2012年11月29日木曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No3

高度成長期は本当に良い時代でした。企業は人材育成に力を注ぎ、入社してから勉強をさせてくれました。
養成校の日課は、平日は3時頃まで毎日勉強です。授業が終わると仮の配属職場が決められていましたので、その職場に行って定時の5時まで仕事を手伝います。
土曜日は午前中だけの授業で午後から職場です。一般学生は午後からは授業もないので自由ですが、私たちは5時の定時までは仕事ですから、一般学生とは逆に土曜日は嫌いでした
 3年生の時は工場見学という名目で修学旅行にも連れて行ってくれました。
横浜、東京、日光、鎌倉の5泊6日です。勿論費用は一切不要です。
あっという間の楽しい3年間でした、養成工の3年間が終わり配属が正式に決まりました。
 炉で鉄を熱して冷却して、鉄の組織を用途に相応しい組織にするという仕事場です。鉄は熱する温度と時間とそして冷却する時間によって組織が異なります。組織によって固くなったり柔らかくなったりしますので、用途に応じて炉で組織づくりをするのです。
炉を熱していますので、年中火は消せません。正月も特別手当が付くので希望者を募り炉を熱していました。そんな仕事ですから勤務内容は3交代でした。日曜日は炉の火を絶やさないように、炉の火を熱する者だけが志願で出勤して後は休みです。
明けの月曜日から一勤は朝の6時~午後の2時まで、二勤は午後の2時~9時迄、三勤は午後の9時~朝の6時までというように一週間ごとに交代します。
 若いので遊びたい盛りです。遊ぶには三交代は非常に中途半端なのです。
一勤はいいのですが、二と三勤は相手も勤めがありますので、デイトをしていても時間に限りがあって、まったく会えないのです。そんなことで次第に仕事が嫌で仕方がないようになっていきました。

2012年11月28日水曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No2

入社試験の当日は風邪気味で熱があって調子が悪かったのですが、就職担当の先生が試験場まで来てくれまして、熱のある私を気遣ってくれました。
先生からそこまで親切にしていただいたのは初めてのことで、少し戸惑いましたが、その先生のことは今でも強く印象に残っています。
入社してから分かったことですが、親が永年勤続で真面目に勤め上げている人の子供たちが多く採用されていました。即ち縁故採用が多い中での入社でした。
 入社が決まると親は大変喜んでくれました。親を招待しての会社説明会がありまして、珍しく親父もきてくれました。入社記念に銀のスプーンセットをいただいて親は感激していました。
 入社して直ぐに人事部に呼び出されました。生年月日が提出した履歴書と謄本が違っていたからです。通常はそういう不正があれば入社取り消しになるところですが、母からそのように聞かされていたと弁明して許していただけました。
 母はどうして間違った生年月日を私に教えていたのか。生まれた月はあっていたのですが、年も日にちも違っていたのです。
親が子供の生まれた日を間違うだろうか。疑問でしたが母に問い質すことなくその日から自分の生年月日を変えることにしました。
 その時についでに注意を受けました。君の入社試験の成績は英語は100点、あんなに心配していた国語と社会は70点台で理科も90点台で、自信のあった数学は何故か振るわず60点台でした。
数学が悪いので数学をもっと勉強するようにと宿題をあたえられました。

2012年11月27日火曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No1

中学を卒業するまでは流れのままに生きて来たというのが大方ではないでしょうか。
私は家が貧しかったので中学を卒業して就職をしました。
私たちの時代は一クラス50人以上おりまして、クラスの3分の1くらいは就職をしましたので、中学卒で就職をすることは珍しくはありませんでした。
井沢八郎の「ああ上野駅」という歌謡曲が大流行した時代です。
地方から東京や大阪の都会に沢山の中学生が集団就職で来た時代です。
第二次産業が一番元気のある時代で、現場で働く中学生は金の卵ともてはやされた時代でした。
わたしもその一人でした。
何処に就職をするか。私の親は一言も助言はしませんでした。親父は自分が働いたことがないのでわからなかったのでしょうか。恐らく何処でも良いから働いてくれたらよいと思っていたのではばいでしょうか。
就職担当の先生は「飯山君は神戸製鋼がよいのではないか」と勧めてくれました。
私も第二次産業が一番華やかな時代で、その中でも一に八幡、二に富士、三に住友、四に神戸製鋼、五に川鉄とランクされていることだけは知っていましたので「そうします」と返事をしました。
社会に門出の最初は自分の意思を通すほどの知識はなく人の勧めるままでした。

2012年11月26日月曜日

エイトについて


エイトにバージョンアップすれば簡単に使えると思って入れたのですが
私と妻のパソコン二台とも不具合が生じて使えなくなり、二台とも
二日間入院してやっと帰ってきました。全快したのかと使ってみますと
できないことが多くて使い勝手が非常に悪いのです。
例えば、7ですと全てのプログラムを開けばそこにアクセサリがあってその中に
ペイントがあるというように簡単に開けるのですが、アクセサリのアプリが全ての
アプリの中にないのです。DVDに書き込むにしてもそのアプリがないので
何処から引き出すのかそれがわかりません。
あまりにも使い勝手が悪いので私の妻は新しく7を買いました。
私は今そのゆとりがありませんので、そのまま使っています。
様々に失敗をして分かったことは、バージョンアップするときは前のデーターを
全て抜いて初期状態にしてから入れると比較的不具合が生じなくてエイトにバージョンアップ
出来るということです。それでもテレビを見れる分はテレビが見れなくなります。
エイトを使用したい人はバージョンアップではなく、最初からエイトの機種を
買うべきですね。
もしするのならパソコン工房等に持って行ってやってもらうべきですね。
その場合はソフト代も入れて1万円くらいです。

2012年11月25日日曜日

料理の五法


禅宗では料理を作るのも、またいただくのも大切な修行とされています。
料理の作り方にも五法というものがあるそうです。
 五法とは生、煮る、焼く、揚げる、蒸すの五通りです。
たとえば豆腐を例にしますと、そのままいただく。湯豆腐にする。焼豆腐にする。揚げ豆腐にする。和え物にするというように、様々に工夫を凝らせて偏らないように料理しなさいというものです。
 ところで写真はすき焼きですが、最初は椎茸、白ネギ、糸こんにゃく、豆腐、玉ねぎというのがわが家のすき焼きの具ですが、二度目はそのまま残りをいただき、三度目は白菜などの葉物を煮込みます。それで終わりではなく最後はうどんを入れていただきます。写真は三度目です。
五法とは少し違うように思いますが、貧乏人ですから工夫していますよ。

2012年11月24日土曜日

京都永観堂

東山を背に大きな庭に紅葉が真っ赤に燃えてに錦織りなして
います。
皆さんも様々なところに紅葉狩りにいかれていると思いますが
きょうはその紅葉をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=yQ7nL6zsezU

2012年11月23日金曜日

鳩山さんの政界引退

引退の会見を聞いていますと、波乱万丈の人生でしたと言っておられました。
人間には欲望があります。その欲望のために様々に模索し実現を目指して頑張る。
そのために様々な障害を乗り越えて克服するための努力をし、同時に苦労も味わう。
それは当たり前のことです。それを苦労と言うのでしょうか。
私も起業をして大変な苦労をしましたが、自分の将来のためにやっていることですから、苦労と思ったことはなく、むしろ楽しんでやっていました。
サラリーマンと自営業の大きな違いはそこなんです。
自分の欲望のために頑張り、成功すれば大きな喜楽を手に入れることができる。
だからいくら苦労をしても頑張れるし、苦労をしてもそれは楽しみと変化していけるのです。
鳩山さんは人臣を極めた人ですが、私のように食べるための苦労なんかしたことがないでしょう。
私の苦労なんかと比べると「月とすつぽん」で比較対象にはなりません。
それでも波乱万丈であったと回顧する。そのずれている感覚が煮え切らない政治に直結していたのです。それは鳩山さんだけでなく生活の苦労の知らない多くの政治家にあてはまります。真の苦労を知らないから口先ばかりの政治家になってしまうのです。

2012年11月22日木曜日

選挙に行こうね


12月に行われる選挙の争点は、従来通りの体制のままで行くのか、それとも改革を選択するかという選挙になるのではないでしょうか。
自民党の従来通りの政策遂行では成り立っていかない。それを国民が感じていたので民主党に期待をかけて選択しました。見事に裏切られました。
難しいことは分からなくても、このままでは立ち行かない。それを体で国民が感じ取っているのです。
改革が必要であることは分かっているのですが、それを本当にやってくれるのか。
民主党の体たらくで国民の意識は益々疑心暗鬼に陥っているのではないでしょうか。
 でも今度は本物がでてきています。石原さんと橋下さんは首長を経験してこの国の体制のよからぬ点を熟知している人です。また渡辺さは行革を任されて孤軍奮闘して、自民党の体質に嫌気をさして単独で楯突いて辞めていかれた人です。三人とも筋金入りの兵ですから、政権を取れば改革はしてくれると思います。
改革は全て良いとは限りませんが、このままの体制では成り立っていかないことはすでに答えは出ています。
答えが出ているものに任せていては成長はありません。改革には勇気と覚悟が必要です。
今の日本は結構お金持ちが多いので、保守的な人が多いのでどういう選択をするか興味深いです。

2012年11月21日水曜日

国を動かすのは私たち

いよいよ選挙ムードに入り、街頭でインタビューをしているのを聞いていると相変わらず「何処に入れても変わらないでしょう」という人がいます。
そんなことはないのです。政治家は役者で動かすのは私たち国民です。
確かに私たち国民は個々の政治家の人格はわかりませんが、現在は政党政治ですから、どの党が何をしてくれそうかはある程度わかります。
 今回は見事に民主党に裏切られましたが、民主党は必ず国民から鉄槌をくらわされるとおもいます。
期待をかけたのに裏切れば、支持率が下がり解散に追い込まれていきます。
期待をして裏切れば容赦なく選挙で鉄槌を食らわせればいいのです。
国民が積極的に選挙に行って容赦なく選別をしていけば必ず良い方向に変わります。
国民が確りとした意識をもって選挙に行くことが、国を良くし将来の子供や孫のためになるのだという認識が大切です。

2012年11月20日火曜日

瑞宝寺の思いで

妻が最初に私の家に遊びに来たのが3年前の8月です。
その年の11月に瑞宝寺に行きました。その時は車がなかったので阪神芦屋から有馬行きの
バスで行きました。芦有で行くのですが、バスを降りますとすぐに細い山道を
上がっていきます。林を抜けると民家のある写真の道に出てきます。
そして最初に迎えてくれるのが次の写真の大きな紅葉の木です。そしてすぐに
瑞宝寺公園の燃え上った紅葉が迎えてくれます。
緑あり、萌黄あり、黄色あり、オレンジ、紅ありとまさに錦織りなす光景です。
自然が織りなす素晴らしい光景、これは同じ場所でも毎年異なった光景を
見せてくれます。
妻と私が元気なうちは毎年見に来ることを誓って帰ってきました。

http://www.youtube.com/watch?v=BF4mdFvT3SE  瑞宝寺の写真です。

2012年11月19日月曜日

石原さんの青春


 青春は青い春と書きます。春は樹木は青く芽吹いてきてこれから育って行く出発の時期です。青は今はブルーですが昔はグリーンでした。
女の子の産着や七五三の着物には必ずこれから大きく育って行く春の草花を友禅で描きます。
春は昔から将来に大きく羽ばたいていく象徴とされている季節ですから、年に関係なく夢を抱いて実現を目指して頑張っている人は青春をしている人と言えます。
 そういう意味では石原さんは80歳にして青春真っ只中で頑張っておられます。
暴走爺などと言っていますが、80歳で暴走できるなんて素晴らしいとは思いませんか。
この暴走爺はもう我欲はないでしょう。橋下さんと気の合うのはお互いに地方の首長をしてきて日本の制度の欠点を知り尽くしているからでしょう。
我欲なく。我欲とは物質的利益を得る欲をなく、日本のために最後の死に花を咲かそうと情熱を発揮されているのだとおもいます。本当に熱いです。この熱血は信頼できると確信します。
よい死に花を咲かせてあげることが、日本のためになるだろうという気がします。
気迫のない若者が増えていますが、石原さんを見習ってもっと青春をしなければいけませんね。
 

2012年11月18日日曜日

野田さんの覚悟の弱さを見る


 最後の党首会談では解散をする決意を固めて臨んだ場ですから
野田さんは迫力ありました。あの場だけでいえば完全に野田さんの勝利
という迫力でしたが、決意をするまでは優柔不断でした。
消費税反対を唱えていた人が国民に対する約束を裏切って、三党談合で
強引に消費税法案を通した。その見返りに近いうちに解散という言質を取られて
しまった。三党合意で消費税法案を通したものですから、特例法案や議員削減まで協力をしてもらえるものと思っていたのでしょう。ところが問責を自民党までが加わって突きつけられた。その後国会空白の時期が長かった。問責を突きつけられるまでは期待もあっでしょうから仕方がないとして、そこからの対応があまりにも戦い下手というか覚悟のなさが感じられました。
 近いうちといえば年内が常識の範疇でしょう。どうせ解散をしなければいけないのです。
民主党の支持率は大幅に下がっている。それが現実なのですから空白の時間をつくらずに臨時国会を開いて法案が通らなくても、特例法案と大幅な議員削減を通してくれたら解散すると国会で演説すればよかったのです。この法案は国民も待ち望んでいる案件ですから、自民、公明も無視をすれば次の選挙では不利になりますので、民主党は主導権を握れたのではと思います。
 大幅な議員削減を公約にしていたのですが、あの戦いぶりと覚悟のなさを見ていますと議員削減の公約は最初から人気取りの空約束だったのではと思ってしまいます。
 橋下さんや石原さんの様にもっと覚悟を決めて物を言い戦わなくては信頼はできませんね。
橋下さんや石原さんは何時議員を辞めてもいいという覚悟が感じられます。
口先ばかりの職業議員はいりません。

2012年11月17日土曜日

簡単に総理や大臣を代えるな

官僚の政治介入打破を口にして久しいが、それが実現できたためしがない。
それは政権政党の党利党略によって簡単に総理や大臣を代えるからです。
官僚が悪の根源のように政治家や国民が言いますが、官僚は自分たちが
日本の国を支えていると自負しているでしょう。
コロコロ代わる政局を目の当たりにして、政治家に任せておけば日本は
沈没してしまう。自分たちが確りしなければと、強く思っているだろうと
想像できます。
 政治は一貫性と持続性がなければいけないのに、それを破壊しているのは政治家なのです。
そんな状態では国を導くことはできない。官僚が悪の根源ではなく政治家が悪いのです。
なぜそんな簡単なことが理解できないのでしょう。権力欲ばかりが先行しているからです。
 政治家はそれを悟って改めない限り官僚政治は打破できる筈がありません。
官僚が政治を牛耳れば歴史的に見ても保守的に傾いていきます。
保守的になれば弱い立場の者は益々退けられていきます。富裕層は放っておいても生活
していくうえで物質的に苦労がありませんので、政治は弱者に手の届く政治を行うのが
理想です。そういう意味で官僚支配が強まるのは私は反対です。

2012年11月16日金曜日

いよいよ総選挙


 よくインタビューの答えを聞いていますと、「誰がなっても変わりませんし」
等と、悟りきったようなことを言われる人が少なくありません。
政治に私たち国民が直接参画が出来るのは選挙だけです。
政治をもっとよくしてくれると自民党政治に見切りをつけて民主党を国民は
選択しました。その民主党は見事に国民の期待を裏切り、約束にない消費税を上げました。
税は上げても仕方がありませんが、税は上げるが社会保障は減退する。
こんな政治は最低です。
そういう政治に鉄槌を加えることができるのは私たち国民です。
選挙で落選すれば唯の一般人ですから、政治家が一番怖いのは国民なのです。
今回は民主党に強い鉄槌をくらわせばいいのです。それができるのは私たち国民で
あることを私たちは忘れたはいけないと思います。
今回は自民党が政権奪回などと言われていますが、自民党の言っていることを聞いていると
旧態然としていて改革は無理でしょう。
大きな体制改革を選択するか、古い政治体制を支持するかの選択選挙になると思います。
石原、渡辺、橋下さん達はしがらみを持たない骨のある政治家ですから、今回は第三極
体制を支持したいですね。

2012年11月15日木曜日

六甲山からわが家を見る

昨日は瑞宝寺に紅葉を鑑賞にいきました。
朝少し早い目に出たものですから、昼食を食べてまだ一時前でしたので
再度公園に行くことにしました。
途中で車を止める場所がありましたので、山頂から海を見ました。
昨日は曇っていましたのでスッキリとは見えませんでしたが、わが家の
方向をぼやけながらも見えていましたので撮りました。
遠く離れた山頂からわが家が見えている。何故でしょう嬉しくなって
撮ってしまいました。
こんなもの他者が見ても面白くもないでしょうが私は嬉しかったのです。

2012年11月14日水曜日

木魚の魚はどういう意味があるのか

木魚というのは読経の時に叩くものですが、厳密には二種類あるそうです。
一つは木を丸く切って中を切り抜いたものと、写真のように魚の形に彫刻
してある漁鼓(ぎょく)と言われるものです。
魚鼓は廊下などに吊るされていて、食事や法事の時間を知らせるものとして
使われています。
 どうして木魚と名づけられ、魚という文字がつかわれているかといいますと、
魚は昼夜を問わず、常に目を覚ましてしるところから、これを叩くことに
よって人々の目を覚まさせるためだといわれています。

2012年11月13日火曜日

五知足の彫刻

三十三か所めぐり、そして四国八十八か所巡りも計画しておりお寺に行くことが多いのです。お寺に行きますと様々なものが拝観できます。これまでは漠然と見ておりましたが、何を意味しどういう目的で用いられているのか。それを知ることでよりお寺参りが楽しくなるだろうと思い調べるようにしています。
その一つが禅宗のお寺に行きますと見られる「五知足」と書かれている石の彫刻です。
 これは教理の一つである「五知足」の教えを模様化したものです。
上下には吾と足、左右には唯と知の文字を一つにしています。
「われただたりるをしる」と読むそうです。
人間は際限なく欲望を募らせる動物です。欲望を募らせても実現できないことの方がおおいので、そこから必ず苦につながります。
だから自分の力量を知って、現況に感謝をして生きていかなければいけないということではないでしょうか。
深いというか正論ですね。

2012年11月12日月曜日

コスモスと甲山

武庫川の尼崎側の河川敷に阪神間最大のコスモス園があります。
西宮のシンボルである甲山をバックに撮りましたが曇っていて綺麗に撮れませんでした。

堤の木々も化粧して
コスモスが可憐に笑い揺れ
武庫の川面はキラキラと
鷺は静かにたたずみて
ススキは揺れて風まかせ
西の彼方に甲山それを飲み込む六甲山
傍には妻が寄り添いて
なんと幸せなひと時か

2012年11月11日日曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いての最終編

 
 お稽古に来る方々の根本目的は楽しみの増幅のためです。楽しみは生きていく上での究極のテーマです。
大きく人生を充実させたいと思えば永続した楽しみを持たなければ実現しません。趣味も自分の技能や知識が承認されるようになれば、それが本業と変化するという可能性を秘めています。本業となれば自分が好きで初めたものですから、それが永続性のある喜楽となります。
 仕事が面白くないとぼやいていても何の解決もしません。面白くないからと遊びや飲み食いで癒すことばかりの生活ではお金も貯まりません。
仏教には「五円知」(ごえんち)という言葉があります。「吾れ唯だ足るを知る」という教えです。今働けている現状は自分の力に相応した立場であることを知って、働けていることに感謝をする心を養うことです。これは大変難しいですが、難しいけれどもそれができれば簡単に環境は変えれます。それをしなければ一生嫌な気持ちを引きずることになります。
我慢する気持ちを引きずっていれば、家庭でも奥さんに優しく接することができないでしょう。そうすれば愛も壊れていくのは速くて、家に帰っても面白くないということになります。
「ありがたい」と思える気持ちが持てれば心にゆとりができます。そのゆとりを無駄に費やさないで自分の頑張れる何かに向けて勉強すればいいのです。
「そんなこと出来るか。そういうのは現実論ではない」という人は、残念ですが一生引きずっていかなければ仕方がないでしょう。
 そういう風に考えれば心の勉強は大切ですね。だから新興宗教は多くの人を集めているのですね。

2012年11月10日土曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その22)

仕事が楽しいと感じて生活している人は毎日を楽しんでいます。
自分は不特定多数の皆様によって生かされているのですから、健常者の全ては仕事をしなければいけないのです。同じ仕事をしなければいけないのであれば、毎日楽しんで仕事をしなければ自分が惨めではないでしょうか。しかし、楽しんで仕事をしている人の方が少ないのが現実です。仕事は辛い楽しくないという人はそのままでは益々面白くない人生になります。環境は容易に変わることはありませんので、そういう方は、、「働かせて頂いて有り難い」という気持ちを持てばいいのです。そういう気持ちになれば仕事は苦ではなくなります。
 ストレスが溜まらなければ、体力と気力にゆとりがでてきますので、他の場で自分が楽しんでやれる趣味や勉強をすればいいのです。
例えば、私の行っている着付けですが、自分で選択して来られたにも拘わらず、不熱心な人の方が多いのが現実です。でも中には楽しんでお稽古している人はいます。そういう人は上達も早いので、こちらも優秀なスタッフがほしいので当然のことながら、指導する方に回りませんかと誘います。
そういうことで、今では独立して事業を行い男性と肩を並べるくらいに稼いで活躍している人が何人かおります。何か楽しんでやれる趣味をもって勉強していれば、それが高じて本業になるということはあります。
そういう人たちの出発点は、ご主人は仕事人間で帰りが遅い。また主婦業は面白くない。生き甲斐にはならないということで鬱積したものを抱えていた人たちです。
それがたまたま私の行っているきもの学院に来たことがきっかけで、頑張ってお稽古事を初めた人たちです。自分の本業が楽しくないという点では同じ人たちです。
そういう過程を経て永続性の楽しみを掴んだ人は、一様に自己の人生の充実に対する執着心は高いです。
高いだけでなく、そのための努力も積極的にできるという点では共通しています。実践無くしては何も手に入らないということです。

2012年11月9日金曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その21)

 
 世の中は平等と言いますが、確かに人権は平等ですが、生まれた時からハンディーを背負って生まれて来るという意味では、宿命的に差異を背負って生まれてきます。
例えば、親が社長で大きく事業を営んでいれば、その子供は苦労なく育てられ、将来は社長になれる確率も高くなります。
 私は尼崎の下町で育ちました。結婚をして西宮の苦楽園方面で住まいを構えました。私が育った地域では中卒で就職をした人は沢山います。また有名大学に行けた人は少なかったのも事実です。西宮の山手の方に住居を構えて子供を通じて知ったことですが、世間で言うところの有名大学に行った人は沢山います。
 この差異は勉強できる環境やお金の懸け方が桁違いだからです。それが現実で、良い仕事に付けて遣り甲斐のある仕事に就け、成功する確率も高いというのは運命的なものが大です。
そういう運命的なことで大学にも行けなかった。従って、仕事も遣り甲斐のある仕事に就けなかった。だから仕事で永続する喜楽を得ることができなかったという人は沢山います。
 仕事によって永続する喜楽が得られなかったからといって、その人の人生は負け組になるかといえばそんなことはありません。そんなに不公平に神様は世の中を作っていないのです。
田辺聖子の本の中で描かれているくみ子のように、自分みたいな者でも雇ってくれて「有り難い」という感謝の気持ちで働けば、その日から仕事は楽しくやれるのです。心の持ち方一つですべての人が永続性のある喜楽を得られるのですが、それは大変難しく自分の心をコントロール出来ずに欲望に振り回されて苦しむのです。
私たち俗人は欲望を捨てきることはできません。欲望がなければ文化的進歩もないでしょう。でも欲望に振り回されない我慢、辛抱、感謝、労りの心を磨かなければ永続性のある喜楽は得られないのです。

2012年11月8日木曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その20)

 
人というのは自己顕示欲の強い動物です。自分は一番賢いとか、自分の考えはベストである等と自負心を一杯持っています。そして欲望の尽きないのが人間です。大した才能、能力、技能を有していなくても自分が承認されない立場でいると不平不満が噴出するのが一般的です。
 満足出来なければそれが不満になり、不満が募ればストレスを溜めてしまいます。ストレスが溜まれば何かで解消しなければ、明日から好きでない仕事をしなければいけないので、遊びや飲み食いで気持ちを癒そうとします。
でもそんなことでは根本的解決になりませんので、朝になれば嫌だ、しんどい、辛いという気持ちを引きずって我慢して仕事に行く毎日になってしまいます。
 嫌だ、面白くないという気持ちがつよいと、職場での良い人間関係も作れなくて孤立した気持ちになっていきます。
自分もこれからは支えなければいけない成人になってから、働かなくて家で引きこもって親のすねをかじっている人も、現在は少なくありません。そういう人は自分との戦いに挑む気持ちが薄いのです。
人は報われないことを世間や他者のせいにしますが、問題の全ては自分の心の中に潜んでいます。幸も不幸も全て自分の心の中にあるのです。
 社会に出れば嫌なことや辛いことは付きものです。それを乗り越えて人は真の大人になっていくのですから、逃ないで果敢に挑んで行かなければ面白くない人生になります。
人は必ず死んでいきます。死亡率は100%です。折角この世に生まれてきたのですから、沢山の喜怒哀楽を経験して、少しでも喜楽の多い人生にするようにもがかなければいけないと考えています。

2012年11月7日水曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その19)

30年も前に読んだ本で田辺聖子さんの「中年ちゃらんぽらん」という本がありました。
もう今は廃版になっているようですが、その本の中で会社の事務をしている準主役のOLが登場します。
今はその本が手元にないので名前を忘れてしまいましたが、仮にくみ子とします。
くみ子は男社会の中では、女性はいくら頑張っても社内で出世することはできないことを弁えています。
そういう社会背景の時代ですから、当人にとっては遣り甲斐のない仕事ですから、食べていくために仕方なく働くという分類の立場の人です。
 一般的には面白くないけど食べるために我慢をして仕事をしている。そういう人は視野の狭い取り組みになりがちですが、くみ子は朝は少し早く出社して掃除をし、みんなの机を支障のない範囲で片付け、皆が出社してくると「お早うございます」と元気よく声を懸けて一人一人にお茶を出してまわります。
現在では差別になるので女子社員にそういうことをさせることはなくなっていますので、この話は少し時代錯誤がありますが、皆が嫌がる雑用でも喜んで前向きにするという人のことです。
 何故そんなに活き活きと喜んで仕事が出来るのか。それは考え方一つ、心の持ち方一つなのです。
自分のような大した能力もない人間を雇ってくれてお給料を下さる。「こんなにありがたいことはない」と感謝する心を持っているか否かなのです。どんなにつまらない仕事でも自分のような者を雇ってくれて「ありがたい」と思う心があれば仕事は喜んで出来、その仕事は永続性のある喜楽に変身していくのです。
 喜んで仕事ができるからいくら働いても疲れないしストレスも溜まらないのです。
疲れが少なく体力と気力に余力ができるから、くみ子は仕事が終わってから自分の好きな習い事をして楽しんでいます。好きでやっている習い事ですから他者よりも上達が速いのです。

2012年11月6日火曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その18)

仕事をする、遊ぶ、寝るというサイクルの中で、永続性のある喜楽を得られるのは仕事の中にしか存在しません。その仕事も頑張って自分の存在価値を承認されるようにならなければ、仕事よって喜楽を増幅させることはできません。それは事実ではありますが、職種によっては誰もがそういう仕事に就けるということはありません。
仕事の内容と心境によっては、仕事を生き甲斐とするのは難しいという人もいます。
そういう人は永続性のある喜楽を永久に持てないのか。神様はそんな不公平な世の中にしていません。そんなことはないのですが、それを理解する心を磨かなければいけないという大きな課題はあります。
 世の中は競争社会ですから単純に言って、成績の上から順に良い仕事が決まっていくとします。
これも単純に例を上げれば、やり甲斐のある仕事に付ける人は全体の5割だけで、後は世間一般に自分の仕事に遣り甲斐を持てといっても、それは無理だという職種にしか就けないと人が存在すると仮定します。
以上のことは何の根拠もない例え話ですが、現実にはそういう人も沢山います。
仕事に喜びや遣り甲斐を持てなくて、仕事は生活のために仕方なく働いている人たちです。
そういう人は仕事が面白くないので、その分余計にストレスが貯まります。そのストレスを発散させなければ明日からの嫌な仕事が消化できませんので、お金を使ってパチンコなどのギャンブルをしたり、酒を飲んだり食べに行ったりでストレスを発散させようとします。そういうものは一時的なストレス解消方になっても根本解決にはなりません。でもそれしかストレス解消方はないので、日々そういうことの繰り返しで終始しまっています。
お金を使うことばかりでストレス解消していますので、お金が貯まるはずがありません。
お金が貯まらなければ先のことを考えれば不安な気持ちになります。
益々イライラが募ります。心にゆとりのない人というのは、そういう生き方をしている人たちのことをいうのではないでしょうか。
 

2012年11月5日月曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その17)

永続性のある喜楽とはどういうものか。それがわからないという人も少なくないので記します。
例えば、うどん屋さんをしていて、あそこの店のうどん屋さんは美味しいという評判がたって、連日お客さんが沢山来てくれているとします。

繁盛する条件は、値段的には他店と比較して高くはないが美味しい。先ずはこれが一番だと思いますが、それにプラスして接客が感じがよい。店は清潔感があるなどということが重要です。それを店主は理解していて、そのように感じて頂けるように努力をする。店の繁栄はそういう店主の努力の結果であり、店の繁盛はその努力をお客様方に承認されているということです。

少しでもお客さんに喜んでもらいたいと懸命に努力を積んできた。店が繁盛するということは店主自身の存在を承認してくれているという証ですから、それを感じ取る喜楽はどんなものよりも大きく、そして自分の心がけ次第ではいくらでも持続して行きます。

 そういう喜楽を得た人は仕事をすることが楽しく、いくら働いても苦労とは思わず頑張れます。

そうして頑張った人のところには自然とお金は流れていき貯まります。貯まれば喜楽は益々増幅します。

永続する喜楽というのはそういうことです。

人は当初は自分の立場の確立ばかりを考えています。それは仕方のない当然の道程ですが、それに終始していては永続性のある喜楽は得られません。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」で人様のお役に立つ、人様に喜んでもらえるように意識して動いて、始めて自身の存在価値が承認されます。

結果的に大きな財を残せなかったとしても、何かを通して自身を承認されるように頑張れば永続した喜楽が得られます。

2012年11月4日日曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その16)

人は様々な手段によって喜楽が得られます。
ところがその喜楽は刹那的に消え去るものであれば人生を充実させるところまで至らないのです。

持続する喜楽を持つということがポイントになります。

男女愛も家族愛も相手がいることで、一人芝居では成し遂げられません。

遊びは楽しいですが、一般的には使えるお金に限りがあり、また刹那的に消え去るものだから駄目。それではその他に何か永続した楽しみにつながるものがあるのか。それが分からないという人がいます。

そういう人は旅行や趣味や遊びで楽しみを得ようとします。

そして得られる喜楽は楽しいことは確かですが長続きしないものですから、際限なくお金を使って次から次に喜楽を得ようとします。仮にお金と時間をふんだんに使えるとします。そこから得られる喜楽は生きがいになりませんし、遊びそのものがつまらなくなって飽きてしまいます。何故なのか。そういうものからは自己の存在を承認されることがないからです。

実践を通して社会に貢献できているという実感が得られなから直ぐに飽きてしまうのです。

人は自己顕示欲の強い動物です。何時も控えめで前に出て行くことが苦手な人でも、内心は自分も人から羨ましがられる人になりたいという願望を持っています。

人は自分の存在価値を承認されることが一番の大きな喜楽なのです。その一番大きな喜楽になるものを永続して所有しなければいけなということです。

2012年11月2日金曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その15)

どういう生き方をしている人が一番幸せな人なのか。そのことを考えてみますと、仕事が楽しい、仕事が生き甲斐だと思っている人だと思います。
 一日は人が生きているサイクルと同じで、寝ること、寛ぐこと、仕事することで終始しています。

人は生きていくには食べなければいけません。食べるためには仕事をしなければいけません。最も大切なのは仕事です。そして一日の中で費やす時間が一番長いのも仕事です。その仕事をやっていて楽しい、生き甲斐だという人は最高の生き方をされている人だと思います。

 仕事が生き甲斐で楽しいという人は、やっている仕事を通じて自身の存在価値を承認されている人が殆どです。そういう人のところには、お金は高いところに流れますので、当然のことながら一般の人たちよりも高額収入を得ています。

だから寛ぎにおいても、高級車に乗り、マイホームに住み、高級な衣服を身にまとい、高級な物を飲食し、旅行も行きたいと思う所に自由に行けるというように贅沢ができます。それで家族が健康で夫婦仲睦まじくやっていれば、確実に永続した喜楽が得られていますので、自己の人生は充実するでしょう。

 永続性のある喜楽は仕事をするというサイクルの中にしか存在しません。その仕事も食べるためではなく頑張って自己承認、自己実現を成し遂げなければ手中に収めることはできないのです。

2012年11月1日木曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その14)

 
 眠ることは身体の回復と、精神の癒しと高揚にとって大変重要です。

それでは身体を健康にして、精神も癒してその状態を何処に向ければ良いのかといえば、それは最も大切な仕事に弾みを付けるためです。

 遊びをリクリエーションと言います。リ・クリエート即ち創造と創作活動に戻るという意味が含まれています。遊びは仕事に弾みを付けるから大切です。遊んで「楽しかった。面白かった」それだけで終わってしまうのではなく、「楽しかった。よしまた明日から頑張るぞ」という気持ちを喚起させ、そして実践に結びつけてこそ、遊びに大きな意義が出てくるのです。

どんなに仕事好きの人でも適度の精神の開放が必要です。自分が楽しいと感じることに興じて、緊張の連続である精神を開放し、そしてまた仕事に弾みをつける。それが遊びなのだという認識が大切です。

遊びは精神の開放のためのものですから刹那的です。

繰り返しますが遊びは確かに楽しいです。好きな人、気の合った仲間と一緒に遊ぶのは最高に楽しいです。楽しみから得る喜楽の度合いの大きさは重々に認識していますが、どんなに楽しくても遊びの楽しみは刹那的に消滅していくことは真理です。

楽しみには刹那的に消え去るものと、本人の心がけ次第では永続するものとがありますので、自己の人生を充実したものにするには、永続する喜楽を所持しなければ無理なのです。

その永続する楽しみは三つのサイクルの中で、公事である仕事をするところに存在しています。