性が成績向上に最も肝要なことですが、それは自主的に机に向かわなけれが発揮できません。
 自主性を如何に高めるかが成績向上にとって最大の課題です。
集中力、持続性ということになりますと、これは性格育成に関わってくることです。どう育成すれば、必ずこうなるという手引書はありませんが、大いに参考すべき事柄はいくつかあります。
その一つは、子供は親によって作られていくという事実の認識です。
出来上がった性格は容易に変えることはできませんので、子供を育成する親の認識と自覚に大きく関わってくるという自覚が大切であるということです。
 子供の虐待ということが報じられますがそれは極稀な例で、どんな親でも自分の子供は可愛いです。可愛い存在ですからついつい構ってしまいます。でも子供にとってはあまり構わない、手助けをしないことのほうが自立心を育成出来るという親の認識が大切なのです。
子供は可愛い存在ですから構いたくなりますが、構わないで突き放して見守る。
そちらの方が親にとって難しく、つらい愛情表現なのですが、あえてそちらを採用する育成法が、子供にとっては良い効果を呼ぶという認識を持つことです。
親は親自身の気持ちと感情を優先させて子供を育成しますが、親の気持ちよりも子供にとってどうあるべきかを優先させて育成することが。より大きな愛であることの自覚が先ず必要です。
 

2014年3月14日金曜日

子供の学校の成績-3

タレント達を生徒にして熟の先生が、子供の教育に付いて講義をしていたテレビ番組があり、その中で一番関心の高い質問は、どうすれば子供は自主的に机に向かうかということでした。
それに対して熟の先生は「その答えはない」と言われていました。
 子供は親から叱咤されて机に向かっても集中力と持続性に欠けますので、勉強の成果はあがりません。タレント達はその理屈はよくわかっているようなのですが、どうすれば自主的に机に向かって勉強するか。それが分らないから聞きたいということでした。
 自主的に机に向かう、それが最も大切であることは確かですから、その点に付いて核心をついた質問をすることはあっぱれです。
 先生はその答えは分らないと答えておられました。それも確かですから、そういう質問をぶつけることそのものが、あっ晴れとはいえないかもしれませんね。それが分かれば、全ての子供が良い成績を取れる子供になります。それが分らなくて親たちが様々な思惑で子供を育てて行きます。
子供は親の尺度しか育たないと昔から言います。親の尺度を超える子供は少数です。親の尺度に届けば良い方で、親の尺度にも届かない子供が多いというのが現実ではないでしょうか。
「子供は親の尺度しか育たない」その格言からすれば、子供は親によって作られて行くことは確かです。親が自身を顧みて、それ以上のものを子供に求めても仕方がなと思うことも大切ですね。そう思える親はあっぱれで、そう思える親がいれば、その子は必ず親を超えるような気がします。

2014年3月13日木曜日

子供の学校の成績-2

熟に行くと算数、数学は基本的な数式の解きかたを覚えさせたら、応用問題は沢山の問題集に取り組ませて、問題集の解き方に慣れさせ、覚えさせる指導をします。
このことで分かるように、学校の成績は習ったことを如何に多く記憶しているかで決まります。習ったことをキチット記憶している人が良い成績を取れます。これ以外にありません。
 その記憶力を増幅するには、集中して勉強に取り組み、その集中して取り組む時間を長く保てるかで差異は生じます。
 子供は柔軟な頭をしていますので、集中力と持続性が保てれば必ず成績は向上します。その集中力と持続性は、親から注意を受けたり、怒られたりして勉強しても集中力や持続性は保たれません。
 集中力や持続性にとって一番大切なことは自主性です。人から言われなくても自主的に勉強をする人は集中力や持続性が増幅して、それだけ記憶力も高まります。
親に叱られて机の前に座っていても効果があがらず、勉強はますます嫌になることを親は理解すべきです。
 勉強には自主性が最も大切で、その自主性は「三つ子の魂百まで」で、幼い時からの親の躾や、親自身の生き方、そして子供との接し方という、広範囲の親子関係や家庭環境というものに関わってきます。

2014年3月11日火曜日

子供の学校の成績-1

 9日の日曜日の夜だったと思います。塾の先生がタレントを生徒にして子供の勉強に付いて講義をしている番組がありました。チャンネルを回していて偶然にその番組を見ました。
私も芸能界で仕事をしていましたので、芸能人をよく知っています。私の印象では賢くて頑張り屋さんが多いと思っています。
でも子供の教育に付いては、テレビを見ている限りでは、皆さん若くて、十分な認識を持っておられないと感じました。
 一般人も同じです。若い主婦の皆さんは子供を通じての付き合いが多くて、自然と子供の話が主になります。知り合いというか、友人たちで話す時は何でも分っているように「こうすることがよい。こうしなければと」話し合っています。
でもそういう子供の教育に付いて熱心なお母さん方に「子供学校の成績は何で決まるか分りますか」と問いますと、論理的に説明できるだけの認識を持っておられると感じられない人が多いのが現実です。
 わたしはきもの学院を運営しているときに、子供の勉強もお稽古事の上達も同じですから、よくそういう話をしていました。


2014年3月10日月曜日

竹が吉祥とされているわけ

中國の故実によるものです。
中國では瑞鳥である鳳凰は桐の木に宿り、竹の実を食べて成長するというところから、慶壽の直物とされていました。
確かに竹は松と並んで慶寿の言葉に相応しい植物です。
 そして、竹は霊的なもので神霊の依代(よりしろ)として、また招代(おぎしろ)として現在でも神事には必要な植物とされ、七夕や地鎮祭にも主役として用いられています。
また寒い冬にも色を変えず美しさを保っていますので、松と梅と結びついて、歳寒三友(松竹梅)として、日本では最高の吉祥として扱われいます。

https://www.youtube.com/watch?v=_zZVyfUfSD4

2014年3月9日日曜日

竹と人間

竹も松と同じく色彩が美しく、多彩で佳麗なために多くの人に愛され親しまれています。
 延びと弾力性も強く折れにくいので、これを人生に例えて節操の堅いこととして賛美されています。節操とは信念を堅く守って変えないことです。
 ところで人のことを「人間」と言います。何故人の後に「間」という文字を配し、そして何故「間」なのかをふと思い浮かび考えてみました。
 人は生類学的な名称で、人間と言えば社会で生活を営んでいる人を意味するのだと思います。何故ならば「人間」という意味は、人の住む所、世間、世の中、世間、人がらなどという意味があるからです。
 それでも何故「間」なのかは疑問が残ります。
人は安全で安心して生活が出来るように、太古から社会という人の群れを構築して生きてきています。人と人とが共生して生活をしていくには、竹のように規則正しい間隔、節操という精神面での自立した間隔が最も大切だからではないかと勝手に思っています。
竹を見るときっとそうだと思ってしまいます。

2014年3月8日土曜日

関東煮と「おでん」



 昨日は妻は仕事でおりませんので、夜の夕食は関東煮(かんとだき)で過ごしました。写真は「おでん」風で煮ました。大根は煮すぎです。
 近年は関西でも「おでん」が通称になっていますが、私たちの子供の頃は「おでん」なんて言葉はしりませんでした。練り物を主に、様々な具材を入れて沸騰するまで煮る調理方です。
 JRの大阪駅のガード下には有名な関東煮の店があって、様々な具材を入れて沸騰するくらいに煮ています。出しは様々な具材のエキスで濁っています。いえば濃厚なだしの味で頂くという関東煮そのものです。これが関西での通常の関東煮です。
 私も母の作っていたのを見真似で作っていまして、母も関東煮の方です。
関東では出しは澄んだ状態で煮ます。最近コンビニでおでんが売られていますが出しが澄んだものです。
 大根はよく煮て、出しの浸みこんだ柔らかい大根が好きという人も多いのですが、食べる時は大根の風味は全くなく、出しの味で頂くという状態になっています。様々な具材の旨みが出しとなった関東煮も美味しいですが、私は最近は出しの澄んだおでんも美味しいと感じています。
沸騰するほど煮込むと出しに旨みが出ますが、具材の旨みが抽出して、具材そのものの旨みが損なわれます。
大根でも箸で少し力を加える程度に煮て食べると、大根そのものの風味が味わえます。また高級な練り物は煮込まないで中まで温まるくらいで頂けば、練り物そのものの旨みが味わえます。見込むと旨みが出しとなって抽出してしまいます。

2014年3月7日金曜日

矛盾だらけの政治

今朝妻と散歩をしていますと某党のポスターに「増税反対もとにもどそう」と書いていました。言葉は違うかもしれませんが四月から実施される増税に反対して元に戻そうというものであったと思います。
 私のような低所得者には増税はジャブでなく、ストレートパンチをもろに受けたくらいにダメージがありますから基本的には反対です。
 でも国の財政事情を考え、また既に決まって準備万端の整ったこの時期になって、増税をしないで元に戻そうなんてスローガンを掲げられると白けてしまいますね。
 今更現実味のないことを言うよりも、もっと現実的に「無駄をなくそう」のスローガンを掲げて戦ってほしいものです。
 増税反対などと言いながら無駄を切ることができない。なぜなら支持母体が労働者層ですから、人員削減には積極的になれないからです。
しがらみのある党は行革はできないですね。だけど口では支持を得るために行革を口にする。いつまでこんな茶番劇が続くのか。その責任は国民にあると私はおもっています。
 このように吠えているのは私のように下級階層の者だけで、現在は豊かで悠々と生活の出来ている人が多いので、いくら吠えても容易に世の中は変わりませんね。
歴史を見ても、もし変わる時は日本がおかしくなっている時ですね。
孫が活躍する時代には、大きな苦難が来る気がします。
その時はもう自分たちはいないからと言っていられないですよね。

2014年3月6日木曜日

お金を稼ぐことの大切さを教える

サラリーマンを辞めて事業を始め、子供は小学校の5~6年生になる頃には、お金は自己を評価するバロメータであることを、私自身が理解できるようになっていました。
 お金は高いところに流れます。その高い所とは、社会に対して貢献度の高い人ということです。世の中に対して、また所属する事業所に大きく貢献している人にお金はより多く流れます。これは自由競争社会の鉄則です。
 社会に大きく貢献できるようになるには、特別な資格を取得して活動する。
勤め人は会社で偉くなる。事業主は多くの客から承認されて繁栄するようにならなければいけません。
 貢献できる人になるには、並ではなく優れた技能、知識を有して実践し、自分の存在価値を承認されなければ実現しません。正当に稼ぐお金というものは、その人の努力、人格等に密接にリンクしています。
 ですから正当にお金を稼げる人になることは立派なことですから、私の子供は女の子ですが、これからの時代は男女関係ないと思いましたので、お金の稼げる人になれと教えました。
 学校の成績が悪くても、目標を掲げて進む道で頑張れば、人並み以上にお金を稼げる人になれます。頑張ればすべての人に期待と希望の持てるのが自由社会です。

2014年3月5日水曜日

七人目の孫誕生

 昨日は長女に三人目の次女が誕生しましたので見舞いに行きました。
少子化の時代に三人の子供を儲けるとはあっぱれです。
まだ上の長男が満二歳になったところですから母親は大変だと思います。
要請があれが手助けに行ってやりたいと思っていますが、頑張り屋さんだから手助けの要請なく恐らく頑張り通すと思います。
 妻は重度障害者の介護の仕事をしていますので仕事が休めませんので、娘の旦那の親御さんに大きく負担が掛かっている事だけが申し訳なく感謝しています。
 孫は可愛いですが、私たち爺婆の口出しできることでもないので、ただ子供や孫の無事を祈るだけです。
 先ずは健康に育って欲しい。そして素直であることは自己高揚に大切な要因となりますので、出来れば親の言うことを素直に聞ける素直な子に育ててほしいですね。
そのためには、我が子は可愛いから自然と可愛がって甘やかしますので、厳しさの大切さを自覚して育てられることを、親御さんなられる全ての方々にお祝いの言葉として送りたいと思います。

2014年3月4日火曜日

子供との接し方(思い出)

 私には二人の女の子がいます。私たちの若い頃は、女性は良い人を見つけて、そういう人と結婚することが一番幸せと考えられていました。その良い人とは経済力があって健康な男性ということです。
時代は変わりましたが、基本的に親の子供に対する願望は同じではないでしょうか。
 結婚をして年月を経ると、男女愛は生涯を通じて生き甲斐として生きて行けることは皆無である事は分るかっているからです。そのことは私は若い時から分っていました。
ですから、これからの女性は男に頼るのではなく、互いに助け合って生きて行けるように、そのためには女性も経済的に自立できるようにしておかなければいけないと言い聞かせて育てました。
 お金が全てではありませんが、充実した人生を送るにはお金は大切です。
だから女性といえどもお金を稼げる人にならなければいけないと教えました。
例えば、OLになるにしても一流企業と零細企業やアルバイト生活とを比較しますと、生涯年収に大きな隔たりがあります。また福利厚生面でも大企業は充実しています。
同じ働かなければいけないのであれば、どちらが得をするかは明白です。
 子供はそういことはわかりませんので、出来るだけ早くからそういう世の中の仕組みを教える。それを教えるのは親の役割の一つであると考えて、幼い時から言い聞かせていました。
でもそういう真面な話を子供と出来るようにするには、幼い時から親の話を真面目に聞く躾と環境が大切です。
子供と真面な話を膝を突き合わせて話が出来る。そういう環境づくりの出来ていない家庭が多くみられるように思います。

2014年3月3日月曜日

「子供は社会の預かりもの」的を得た言葉です(2)

親も祖先も社会の中で、支えられて生活出来ています。
社会というのは人の群れという意味で、その社会を束ねて運営しているのが国であり地方自治体です。
国が崩れれば社会全体が不安定になり、個々も安全で安心して生活していけなくなります。
 平和に時代が推移している時は、個人と国との関係は考えもしませんが、戦争などの有事ともなれば個々の幸せなど考えられなくなるのが現実です。
 平和ボケをいてるということは、国と個人との密接さを、考えないで過ごしている人が増えているということではないでしょうか。
 個人が生きて行く上で大きく恵みを受けているのは社会です。
だから健常者は各々の能力に応じて、応分に社会に借りを返さなければ行けないのです。
 儒教精神が色濃く残っていた時代は、個人よりも国を重んじて生活していました。国を良くすることが出来れば、個々の生活も向上する。そういう思想の下に子供は社会に大きく貢献できる子供に育てるのが親の役目であると考えていました。
 子供に対する最も大きな愛情は、自主性のある、そして少しでも早く自立出来るようにしてあげることだと私は思います。
そういう観点からすれば、自分の子供に対しても客観的に捉え、立派な社会人になるために、ひと時は親が預かって育てていく。そういう気構えで子供を養育した方が、子供は早く自立できる子供に育つと思います。

2014年3月2日日曜日

「子供は社会の預かりもの」的を得た言葉(1)

 自由社会に於いては「自分自分」と利己的に考える人が増えています。
自分という存在を考えますと、親がいて自分がある。親がいなければ自分は存在しない。親がいなければ育っていかないのかといえば、そんなことはない。
社会が代わりに育ててくれる。
 親はまたその親の爺婆に育てられて存在していた。祖先,即ち仏と言われる人たちは自分たちの力だけで育って来たのか。
 太古の原始時代は各々が孤立して生きていた。だけども集団を作って生きて行く方が安全で安心して、そして楽しく生きて行けるから社会という人の群れを作って住み始めた。自分が安心して生活していくには、社会が安全で安心の出来る状態でなければ、個々の幸せの追及は望めないのは現実です。
 社会を構築して、社会の中で生活をすると、個人がいくら頑張っても及ぼす力は微々たるものです。微々たる力の寄せ集めで社会は構成されている。
自分は「頑張って働いている。誰の世話になったことがない」という人も少なくないが、そういう人も現実には社会という集団の中で、集団の力によって生かされている。それが分っていないからそういう風に言えるのです。
 また、陽や水が無ければ人間は生きて行けません。神といわれる大自然の恵みで生きて行けてます。そこが自分が生きて行けてる根本でしょう。
だから時には神社に行って、どんな状態で生きておろうと、生きて行けてることの感謝の祈りが大切なのだと私は思っています。

2014年3月1日土曜日

親たちを見ていて感じること

必要に迫られて、やらなければ仕方がないという状態に陥れば、頑張ることもできますが、そういうことがなく自然の流れのままに任せれば、誰もが辛い事やしんどいことは回避したいので、楽な方に流されて堕落して行きます。子供でも大人でもそれは同じで、人間というのはそういう動物です。
 「三つ子の魂百まで」「雀百まで踊り忘れず」という諺の如く、三歳ぐらいまでに基本の性格が作られていきます。そして幼い時に作られた性格は簡単には変わりません。
 子供は真っ白い画布のままに生まれてきて、三歳くらいまでに親の色彩を採りこんで、自分という作品を作り上げて行きます。
その色彩には我慢する、辛抱する、注意されたことには従順に従う。
厳しく躾て、そういう色彩を加えた、自分づくりの作品が作成出来る様に導いてやるのが親の責務です。
ところが子供可愛いさに甘やかせて、それが出来ていない親が増えているように思います。 
 昔は「子供は社会の預かりもの」と言っていました。今はそういう意識で子供を育てている親は少ないでしょうね。
斯く言う私も分っていませんでしたが、三歳くらいまでの躾が大切で、厳しく怒らなければいけないことだけは知っていました。