2013年10月31日木曜日

嬰児を放置した親の言い分の拙さ

3人もの嬰児を放置し、また亡くなった子供を捨てています。
その理由が「貧しくて食べていけなかった」ということです。
そういう言い訳が、理屈として通じると思っていることが滑稽です。
 食べていけなかったと言いながら、自分たちは生きていけてます。
自分の食べる分を少しだけ分け与えればそれで生きていけるのです。
子供が邪魔なら子供を産まなければよいのです。
淋しいからと男と女がひっつくのは自由ですが、人に迷惑をかけないように、自分たちが楽しむことはできるはずです。
これに類する事件が頻繁ですが、そんな大人になり切れない子供は、子供を産んだらいけないでしょう。
この世は、個人がいくら頑張っても社会の中で生かされているのです。それが分っていればこういう事件は生じないでしょう。最近は大人になり切れていない人が目立ちます。大人とは生かされていることを認識できている人です。

2013年10月30日水曜日

現職キャリア官僚の告発本「原発ホワイトアウト」

この本の帯には「原発は必ず爆発する」と書いています。
稼動させなければ絶対にないと言えますが、稼動している限り爆発は絶対にないとはいえません。稼動する限りは事故は必ず起こるという認識のもとに動かさなければいけないでしょう。
ところが企業側は利益追及しか考えていません。
日本の将来ということを考えて、どうするかは政治家の使命なのですが、その政治家も関係官僚も企業の思惑に取り込まれている。お金の為にです。
 事故云々の議論も大切ですが、現実に事故を起こした福島原発の後処理の目途もたっていません。未だに福島の故郷に帰れない人が沢山います。福島から出て避難生活をしている人は恐らく福島には帰れないでしょう。
多くの人の生活を破壊してしまったのは原発です。
その反省もなく、経済だけのことを優先させて少しでも早く稼働させたいと電力関係者は念じている。そしてその電力会社に群がる政治家や官僚もそれを後押ししている。
原発稼働を推進してる自民党が大勝利したことによって、それが許されているのだという論理のもとにです。
その論理のもとに動いているのなら、我々国民一人一人に責任を負担させていることになります。
政治家はもっと我が国のビジョンを明確にして選挙をしてほしいです。

2013年10月29日火曜日

現職キャリア官僚の告発本「原発ホワイトアウト」

本の紹介文


 経済産業省資源エネルギー庁次長の日村直史と日本電力連盟常務理事の小島巌が銀座のクラブで密かに落ち合う。
日村は形式上は毎回5000円の領収証を貰っているが、30分座って3万円くらいという高級クラブである。実質は関東電力の店だからいくらでも融通は利く。
「それにしても早く再稼働させて立て直さなければ本当に世の中はめちゃくちゃになりますものね」と小島は言う。
めちゃくちゃというのは、電力会社のレントという甘い蜜に群がることが出来なくなる、ということと同義である。政治家はパーティー券が捌けず、官僚は天下りや付け回しができず、電力会社は地域独占という温室の中での大名扱いがなくなるということだ。


(私見)
再稼働は本当に国民生活のためなのか。福島の後処理の目途も立っていない原発を再稼働させることは、将来的に考えて国民の為になるとは思えない。
代替エネルギーの開発に力を注ぐべきだと思う。

2013年10月28日月曜日

現職キャリア官僚の告発本「原発ホワイトアウト」

本の紹介文です。
 本来、官僚は国益の実現の為に働き、マスコミ記者は社会正義の実現の為に働く、こうした大義を背負う尊い職業であるにもかかわらず、現実には、自らの省益や社の利権、挙句の果ては上司の私服を肥やす手助けや、幹部の快楽のために国益や社会正義がなおざりにされている。


 正にその通りで、大義を貫けばもっと社会はよくなる、それを我欲が働き曲げてしまう。
こうすることが国のため民のためになると唱えながら、歴史が物語っているように、現実は我欲の実現の為に走ってします。
学ぶことに旺盛なのに一番大切なところが学べていない。人は欲には勝てないということだろう。
 

2013年10月27日日曜日

現職キャリア官僚の告発本「原発ホワイトアウト」

本からの紹介文です。
自民党と民主党の二大政党が政治献金の廃止を公約として掲げないかぎりは、電力改革は進まない。
 
 日本の電力連盟は自分たちの既得権益を削ぐような電力改革は反対である。
電力連盟は政治家にとっては多大に献金してくれる企業である。お金が欲しい。
献金をしてくれる電力会社が電力改革に反対である限りは、政治家は電力改革に積極的には動かないということですね。
 選挙には莫大なお金が必要で、お金集めに規制があっても、送る方も貰う方も抜け道を知り尽くしているのです。企業献金を根絶しない限り、規制しても意味がない。改革は骨抜きにされてしまうことを物語っていますね。

2013年10月26日土曜日

現役キャリア官僚の告発本「原発ホワイトアウト」

この本は原発事故、及び電力問題に関して官僚と電力会社が、手練手管で政治を操る様を描ています。
 これまでにも官僚支配が謳われておりましたが、国民は「そんなこともあるだろう」という程度の理解で、現実には無関心であるのが実態です。
例えば、原発反対を唱えて国民がデモを行なったとしても、選挙で自民党が勝ったということは原発推進を国民が支持したのだから、反対運動が起こっても続かない。そのうちに消滅する。そういう国民の気持ちや、自民党が原発推進のスタンスであることを読み切った上で、官僚と電力会社が手練手管で政治家やマスコミまで動かしている様が描かれています。
 この中に私たちでは知りえない面白いことが書いてありますので紹介します。
日本電力連盟の小島巌は、次の選挙で出馬する意欲のある、先の選挙で落選した民自党(民主党)の議員の事務所に挨拶回りをする件があります。
訪れる目的は生活に困っているだろうから、非上場会社の顧問、私立大学の客員教授などの収入源を手助けしてやることです。
 落選した議員は泣かんばかりに喜んで感謝します。次の選挙でどう体制が変化しても電力会社の既得権擁護にプラスになるからです。
これだけの努力をし、お金も使っているのですから、ワイワイと国民が騒ぐ程度では体制は変わりませんわね。

2013年10月25日金曜日

朝から泣かされる

台風27号の影響で、伊豆大島の島民は島外に船で避難をしています。
そんな中で82歳の老人は、妻が亡くなる時に「ありがとう」と私に言って逝きました。
その有難うには二人だけに通じる万感の思いが込められています。
その妻の遺影がありますので、「私は避難はしません」とコメントされていました。
それを聞いて私もそうするだろうと、感情が高まりました。
 妻の為に出来るだけ元気で長生きしてやらねばならないと思っていますが、妻がもし先に逝くことがあれば、私も命を絶ちたいと思っています。
生まれてくるときは自分の意思は働かせませんが、逝くときは自分で考えられます。生きることが目的の生き方はしたくないですね。

2013年10月24日木曜日

丁寧な儀礼に思う

妻が会社の健康診断で肺に曇りがあるから、必ず病院で精密検査をするようにという診断書を貰って来ました。
妻は何でもないから行かないと言っていましたが、それでは私が心配で落ち着かないから行ってほしいとお願いをして、検診に行ってもらいました。
 一緒に付いて行って待合室で坐っていますと、薬剤会社の人たちが何人か薬を納品しに来ていました。
薬を渡して丁寧にお礼の挨拶をして、外に通じている扉の所でもう一度院内に向かって、ありがとうございましたと丁寧に立礼して出て行きました。
何人か来ていましたが、各社の営業接客に多少の違いがありますが、皆さん非常に丁寧に挨拶とお礼を述べて、キチット立礼していました。
 社会人なればあれが普通なのです。あの丁寧さに付いて行けないで若者は離職してしまう人も少なくないと聞いてます。
これはやはり家庭や学校での自由気儘に育成している事が一因になっているように思います。
 ところで妻の方は何もなかったようでホットしています。

2013年10月23日水曜日

子供は親の尺度しか育たない

 最近子供との接触が多くなって感じたことがあります。 
 子供は親の尺度しか育たない。子供は親の鏡。子供は親の背中を見て育つ。昔から言われていますが全くその通りですね。
親は自分の子供の性格はよく把握しています。親と同様に子供も親の性格をよく知っています。
親が理不尽な言動を取れば、中には反発する子供もいますが、大抵は育てられていることがよくわかっていますので我慢しています。
 親がいい加減な言動をとっておいて、子供が可愛いからといって、賢い子に育ってほしい。立派な子供になってほしいと思っても、「お父さん。お母さんだって同じで出来ていないやん」と子供が感じていれば、子供だけに立派になれと言っても無理なのです。
 親だから、大人だからといっても、聖人ではなくごくごく一般人だから、良い手本ばかり見せて生活することは不可能です。不可能なのに可愛いが故に、自分の子供は特別で有ってほしいと念じても無理だという親の理解が必要ですね。
 そういうことよりも、親も子供も、もっと以前の日本のように倫理面で人を律していく、社会通念を構築しなおすことが重要だと私は思っています。

2013年10月22日火曜日

子供は親の鏡

昨日スーパーに買い物に行きました。
二歳ぐらの子供を連れたお母さんが自動扉の外側にいます。店の中には子供が泣いて動きません。
何か買ってほしいと泣いて要求しているのですが、お母さんは「買わない」と決めて既に外に出て子供を待っています。子供は扉の内側で動きません。
どちらが勝つかを観察していたのですが、「お母さんは簡単に負けて」内側に戻っていきました。
これは根本的な育成法に問題があるのですが、その場だけの対応を考えれば、お母さんは買わないと決めて既に外に出ているのです。そしてお母さんの買わないと決めてたことも正しいと思うのです。
 子供と親の考えを比較すれば親の考えの方が正しいのは当たり前です。だから子供に合わせてはいけないのです。親は自分のペースで育成して行けばいいのです。
この場合子供が駄々をこねているのであれば、放置して行ってしまえばよいのです。
子供から見えない所で観察していれば、子供は必ず慌てて親を探し出します。子供にとって、特に母親は絶対的な存在ですから、どんなに怒られても親にすり寄ってきますので、強く突き放すことが大切です。
強く怒って、親が顔色を変えれば子供は怖がって従順になるようにしつけることが、子供の育成に大切なのです。
 最近は少子化で子供を甘やかせすぎですね。親の強い信念が子供に引き継がれる。即ち子供は親の背中を見て育つのです。親が子供に負けていては子供の為になりませんね。

2013年10月21日月曜日

思い出(新聞配達)

中学生になってからは配達の方をさせて頂けるようになりました。
当時は折り込み広告がそんなに多くなかったので、配達員が自分の配達区域の部数だけ自分で新聞に差し込んで、それから配達に行きました。もちろん仕事の増えた分はお金を頂けました。
中学生ですから冬でも寒いと思ったことはありません。ただ、犬が放し飼いしている家があって、怖くて困ったことが強く印象に残っています。 
 配達だけでなく集金にもいきました。こちらも一軒集金してくれば幾らと決められていましたので、結構真面目にやっていました。
でも貰ったお金は自分で使ったことがなく全て親に渡していました。
 尼崎に引っ越して来てからは遊びが一変しました。男の子の遊びは野球です。
野球も結構上手い方で、クラブ活動は野球部に所属していましたが、一度も練習に参加したことがありません。夕刊の配達があるからです。

2013年10月20日日曜日

思い出(新聞売りと配達)

私は家庭の事情で小学校5年生の時に尼崎に引っ越してきました。
それまでは母が頑張って働いていましたので、何も感じなかったのですが、尼崎に引っ越してからは遊びが一変して、用具が必要な遊びばかりで、それが買ってもらえないので、家は貧乏なことを思い知らされました。
 そこで5年生の時に近くに産経新聞の配達所がありましたので、配達をさせてくれと頼みにいきました。
 小学生には配達はさせられないが売り子ならさせてあげると言われました。
出屋敷の駅前の改札口を出たところで、X状の脚の上にベニヤ板を乗せて、その上に新聞を並べて「朝刊はいかがですか」と声を掛けて売ります。
時代は昭和の20年代後半で、まだ家庭で新聞を購読している人が少なかったので結構売れました。
 新聞は本社から足りなければいけませんので、余分に送られてきます。朝刊の余った分は夕刊の配達時に返品します。その余分な分を売るのですから、売り上げの歩合は良かったのです。月末には沢山アルバイト料をもらいました。
でもそのお金は、中学に入学するときに学生服を自分で買った記憶がありますが、その他は全て親に渡していました。そして中学になってからは配達をしました。

2013年10月19日土曜日

スモッグで曇っている日が多い

18階に住んでいるので、朝出かける時にエレベーターホールから神戸方面を毎日見つめています。
写真がそうですが、よい天気なのにスモッグですっきりと見えません。
下の写真は5月に比叡山に行った時に撮ったものです。
少し黄色味を帯びたスモッグの層が見分できました。
お天気のせいで靄っているんではないのです。
今年は春からすっきりと景色が見えた日の方が少ないのです。
中国の大気汚染の影響だと思います。政府はどうにか出来ないのでしょうか。
抗議出来ない理由があれば教えてほしいです。

2013年10月18日金曜日

思い出(テレビ)

テレビを最初に見たのはプロレスの力道山が出ている放送でした。
テレビは1950年代の高度経済成長期に入って、三種の神器の一つとして普及して行きます。
1953年にシャープが日本で第一号のテレビを作り売り出すのですが、17万円くらいの高額ですから、一般の家庭では買えません。
 テレビを見れるのは近所の電気屋さんだけでした。電気屋さんも宣伝の一環でプロレスが放映される時だけは、奥座敷に近所の人を招き寄せて見せてくれました。
 当日の夜は十畳くらいの座敷に、床が抜けるのではないかと思えるくらいに大勢が集まり、力道山の活躍をみんなで大喝采して応援したことを覚えています。
 1950年代の後半になってテレビが普及していくのですが、我が家がテレビを買ったのは私が中三の時でした。
 親父の寝室兼居間に置かれていて、親父はニュースばかりを見ていまして、面白くないのでテレビを見て楽しんだという記憶はありません。
 結婚をして家を出ましたので、主導権を持ってテレビを見れるようになったのはそれからです。でもテレビ局と撮影所に出向をしていました。また芸能界の衣裳の仕事を辞めてから直ぐに事業をはじめましたので、忙しくしていましたので、ゆっくりとテレビを見ることはほとんどなかったです。

2013年10月17日木曜日

思い出(氷式冷蔵庫)-4

谷崎潤一郎の「細雪」を読みますと確か冷蔵庫が出てくるはずです。
世界恐慌の煽りで衰退して行く、芦屋の家族の無常を描いた作品です。
舞台は昭和初期でしょうか。随分と以前に読んだものですから、記憶違いかもしれませんが、「こんな時代に既に電気冷蔵庫があったのか」と驚いたことを記憶しています。
1933年に東芝の前身の芝浦電機が電気冷蔵庫を売り出したそうです。高すぎて普及しなかったようです。1950年代の高度成長期に入って三種の神器と言われて冷蔵庫、洗濯機、テレビが普及しだします。
それまでの冷蔵庫は上下二層になった保冷庫でした。片開きか観音開きになっていて、上の部分に氷を入れて、その冷気が下に下がっていきますので。その冷気で保存をするという形式のものでした。
それでもお金持ちの家にしかなかったのです。氷を配達する家は裕福な家だったのを記憶しています。冷蔵庫には通常は一貫目を上に入れておきます。あくる日に行きますと、少し塊で残っていることもありました。残っていなくても冷気はありましたので、製氷所で作った氷は如何に溶け難く硬いかということですね。

2013年10月16日水曜日

思い出(氷式冷蔵庫)-3

買ってきた氷ですが、今は大きな冷凍庫、冷蔵庫がありますが、私がアルバイトをしていた頃は、小さな個人商店では電気冷蔵庫はありませんでした。
冷蔵庫というよりも保冷庫です。密閉した天井の低い2畳くらいの保冷庫に、麻のドンゴロスを覆いかぶせて置いておきます。
 製氷所で作った氷は硬くて溶けにくいのですが、あまり小さく切りますと当然溶けやすくなりますので、8貫目のままで保冷しておきます。配達に行くときはその大きさのまま自転車に積んで持っていきます。
 配達先で注文に応じて自転車の上で切って手鉤でひっかけて持っていきます。
かき氷屋さんでは、削る時は半貫目の大きさの氷を機械にかけますので、一貫目に切って半分のところに切り目を入れておきます。
今でも高級な飲み屋では自家製でなく、水割りにしたときは美味しいから、製氷所の氷を使っています。最近は使いやすいように、砕いてからビニール袋に入れて配達するサービスもしているようです。私の働いていた頃は砕くと溶けやすくなりますので、一貫目単位の大きさで配達するのが通常でした。ですから何処の店でもアイスピックを用意していました。
飲みに行くと、少し大きめの氷を掌の上でアイスピックで砕いて、コップに入れてくれていました。そういう光景も今は少なくなりましたので懐かしい光景です。

2013年10月15日火曜日

思い出(氷式冷蔵庫)-2

買った氷は16貫目ですから2つに切ります。
のこぎりで真ん中を測定して切り込んで行きます。切り目は三分の一くらいです。そこまで切ったら、のこぎりは柄の方に行くほど斜めに太くなっていますので、のこぎりの背を切り目に差し込んで柄の方向に押します。そうしますと楔を打ち込んだようになりますので、綺麗に下まで割れます、真っ直ぐに切り込みを入れるとほんとに真っ直ぐに割れるのです。この時は少し快感でした。
氷は8貫目にして自転車に積みます。手で持てば滑って持てませんので、木綿の分厚い前掛けをしていますので、その前掛けに手前を当てがい、向こうの端はてがきで引っかけて持ち上げて荷台に載せます。後ろが重たくならないように8貫目の氷をサドルの直ぐ後ろに重ねて積みます。
氷は滑るイメージがありますが、実は重ねると氷はひっついて滑り落ちません。
荷台に面している方は、荷台の鉄に少し溶けて食い込んだ状態になっていますのでこれも滑りませんからロープをかける必要はありません。
製氷所で作った氷は硬くて溶けにくいのですが、暑い時期ですから上から麻のドンゴロスで覆って帰ります。
自分の体が軽いので前が浮きそうでハンドルはぐらぐらでしたが、こけたことはありません。製氷所に氷を自転車で仕入に来ていた中学生は私くらいでした。

2013年10月14日月曜日

思い出(氷式冷蔵庫)

32貫目の製氷されたままの大きさで彫刻されたものだと思います

先日行きつけの喫茶店に行った時に、なじみ客の間で氷の話が出ました。
話の切っ掛けは何だったのかは忘れましたが、氷談義に話が咲きましたので、私も懐かしく話に加わって楽しいひと時を過ごせました。
 それというのも、私は中学の時に朝夕は新聞配達をして、初夏から晩夏までの暑い時期には昼に氷の配達のアルバイトをしていたからです。
 サドルのすぐ後ろに背よりも高いコ型の鉄棒が取り付けられており、荷台を大きくして、後ろのタイヤだけは、リヤカーのタイヤに着けている太いタイヤを付けた自転車がありました。スタンドは今の幼児を乗せる自転車に付けられている、自転車が倒れ難くしてあるものです。
 八百屋や魚屋などの荷物を運ぶ所ではこの自転車を使っていました。
この自転車で製氷会社に氷を買いに行きます。
氷は深い井戸から汲み上げた美味しい井戸水をろ過し殺菌し、48時間時間をかけて凍らせます。氷は32貫目単位で製氷されます。大人の人は自転車で来て32貫目を乗せて帰りますが、中学生で特に細かった私では、後ろが重くて前輪が浮いてしまいますので、自転車に積めるのは16貫目です。
 16貫目と言っても理解できないと思いますので説明します。
かき氷屋さんでも、美味しいかき氷を食べさせてくれるところでは、自家製の氷でなく、製氷会社で作った氷を使っています。飲み屋でも高級な所では今でも製氷所で作った氷を使っています。硬くて溶け難く美味しいからです。
かき氷屋では13~14cm角の正方形にちかい氷を機械にかけて削ります。あの大きさが半貫目です。

2013年10月13日日曜日

孫と遊ぶ


甲子園の海賊公園は甲子園浜の堤防に隣接した所にあります。
公園で遊んでから、帰る前に海を見せてやろうと思い海辺に行きました
4時過ぎで陽は西にかたむき始めて海面を照らし美しい光景でした。
それを見た孫は「美しい」と感動していました。
まだ三歳前の幼児が景色に感動するのは珍しいことではないでしょうか。
だからその孫は感受性が豊かで賢いなどと褒めるつもりはありません。
 ただ、子供は様々な経験をして次第に体で覚えていくのだなぁーと実感をしました。
 様々な所に連れて行ってもおそらく記憶には残らないだろうと思います。でも人は実感をして覚えて行きますので、早くから素晴らしいものを見せてやることが情操育成面で大切なのでしょうね。

2013年10月12日土曜日

孫と遊ぶ

次女が出産で孫を預かりました。
ぐずると公園に行こうと持ちかけますと機嫌がなおりますので、甲子園の海賊公園い行きました。
この公園は母親からも連れてきてもらっているということです。
公園にはコンクリートで作られた汽車があります。
機関車には前にも横にも運転席には窓がありません。
でもコンクリートの壁に向かって手を動かして運転をしている様子です。
少し前に電車の運転席のすぐ後ろに座って、電車の運転を見せていたのでその記憶がよみがえったのでしょう。熱心に運転をしています。
そして着きましたと言うので有難うと言って降ります。
次に私に運転手をしろといいます。私も運転手になったつもりで演技をします。
その遊戯が面白いのでしょう。何回も何回も交代で運転手ごっこをしました。
子供は面白いと際限なく続けようとしますので体力のない爺は困ります。

2013年10月11日金曜日

官僚の無神経

女子の高校生がストカーニ殺されました。
その事件に関して警察長官がテレビでコメントされていました。
聞き間違いでないとおもいますが、「真摯に謙虚に検証を行ってほしい」というよに話されていたように記憶しています。
行なってほしいという言葉を聞いた時に、それは違うのではないかと物凄く違和感を覚えました。
自分は最高責任者ですから、「行ってほしい」はおかしいでしょう。
法的な絡みもあり。これまでの警察の対応の決まりもあるでしょうが、命の尊さを口にすのであれば、最高責任者としては「します」とか「させます」で終わらなければいけないでしょう。どうも国民と官僚との溝を感じてしまいます。
真に苦労や悲しみに陥っている人の心は分っているのでしょうか。

2013年10月8日火曜日

習わんと思う心こそ我が身ながらの師匠なりけれ

これも確か千利休の言葉だと思います。
確かに人は様々なことを学ぶことによって高まって行きます。
何もしないよりは前向きに習う方がよい。そういう気持ちになることそのものが、自分を高めてくれる。即ち師匠であるということでしょか。
 人は何でも自分ではわかっているつもりでいますが。現実には実践してこそ初めて学び取れるものが沢山あります。
ですから、前向きな気持ちになって習った方がよいということですが、昔と違って事情が少し異なります。
 昔は師匠が絶対的な存在でした。生徒は畏敬の念を持って接しました。
その分身に付くことは多いわけです。
そして経済的な面においてもそうです。
貧しい時代においては時間とお金を大切にしました。ところが裕福な今日では、自分の向上の為に来ているのに他人事のように考えている人が沢山います。
習いたいと思って始めても、それが出来なくても生活に何の支障もないので、熱心ではないのです。
 お稽古事に取り組んで成果を挙げる一番の要因は、必要性を強く感じているか。その必要性によって湧出する精神なのです。門をくぐってもやる気がなければ得れるものは少ないのです。昔はお稽古事は遊びでないと感じていたのが、裕福になって遊びの一環として捉えている人が増えています。

2013年10月7日月曜日

お稽古事の「修」「破」「離」-7

離の段階に達すればどのように教え伝えて行くかという自分なりの境地を切り開かなければいけません。
 でも、当初から確かな理念と信条を有して取り組むことは無理です。
そういうことよりも実行に移せば、先ず経営的に続けて行くことを思考することが肝要です。
 名声がない、資金もない者が、お稽古事で経営的に成り立っていくことは至難のことです。でも、始めた限りは何としても成り立つようにしなければいけません。
 資金が潤沢でない人は困難を極めます。私がそうでした。
その困難を乗り切って経営的に成り立つようになれば、その苦難の中から、どういう指導をすればより大きな使命を果たしていけるか。そのことが自ずと分り、それが理念信条につながっていきます。ですから当初から確かな境地を持つことにこだわらなくてもよいのです。
続けて行けるか否かが重要です。
 人は人をよく観察しています。100%の支持を貰うことは不可能です。如何に自分の支持の%を高めるかということです。それが高ければ経営的成り立つようになります。%が低ければ潰れます。
経営的に成り立つようになれば、その中から様々な物事を学び自分を高めていけることになりますので、お稽古事を始めたならば、離の段階まで進むのが理想だというのが、修,破、離の教えです。

2013年10月6日日曜日

お稽古事の「修」「破」「離」-6

破の段階までに達っすれば技量は一人前です。
そこまでに至ればそれを手段として楽しむことはできます。楽しむことは可能ですがそれでは自己満足に終始してしまいます。
人は自己顕示欲の強い動物ですから、人から自分の存在価値を承認されてこそより大きな喜楽に繋がります。
身に付た技芸は人に役立ってこそ値打ちが高まり、大きな喜楽がえられるようになりますので、人に役立つ活動をはじめなさいというのが、「離」ということの教えです。
 活動を始めるにはお金が必要です。立派な技量を有していてもお金がなければ人に役立つ活動はできません。
 奉仕活動では続きませんので、お金を頂けるようなシステム作りをしなければいけません。
お金が動けばそれは事業です。お金が動けば税務申告をしなければいけません。お茶、お花、踊りその他のお稽古事も税法上はサービス業に含まれます。
 お茶、お花、踊りその他のお稽古事はサービス業だということをご存知でない人がおられます。
 歴史と崇高さを醸し出しているお稽古事は、別世界の業種と思っておられる人がいますがサービス業の一つです。

2013年10月5日土曜日

お稽古事の「修」「破」「離」-5

破ですが、破は文字の如く破るということです。
修の段階が終わって技量が備われば、どんな芸術家でも独自の創作活動に移っていきます。
教えられ儘の技量では大きく伸びません。
教えられたことを基盤にして、そこに独自の工夫を駆使して独自の世界を作り上げていく。そういうプロセスを踏んで技量は増幅して行きます。
それには益々の情熱が必要です。
器用不器用は当初は多少の影響はあります。でも一人前の技量を身に付けるには
そういうことよりも根本である情熱という精神が重要です。

2013年10月4日金曜日

お稽古事の「修」「破」「離」-4

よく「今はその気がないけど、その気になれば出来るわ」という人がいます。
やる気のないことをそう言ってその場を繕うのです。
 そういう人は修の段階の備えを十分に出来ない人です。
世の中で全く平等に与えられているのは時間です。その時間を如何に有効に使うかということで成果が異なってきます。
そして世の中は競争です。その競争に勝利するために早くから備えている人が沢山います。
それが現実なのに備えに情熱のない人は競争に勝てることはないでしょう。
 備えが十分であっても、競争に勝てるのは難しいのに、備えを怠っていて何かを掴めることは絶対にない。世の中は甘くないというのはそういうことです。
 修の段階は苦労が伴います。その苦労に耐えれる人は少ない。
少ないから逆に頑張ればチャンスも大きくなります。
今の若い人は自分たちの立ち入る隙間がないと社会を批判しますが、そんなことはありません。我慢をして前向きに取り組めば、競争に勝てる確率は高くなります。
自己の人生の充実の為に生きているのに、頑張れない人が多いのです。世の中は不思議な現象が蔓延しています。

2013年10月3日木曜日

お稽古事の「修」「破」「離」-3

修の段階は創造創作でなく物真似ですから面白みにかけるので苦痛が伴います。
情熱を持って取り組むということは、自主的に前向きに頑張るということです。
そういう自主的な取り組みはベストですが、自分の為に来ている筈なのに、なかなかそういう気持ちになれない人が多いのです。
 これは勉強でも同じです。誰のためでもなく自分の人生のためにするのです。
幼稚園から大学まで数えて19年間学びの道を歩むのです。自主的に前向きに、そして先を見据えた取り組みをすれば、必ず何かを掴み取れる筈です。
でも修の段階は確かな目標をもち、その目標に対する執着心が貧弱であれば、良い成果をあげることはできません。
 特にお稽古事は例え出来なくても、現状の生活に何の支障もありません。
学校の勉強は自分の人生に大きく影響を与えます。そんな大事なものでも、親からやいやい言われるから仕方なくやるという人の方が多いというのが現実です。
 それが現実ですからお稽古事では尚更情熱を持つことは難しいのです。
指導者はそういう現実を十分に把握して、どうして頑張らなければ仕方がないように仕向けて行くかということが大きな仕事になります。
 専門的なことよりも、それ以前の精神性に踏み込んでいかなければいけないのです。親は専門的に勉強を教えることは出来ませんが、精神的な面では立ち入って指導することは可能です。

2013年10月2日水曜日

お稽古事の「修」「破」「離」-2

よく真面目でなければいけないと言われます。真面目は大切です。大切ですが真面目だけで何とかなるのだったら苦労はしません。基盤は真面目でなければいけませんが、それにプラスして何としても成し遂げたいという情熱が大切です。
 修の段階は、真面目にそして情熱を持って努力をしていかなければいけません。
我慢、辛抱が要求される段階ですから、先を見つめた確かな目標を抱いて取り組まなければ続きません。
 医者の子供は親と同じく医者になっているケースが多いです。
医者になるために小学生の子供が夜遅くまで塾で頑張っています。そういう姿を見て、もっと子供らしく延び延びと育ててあげなければと、批判する人もすくなくありません。私は馬鹿げた批判だと思っています。
 親は背中でものを言うと言われていますが、正にそれです。親は人から尊敬されています。そして所得も多い。親の充実した生活を見ているから、自分もできたら親と同じになりたいという確かな目標を持っています。先をしっかりと見据えてますので、多くの子供が遊びに明け暮れているのに、夜遅くまで勉強に頑張れるのです。
 孔子の言葉に「30にしてたつ、四十にして迷わず」とあります。30にして急に実行を思い立ったわけではありません。備えを十分にしておかなければいけない。30にして備えが出来たということです。修の段階はそれだけ困難であるということです。

2013年10月1日火曜日

お稽古事の「修」「破」「離」

お稽古事の理想の進み方に千利休の言葉だと言われています「修」「破」「離」というのがあります。
 35年間お稽古事に携わった一人として大変貴重な言葉であることを実感しています。
 「修」は言葉の如く修行することです。どんな芸術も物真似からスタートしていますので修の段階では、物真似は重要な上達の手段です。
 今の人は昔と比較して、裕福になった恩恵を受けて、甘やされて育てられていますので、従順さに欠ける精神性が蔓延っています。
 ですから教えを乞いに来ているのに、素直に従えない人が多いのです。
自我が強ければ当然の事として、入ってくるものが閉ざされてしまい、その分上達は遅れます。
昔から教えられる人は、自分を真っ白にて、染まりやすい気持ちにならなければいけないといわれています。
修の段階では素直さが必要です。
 ところが巧みに洗脳して、お金を貢がせようとするところが、ありとあらゆる所に存在しますので、素直に聞き入れれるのは危険と感じていることもあります。
ですからそれを払拭するために、「お金を持ってこい」ということがない限りは、言われることを全て受け入れても得になるだけで、損失は生じないでしょう」とよく言いました。