2012年7月31日火曜日

能勢の棚田

最近は京都に行くのに高速を利用しないで下道で行きます。
川西から能勢~亀岡~西京極というコースです。名神の京都南で下りますと、市内までに時間がかかりますので、西京極に出ますと特に嵐山方面ですと行きやすいです。
これで33oo円の節約ですから昼食代が捻出でます。
 下道をいきますと今の季節は能勢の棚田が綺麗です。いたるところに棚田が見られます。
景色を楽しみながら走りますので時間の掛かることが忘れます。

2012年7月30日月曜日

 写真の八ツ手は結婚をした時に、妻が娘が持ってきた植木だから捨てられないというので、寝屋川から持ってきたものです。
小さな鉢植えの八ツ手でしたが、枯れもしないで育ってくれました。
もうこれ以上は鉢植えでは可哀想ですから、土植えにしてやりました。
すっかり根付いたようですからもう安心です。
きっと私よりも長生きするのではないでしょうか。

2012年7月28日土曜日

オリンピック頑張れ日本



いよいよオリンピックが始まりました。
オリンピックのある年は、その年の秋に小学校の同窓会がある年ですから、そういう意味でもオリンピックを待ち望んでいます。
メダルを幾つ取ったからといって、それで国情がどうなるというものでもありませんが、国民の期待、誇り、威信が一斉に向けられるという点では最大の祭典です。
フェアにメダルを取り合いする。世の中は競争原理で成り立っていることをまざまざと見せつけられる祭典です。
平和に豊かになれば箍が緩んできて、フェアに競争する闘争心が薄れてくる傾向が表出してきます。若者達には癒しばかりに走らないで、オリンピックに刺激を受けてもっと闘争心を増幅させる生き方をしてほしいですね。

2012年7月27日金曜日

食パンの保存

これは他府県の方には関係ないことですが、神戸灘生協の写真の食パンはコクがあって非常に美味しいです。
 値段は通常は238円ですが、198円の時もあり168円の時もあります。
昨日は198円で更に半額になっている分が3袋(4枚きり)ありましたので、これはラッキーとよろこんで3袋全て買いました。
恐らく昨日かその前からの残りものだったのでしょう。
パンはあまり日持ちがしませんので、そんな残り物をたくさん買ってもと思われるかもしれませんが大丈夫です。
 私のところは食パンは冷凍保存をします。焼くときは冷凍のママ焼きます。
風味は落ちません。みなさんも是非お試し下さい。

2012年7月25日水曜日

優しい心と醜い心


アベリア

朝ジョギングをしていると、車道と歩道を遮るアベリアの生垣があり、良い香りを放って走っている苦しさを暫し忘れさせてくれます。
アベリアはアベマリアのマ抜きと妻が教えてくれましたので、この年になって花の名前はなかなか覚えれませんが、忘れない花の一つになっています。
1m50cm位の幅の生垣ですが、その植え込みの間から様々な樹木の子供たちが生き延びて行くために、アベリアの間を割って伸びてきています。
綺麗に刈り揃えられているアベリアですが、間から伸びてきている新しい命は刈らないで残してくれています。植木職人の優しさが感じられてほのぼのとした気持ちにさせてくれますが、その反面、平気でアベリアの生垣にゴミを捨てて行く人も多くいます。
残念です。上を向いて唾を吐くという言葉があります。拙い行為をすれば、それは全て自分自身の身に降りかかってくることを分かっていないのですね。
人はみな幸せになりたいと希望して生きていますが、そんな行為をして絶対に幸せにはなれません。「何を馬鹿なこと言ってるねん。お前は阿保か、金さえあれば幸せになれるんだ」と思っている人が多いのですね。そういう考えの人が平然と拙い行為をしてしまうのです。

2012年7月24日火曜日

人の生活のサイクル

サフランモドキ

人の生活のサイクルは簡単で、「仕事をすること」「寛ぐこと(遊び)(リクリエーション)」「寝ること」で成り立っています。
この三つのサイクルの中で最も重要なものは何か。何を最も重要として生活を営んでいくかという認識は、生きていく上で重要です。
人間として最も喜びを感じるのは、「あの人は素晴らしい」と多数から称賛の評価を受けることです。また人は支えられて生きていますので、その借りを返さなければいけません。
それが出来るのは「仕事」ですから、最も大切なのは仕事です。
リクリエーションというのはリ・クリエートということで、心を癒して「よし明日からまた頑張るぞ」という、創造、創作活動に戻るためのものということです。
遊びも仕事に弾みをつけるために欠かすことのできない大切なものですが、遊びが生活の主力になる生き方は、義務と責任を担っている人間としては道理に反した生き方です。
そういうことを教育機関で確りと教えていかなければ、世の中は自然と衰退していきます。
虐めもそういうことの根本を質していかなければ根本的解決にはならないでしょう。

2012年7月23日月曜日

自分の価値は誰が決める

我が団地内の欅林

若い人だけに限りませんが「自分では頑張っている」とよく言います。
そのことが自分の成長と繁栄を大きく妨げているところが大です。
学院に携わっているときに自分の価値は誰が決めるかを聞いたことがあります。
「自分」と答えた人も少なくありません。誰もが自我と自負心を抱いて、「自分はえらい。賢い」と思って生きています。人はそう思わなければ切なくて生きていけないのです。
でも何かに取り組んで自己実現を目指す場合はその自己認識は妨げとなります。
自分では頑張っている、努力をしていると思っていても、その評価をするのは自分ではありません。例えば10人の内で7人以上の人、いや7人もいりません、何人かがあの人は駄目だと評価すれば、その人は駄目なのです。
自分では頑張っていると思っても、他者は頑張りが足りない、頑張り方の方向性が違うと思われているのです。そう思われれば、それがその人の値打ちなのです。
自分では頑張っていると思っても、そういう評価を受ければ、その人の立場は向上しないことになります。
若い人だけでなく、そういう考えの人は少なくないのではないでしょうか。
何かに取り組んだ時に、私は一番大切なのは情熱と素直な気持ちであると思っています。
素直とは人の意見を聞き入れて自己改革に取り組める人ということです。
どんなものに取り組んでも自分が抜きん出なければ理想の実現はありません。抜き出るためには血のでるような頑張りが必要です。その頑張りは自己判断でなく、人様からよく頑張っていると評価される頑張りでなければ成就はしません。そのためには人のアドバイスを素直に受け入れる心が大切です。

2012年7月22日日曜日

浴衣の着装とお手入れのアドバイス

昨日は芦屋の花火大会があったそうで浴衣を幾人かに着せました。
これからが夏本番で、各地の花火大会や、天神祭りなどもありまので浴衣をお召になる機会も多くなると思います。
そこでプロとして浴衣を着装する時のアドバイスをさせて頂きます。
浴衣は風呂上りの涼を取るためのくつろぎ着として着用されていましたので、男女共に素肌の上に直に着るのが浴衣本来の着装方です。
昔は浴衣ぐらいは何方も仕立てができましたので、シーズンが終われば解いて仕立て替えをしていました。最近はそのようなことが出来る人が少なくなっています。ほとんどの方はクリーニングにだしてしまいます。
クリーニングに出しますと糊けもなくなり浴衣のシャリ感がなくなります。またアイロンで押さえますので襟などはペタンコに薄くなってしまいます。
ですから少しでもクリーニングに出さないようにするために、浴衣を着装するときはワンピース式の肌着を下に着てください。
その場合、化繊の物は安価に買えますが、化繊のものは吸湿性が悪いことと、静電気が起きて裾捌きが良くないので木綿の物をお選びください。
肌着をきることによって、汚れを防ぐだけでなく着ていて裾さばきがよくなります。
真夏に浴衣を着ますと普通のきものよりは涼しいですが、暑いことは暑いです。
ですから暑さは仕方がないと割り切って美しく着装するために、ウエストだけは補正をしてください。
補正の仕方は若い人は普通の厚さのバスタオルを横三つ折りの幅に折って、ウエストの一番窪んでいるちころに巻いてください。巻き方はバスタオルは長いので、ヒップの上の腰の部分が一番窪んでいますので腰のところで交差して重ねて巻いて紐で押さえて置きます。
そうすることによって帯びが下がらなくなりますし、全体のシルエットが美しくなります。
次に浴衣の場合は襦袢を着ません。襦袢を着る場合は襦袢に衿芯を通して着装しますので、後ろの衣紋というのですが、抜いたところが綺麗な丸みになります。
その点浴衣は綺麗な丸みにはなりません。そこで衣紋の丸みを綺麗な丸みにするために、下前の襟の掛衿の裏襟先の部分の縫い目を解いて、そこに普段きものを着る時の衿芯を通して着装しますと綺麗な丸みになります。これはマル秘情報ですから是非お試しください。
下前の襟裏の掛衿の部分の衿芯が通るくらいに解いても、そのままの状態にしておいても大丈夫ですから安心してください。
但しこれは昔からの本仕立てをしている浴衣に限りできます。本仕立ての浴衣の掛衿は、同じ布を掛衿の部分の長さだけ、上から付けてありますのでそれができるのです。
浴衣も最近は安価な仕立て上がりものが主流になっています。仕立て上がりの浴衣は少しでもコストを安くするために、掛衿は本襟をつまんで、いかにも掛衿が付けられているように仕立ててある偽掛衿です。つながった一枚のものをいかにも上からもう一枚襟がかかっているように見せてあるだけですから、衿芯を通すことができません。
浴衣はほとんどが汗汚れだとおもいますので、ファブリーズなどで消臭と殺菌をして、風をよく通してからしまうようにしてください。できたらあまりクリニングに出さない方がいいです。

2012年7月21日土曜日

夜景

梅雨明けの我が家のベランダから見た夜景です。

梅雨明けの 夜空と競う 希望灯

2012年7月20日金曜日

浴衣

長瀬 智子様

浴衣のシーズンです。
浴衣は当初は入浴する時に着用していた湯帷子(ゆかたびら)という入浴時専用の単の小袖だったのです。
帷子というのは単という意味ですから、お風呂に入る時の単の小袖ということです。
お寺に行きますと昔の浴場が保存されているお寺があります。
いずれも蒸し風呂です。大きな窯を浴室の床の下で炊いて蒸気を室内に引き入れて汗をかいて
垢を浮かせ湯を浴びるという入浴方で、汗を掻きやすくする。また高貴な人は肌を露にすることはしないという風習から入浴時に小袖を着用したのです。
当初は入浴する時に着ていたものですが、入浴方が湯船に浸るという風に変わってから入浴後のくつろぎ着として着用するように用途が変化しました。
木綿が一般に普及するのは江戸時代の後期に入ってからですから、それまでの湯帷子は麻です。
木綿が普及しますと木綿の方が安価で肌触りもよく、吸湿性にも優れているので、浴衣は麻から木綿に代わり、麻は夏の高級衣料として用いられるようになりました。
浴衣は入浴時または入浴後のくつろぎ着として用いられていたものですが、江戸時代の後期に貧しい階層の人達は浴衣を普段着として用いる風俗が見られるようになります。その風俗が次第に一般の人たちにも伝播して行き、夏の夜の散歩着として着用される様に用途範囲が発展しました。
浴衣は夕方から夜に着る散歩着として用いるというのがこれまでの常識でした。
最近は都心に行きますと、若者は朝から浴衣を街着感覚で着て遊んでいます。
これが一般化すれば浴衣は街着に昇格するかもしれません。

2012年7月19日木曜日

虐めの根絶

子供の将来に大きく影響を及ぼす虐めは絶対に無くすという取り組みは大切ですが、根絶は難しいでしょうね。
人間は正直で素直で優しい一面を有していますが、逆に邪悪な一面を誰もが有しています。
その邪悪な一面を表出させないで押さえ込むには、思い遣りや感謝の気持ちをもって、悪は許さないという社会通念を構築することが肝要です。
江戸時代には意外と治安がよかったのは、悪いことをすれば本人だけでなく親兄弟までもが世間から非難を受けて、その場に住んでいられないという社会通念があったからです。
今は隣にどんな人が住んでいるかも知らない。エレベターで顔を合わせても挨拶もしない。しないことが当たり前になってきている現在に、思い遣りや感謝の念に満ちた社会を構築することは不可能でしょう。
虐めは制度改革で改善は可能ですが、思い遣りや感謝の念の欠落している人は恥ずかしい人だという社会通念がなければ、人間の持っている邪悪な面が表出し反社会的な行為をする者が多く出てきます。
子供たちの虐めは子供たちの間で生じていることですが、その根っこは大人が生きて行くことだけに翻弄されて、感謝の念や思い遣りの気持ちが欠落してきていることの象徴です。
人という字は人と人とが支え合っている形であると言われています。
私たちは社会という人の群れの中で支え合って生きています。支え合ってといいますが、どんなに社会的地位の高い人でも自分が支えているパワーは微小です。まして私達凡人はそれ以下です。
圧倒的に大きなパワーに支えられて生きています。よく人は生かされていると言いますが、全くその通りです。
それが真実ですから思い遣りや感謝の気持ちを強く持って生きることは当たり前なのです。
よく人は「それが常識や」といいますが、その常識を持っていない人が物凄く多いのです。
自分は生かされているという真理を分かっていない人が多いのです。
そんな大人たちの方が多くなって来ている今の世に、また今日記したような面倒臭い話は嫌いという人が多い時代に虐めの根絶は無理でしょう。
こんな時代になってしまったのですから、子供も特別扱いにしないで悪いことをしたら警察が介入して罰するようにする以外にないでしょう。

2012年7月18日水曜日

虐めはなくせる

虐めは子供の将来に大きな影響を及ぼしますので徹底してなくさなければいけません。
どうすれば良いか。そんなに難しいことではないでしょう。
先ずは制度を改めて、虐めを発見し、虐めの解決に奔走した先生を高く評価するようにすることです。それ以前に虐めを出したことを自分達の汚点とすることをやめることです。恥しいことであるとする制度だから、隠そうとして益々虐めが進行しているのが現実です。
虐めは今に始まったことではなく、また何処ででも発生していることですから、汚点として捉える制度を改めれば、先生方も虐めは罪悪であることを分かっているので改善するでしょう。
それでもダメなら教育の場を聖域としないで、社会構成の一つの領域に過ぎないという解釈で警察をどんどん入れて、悪いことをした者の人権を擁護する考えを退けて罰することです。
悪いことをすれば罰を受ける。罰を受ける年齢を下げればいいのです。
こういうことはその気になれば直ぐに取り組めるでしょう。
それで虐めは必ず大幅に改善されます。虐めはそのようにすれば無くせますが、それを提案すると反対する者が必ず出てくる。そして既得権を放棄しなければいけない人も出てきて大反対をする。
そういう大人の思惑の子供たちは犠牲者なのです。大人はそこをあくまでも子供たちを主役にした制度にしなければいけないのです。
表面的にはそれで改善されますが、もっと根本的改善が必要です。
それは学校教育は体・徳・知ですが、徳の面をもっと力を入れて教育することです。
特に大切なのは他者を思いやる心、感謝する心の育成です。
高校生が自転車通学をしていて、狭い歩道を友達を話しながら並走して前からきます。
前から人がくれば除けてくれるかと思って進んで行ったら、除ける気配がないので、寸前でこちらが慌てて身を避ける。そんな子供の如何に多いことか。例を上げれば限りがありません。
大津の自殺した学校の先生は虐めがあってもなかったという。教育委員会も先生も思いやりのかけらも感じられません。
そんなことで虐めをなくするなんてことは無理でしょう。
何故他者を思いやることが重要なのか。そのことが解説出来ない先生や大人が増えている。そういう根本的なことに関する理解が欠落していることの現象ではないでしょうか。

2012年7月17日火曜日

強い子供に

今テレビでは虐めの問題が盛んに取り上げられています。
警察が入りましたが、子供たちは13歳までは罪に問われませんので、
どこまでの処置を警察がくだすか、今は大変興味深く見ています。
虐めに加担した主だった連中は全て少年院送りになれば、今後の虐めの抑止力なりますが、
恐らくそうはならないでしょう。
現実に罰せられることがなければ、直ぐに風化してまた同じことが何処かで始まるでしょう。
ということになれば、後は自己防衛をする以外にありません。そのためには強い子に育てる以外にないのです。
私も虐めかけられましたが、虐めてきたらそのリーダー格の者と殴り合いをしました。
負ける勝つは関係ありません、やられても向かっていけば相手も気持ち悪がって苛めなくなるのです。 
そんなことをしたら徹底的に苛められると思うかもしれませんが、虐める側でも大きな犠牲を払わなければいけないところまではやりません。間違っても殺されることはありません。
相手を殺すほどの根性はありません。だからやられたらそのリーダー格の者を待ち伏せしてでも仕返しをする。それが返り討ちになってそれだけの根性を見せれば、相手は気持ち悪がって虐めなくなるのです。
死んでしまうぐらいなら、死ぬつまりでやりかえせばいいのです。
それがどうしても出来なければ、自分か親が警察に行く根性を持ちなさい。警察が取り上げなければ、警察に行っても取り上げないとマスコミに訴えなさい。学校の先生なんか頼っても駄目です。
何故なら頼りに出来る先生ならそのクラスには虐めはないでしょう。
どんなことをしても死ぬよりはましだから、自分を守る勇気を持たなければいけません。
こういう時代になれば教育の場は聖域だなんて思っていたら、次は自分の子供の番かもしれないのです。親は自分の子供の身に降りかかれば、警察かマスコミに訴えるという覚悟でいることを子供と常に話しておくことです。
自分が孤立することを怖がりますが、根性のある人には必ず友達になって欲しいと言ってきますので、そんなことを恐る必要はありません。もし孤立しても死ぬよりはましでしょう。

2012年7月16日月曜日

虐めの根幹

アメリカノーゼンカヅラ

今虐め問題が大きく取り上げられています。
虐めは今に始まったことではなく、また子供社会だけでなく職場などのあらゆる場に存在しています。
この根幹となる原因は寂しさからくる苛立ちではないでしょうか。
今は情報社会で、あまりにも多くの情報が耳に入る。また家族との関係、友人関係、職場での人間関係、夫婦仲、経済問題など、自分と比較できる情報が多く入る。そんな状況で自分の存在を見つめた時に、満たされていないことによる多くの寂しさと苛立ちを覚えてしまいます。
大人たちは社会人として、その寂しさと苛立ちを表出させることは恥ずかしいことであるという理性で封じ込めています。それでも中には理性で抑えきれずに寂しさと苛立ちを晴らすために反社会的な行動を取ってしまう人も少なくありません。
大人がそうですから、子供はそういう大人を手本として生きているのですから、寂しさと苛立ちの鬱憤を晴らそうと、虐めや校内暴力に走る子どもが多くなってくるのは必然です。
生きている限り誰もが寂しさと苛立ちを持って生きています。それを理性というもので封印しています。だすから虐めを少なくするには、そんなことをしては恥ずかしいと思う理性をより感じさせる社会通念の構築が大切です。
そのためには大人が声をあげて怒る、時には殴る、そして悪いことをした者は、みんなの前で晒し者にして御仕置きをしなければ、現実には理性は益々薄れていきます。
虐めた親が逆ギレして文句を言う。その剣幕に押されて隠蔽をしてしまう。そんな理性のないことを平然と許してしまう社会(大人たち)がおかしいです。
私の子供がもし虐めに加担していたら「どうぞ先生ボコボコに殴ってくれ」と言いますし、私もボクボコに殴ってやります。それでも不良に走る子供は自分で殺すか、家から放り出す以外にないでしょう。いじめ問題は親自身が理性を高く持って、自分の子供でも反社会的行為をすれば晒し者にしてもかまわないと思う強さが必要です。
目一杯愛情を注ぎながらも道を間違えばシバキ倒す。優しくすることは簡単ですが殴るのは難しいです。でも敢えて殴れる勇気のある親を目指して欲しいです。

2012年7月15日日曜日

サンセベリアの花

未だかつてサンセベリアに花がさいているのを見たことがありません。
先日久しびりで水をあげようと思い鉢を見ると花が咲いているではありませんか。
驚きました。サンセベリアに花が咲くなんて思ってもみなかったのです。
妻に告げますと妻も驚くと共に初めて見た花に興奮していました。
白い花の下には水滴が垂れ下がっています。パソコンで検索しますと密だそうです。
舐めれば甘いそうです。
嬉しくなりました。何か良いことがあるのではないでしょうか。

2012年7月14日土曜日

タイム着付


速さと技能は比例します。
技能を少しでも早く高めるには、個々の楽なペースでお稽古させるよりも、タイムを設定して時間内に着せる練習をすることがベストです。学院に携わっている時は、タイム着付というお稽古をしてもらっていました。技能と着付けに要する時間は比例することが理解できない人が多く、タイム着付に対して「こんなにバタバタと着付をするよりも時間をかけて丁寧に着付た方が早く上手になるのでは」と疑問を持たれて中にには辞めて行かれる人も多々ありました。

2012年7月13日金曜日

鳩山議員のいい加減さ

ムジワラギク

小沢さんが新党を立ち上げました。
鳩山さんは民主党に残りながらも、小沢さんと連絡を取り合って国民のために頑張ると言っています。
何を言っているのか自分では分かっているのでしょうか。
今は政党政治です。その党に我々国民の莫大な金が助成金として使われています。
党内で意見が食い違うことはあるでしょう。しかし議論を尽くしてこれが国民のために今の段階ではベストであると政策を決定すれば、党員としては党の政策を自分のものとして推進させて行かなければいけないででしょう。
どうしても賛同できなのいであれば、離党するしかないでしょう。
離党もしないで小沢さんと連絡を取り合って、協力体制でいくというのであれば、それは理屈に合わないでしょう。そんな理屈に合わないことを平然と行う政治家に、我々の大切なお金を使って頂きたくないです。
そして小沢さんですが、人気取りだけの原発反対とか消費税反対などと言うのではなく、具体的にどう日本を導いて行くのかという明確な政策を掲げて、小沢さんに付いて行った若い議員たちを教育して上げて欲しいと思います。
これからは情熱に燃えた若い優秀な議員の存在が大切ですから、ちかじか行われる選挙には政策論で十分に戦える議員に育成してあげて欲しいと思います。

2012年7月12日木曜日

虐めに警察が入ってよかった

アカサンサス

子供達は罪の意識なしに悪戯感覚で虐めをしますが、虐められている子が苦痛を感じ、また恐怖を覚えるような虐めは犯罪です。
学校は子供たちの将来につながる大切な学びの場です。
その学校に虐めで行くことが出来なくなることは、悪くすれば子供の将来に大きく悪影響を与えます。虐めはそんな重大事ですから、虐めは悪戯では済まされない犯罪です。
この度の滋賀県の事件に関しては、中学の学校長は虐められている場面を見たことはある。
虐めはあったと認識できているが、それが自殺に結びついたとは思えないとコメントしています。
教育者はどんな些細な虐めであっても、虐められている子供がいれば、その子の将来に関係してくることですから、全力をあげて虐めを阻止しなければいけにでしょう。
虐めは子供の将来に悪影響を及ばす重大事であるという認識が薄いから、虐めがあっても隠蔽しようとするのです。
学びの場は、子供たちがなんの憂いもなく学べる環境でなければいけないのです。
そういう環境を構築するのが教育者の最大の仕事なのです。
その意識が欠落している、そして虐めがあって、子どもが亡くなっているのに教育者は自己保全のために隠蔽する。
教育の場も腐って来ている。自分たちの立場の保全のために隠蔽することは以前から改善されることなく連綿として続いています。
この度警察がやっと介入してきました。教育者では改善できないことが明白なのですから犯罪につながる虐めは全て警察が入って解明してゆけばいいのです。
親は自分の子供を殴ることが出来ない時代になっています。怖いものがいなくなってきている今日では、早い目に警察が介入していけばいいのです。
警察も虐めは犯罪であるという意識をつよくもって、親が学校ではなく警察に訴えていけるようにしなければいけないでしょう。

2012年7月11日水曜日

紫陽花の色

紫陽花には丸く集まって咲く西洋アジサイ、別名ヒメアジサイ、テマリ咲きアジサイ
と、ガクアジサイがあります。
ガクアジサイは日本原産のもので、ガクアジサイを改良してセイヨウアジサイが出来たと
言われています。
セイヨウアジサイに象徴されるように、丸く同じような形状で咲いていても、青い色と
赤い色のものがあります。
これは土壌が酸性であるかアルカリ性であるかによります。
土壌が酸性である場合は土壌のアルミニウムが溶けてアルミニウムイオンが吸収されるために
青色になります。
同じような所に植えていても、赤色もあれば青色もある場合があります。それは部分的に
酸性度が強い場所とアルカリ性の強い場所があるからです。
私は花は大好きですが花については全く無知です。
もう一つ付け加えれば、きものに関する以外は無知な人間で、ガクアジサイなどはその
てんけいですが、色が付いている部分全体が花だと思っていました。
ところが上の写真で言えば八重に大きく咲いている部分は額で、花は中央の小さく集まって
いる部分です。皆さんは知っていましたか。

2012年7月10日火曜日

紫陽花(渥美しぼり)

紫陽花は梅雨の頃に満開になるだけに、
カラット晴れて陽が花を照らし出して
いるよりも、雨上がりに花が露をもって
いるような状態の方が艶っぽくて綺麗です
女性も少し濡れてシットリト見える
方が色っぽく感じるのと同じですね


 雨上がり 紫陽花だけが 輝きて

2012年7月9日月曜日

日々是好日

日々是好日(にちにちこれこうじつ)と書いた額などをよく見かけます。
日々これ良い日である。即ち毎日楽しいことばかりという意味であると思っていたのですが、もっと深い言葉だそうです。
毎日楽しいことばかりは大変結構ですが、そんなに人生は甘くありません。
人生は重い荷物を背負って、坂道を昇るが如きと言われていますように、苦しいことの方が多いのが通常です。
ですから矢でも鉄砲でも持って来い、どんなものでも受け止めてしっかり生きてやる。そういう境地の言葉だそうです。
仏教の根本は色即是空です。空は何事にもこだわらないことですから、善や悪を区別しないで、起こったことをありのままに受け止めて生きる。それが禅の心で、全てのことにこだわらないで、今の一瞬を大切に懸命に生きなさい。過ぎたことや、これから起きるかもしれないというようなことを考えても、仕方がないという意味につながっています。深いです。

2012年7月8日日曜日

団地に咲いているカラー

武庫川UR団地は高須町1と高須町2にまたがって存在しており、1と2の間には
国道でしょうか県道でしょうか大きな道路があり、その間を繋ぐ綺麗な歩道橋が
設置されており、歩道橋には花壇があって、何時も年配の女性が綺麗に手入れをされて
います。
その女性はURから委託されているのどうか不明ですが、何時も手入れが
行き届いており、私たち花好きの者を楽しませてくれています。ありがたいことです。
写真のカラーはその歩道橋に咲いていたものです。

2012年7月7日土曜日

少しでも早く解散を

税と社会保障の一体改革などという耳障りの良いスローガンを掲げていながら、実態は消費税アップを決めただけで、我々貧しい庶民から見れば全てが後退させる事ばかりが決せられています。
私達国民は選挙の時は、自民党の対立軸としては民主党しかなかったので。
民主党に期待をして一票を投じたのですが、連合がバックになっている民主党では人員削減や給与減額などの思い切った施策は無理なのです。
もう死に体となっている民主党は早くに解散をして、我々国民の期待をバトンタッチできるようにしていただきたいですね。
小沢さんは国民には嫌われているようですが、政策的には期待ができますし、その他にもみんなの党が有り、橋本さんの維新の会も参入してくるようですから期待しています。

2012年7月6日金曜日

豊かさ

私たちの子供の頃と違って本当に物質的には豊かになりました。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉があります。
物質的に足りてくれば、心も豊かになるということです。
心が豊かであれば、心にゆとりができて人を思いやる心が増幅する。
幾らお金を有していても、一人で旅行しても面白くないとのと
同じで、生きていく上で一番大切なのは人間関係なのです。
物が足りればその心が豊かになるから、物質的に豊かになることが
大切であるということなのですが、今は昔と比較すれば豊かになり
ましたが、心は逆に貧弱になってきています。
子供の虐め問題もそのひとつですね。
こんなに自己中な人間が多くなれば、いじめなども犯罪行為として
取り組んでいかなければ、虐めはなくならないでようね。
教育の場に警察が介入してくることに関しては、反対意見も多いと
おもいますが、その反対している大人達に原因の根幹が根付いて
いるのですから仕方がないと思います。
子供の行いは全て大人の行為の投影であることを大人たちは認識
しなければいけないでしょうね。

2012年7月5日木曜日

いじめ

大津で中学生が自殺したことがテレビで取り上げられています。
いじめに関しては私は以前から重大事だと考えています。
学校というものは子供たちの将来に直結する場です。
その学校にいじめによって行くことが嫌ということになれば、子供の将来に多大な
影響を及ぼします。
それだけ大きな影響を及ぼすのですから、私は犯罪行為だと思っています。
先生や学校、教育員会の者はその重大さを認識しているのでしょうか。
保身や名誉のために隠そうとする傾向が多いのですが、自分たちで解決出来なければ
警察の少年科に委ねればいいのです。
いじめが発覚すれば刑事責任や賠償というところまで進めていかなければ、いじめられる
子供は可哀想すぎます。
私たちの子供の頃にもいじめはありました。但しそれは男性だけで、女性の間では
いじめというような現象を目にしたことがありません。
苛められやすい奴というのがいて、そいつが必ずターゲットになっていたのですが、
いたずらの範囲を越えて苛めていれば「おいもうそれくらいにしとけや」と助け舟を
私などは出しました。
そんなことをすれば次は自分が苛められると思って見て見ぬ振りをしている子どもがい
ると思うのですが、もし苛められたら、そのグループのリーダーとさしで負けてもいい
から戦えばいいのです。
そういう根性を見せれば相手は気持ち悪がって苛めなくなります。
やられれば負けてもいいから何度でもやり返す、そういう根性があればいじめられません。
親は可愛いからと猫可愛がりに育てますと、そういう根性が育成できません。
悪いことをしたら恐怖に感じるくらいに親は子供をどつきまわす。
そういうことによって、子供はどつかれてもこの程度、これ以上はやってはいけないという
ようなことを学習して戦う勇気を養っていきます。
いい子いい子に育てようと可愛がりすぎるから、仲間から根性のなさを見透かされて苛めの
対象者になってしまうのです。

2012年7月4日水曜日

ドラマを見て感じたこと

「二十年後の君を見て」というドラマを見て胸が詰まりました。
バングラデシュで貧しい子供たちのために日本の青年がボランティア活動をしています。
そこに描かれている子供たちは本当に貧しく、幼くして子供たちも必死で働いています。
勿論受け売りですが、貧しい人達は日本円にして一日80円程度の生活をしている
ということです。
食べることもままならないということです。
それと対比して、日本ではダイエットで悩んでいる人が多いという事実です。
なんと私たちは恵まれていることでしょうか。
この現実に感謝して国民全てが前向きに頑張って国力を増幅させて、グローバル社会ですから
貧しい国に手を差しのべるという意識が自分のために大切ですね。

2012年7月3日火曜日

ドラマを見て

7月1日の日曜日の夜9時から、中井貴一主演の「二十年後の君に」というドラマが放映されました。多くのメッセージが含有されている素晴らしいドラマでした。
その一つが親父が思い描く妻や子供たちの幸せというものは、当人たちとは全く異なっているという点です。
親父は自分が仕事で頑張って地位や収入を上げることが、妻や子供たちにとって最も思い遣っていることだと思って家庭を顧みらず仕事オンリーで頑張ります。
妻は子供が自立できる年頃までは、夫のそういう思いを理解して家庭を守り子供を立派に育てます。
子供は大きくなると親よりも、自分の人生と夢の実現が優先で、親離れをしていきます。
妻は家庭で一人取り残されます。
人は他者のために生きているのではありません。自分の人生を充実したものにさせたい。誰もがそのことを最大のテーマとして生きています。
自己の充実のためには、存在を誇示し存在価値を承認されなければ、大きな充実感は得られません。
人は自分の存在を誇示し承認されることが最も充実感を覚えるのです。
妻は主婦業で自分の存在を承認されていないことを思い知らされますと、欧米では即離婚ということが多いのですが、そこまでに至らなくても、それを自覚した瞬間から自分を誇示し承認される別の何かを模索し始めます。
中には旦那が甲斐性があって生活が安定していれば、女性は知り合いを作るのは上手ですから、
友達と小旅行したり観劇や食べ歩きをしたりして、癒しばかりに走る女性も沢山します。そういう女性の方が多いでしょう。ですが中には自己実現を目指す前向きな生き方を希望する女性も、数は少ないですがいます。
ドラマの妻はそういう夢を描いて自己実現を目指すタイプですから、そのために離婚をしたいと夫に告げます。
男は自分は家族のことを思って頑張っているのですからびっくりします。
そういう男性は、人は自分のために生きている。生きる目的は自己の人生の充実である。
その充実とって大きな要素となるものは自己の存在価値の承認であるということが理解できていないのです。妻も自分と同じ人格を有している人間であることを忘れてしまっているのです。
男は金を稼いでくる。そのことは大切ですが幸せや充実はお金では決まらないということです。
バングラデッシュで貧しい孤児たちのために献身的に働いている青年を描いていましたが、その青年は全くお金というものに縁が遠い人ですが、最高に充実した生活をしています。

2012年7月2日月曜日

先生や親の責任

最近は早朝ジョギングに頑張っています。
きついですね。ゴール近くになりますと顔が苦しさで歪んでいると思います。
ゴール近くに来ますと、早朝のクラブ活動があるのでしょうか、中学生の少女が
仲間5人ぐらいで登校してきます。
道は2mもない幅なのですが、彼女たちは横一列になって話しながら歩いて来ます。
私が前から5m位の位置まで近づきましても通る道を開けてくれる様子がありません。
狭い道に5人ですから隙間がありませんので、私はそのまま前に突っ込みます。
そうすると私の通る左右の少女は肩だけ開いて私の通る道を開いてくれます。
それが仕方がないからそうするという感じです。
道の両側には芝生の空き地があるので、なんで真ん中を割って通るのかと思って
いるのかもしれません。
それが今までに何回も有りました。
先生方や親御さん達は教育とは何か、幸せとは何かという根本的なことをもっと
考えて、子供たちに接しなければいけないのではないでしょうか。
幸せは心がまたらせてくれるものですから、心の練磨無くして絶対に幸せにはなれないのです。
そういう子供たちを見ていると腹立たしく思うよりも、可哀想に思ってしまいます。

2012年7月1日日曜日

ダイエット

写真はまだ少しお腹が出ている私です

今までは痩せたいなどとは思ったことがありませんでした。
でもこの年になって格好よくいるには、凛として清潔感があって肥えて
いないということではないかとおもいまして、少しお腹が出ていますので、
お腹をへこませることにしました。
女性の方はダイエットには多大の関心をもって、また努力もされているようですが
痩せることは何も難しいことだはないでしょう。
肥えている人は「私は水を飲んでも肥える体質なので」なんてことを言いますが、
それは嘘です。肥えている人は絶対に多く食べています。
痩せたければ何も難しいことはありません、食べなければいいのです。
ここ十日ほど炭水化物をできるだけ摂取しない食事に心がけていますが、お腹が大分
へこんできました。効果てきめんです。
痩せたければ食べないこと。食べても炭水化物の摂取をおさえること。
間食はしないことです。
これは自分の気持ち次第ですから。食べる事が最大の楽しみというような
生き方をしている人は難しいですね。