2014年8月31日日曜日

寝屋川まつり



30日(土)31日(日)は寝屋川祭りです。
昨年の12月に寝屋川に引っ越しましたので初めての寝屋川祭り体感です。
毎朝ジョギングをしています近くの公園で行われますので昨日は出かけました。
押され押されで前に進まないほどの物凄い人出です。
舞台が三ケ所設けられていて、ダンスコンテストなど様々なパフォーマンスが行われており夜7時からは盆踊りが始まります。
 河内音頭は交野地方で歌われていた民謡が、江州音頭や浪曲などを取り入れて現在のようになったと言われています。河内音頭は北河内、中河内が発生だと言われています。寝屋川は北河内で、河内音頭の本場ですから盆踊りは派手です。
河内音頭、江州音頭の家元があり、各家元の会派が江州音頭と河内音頭を順番に音頭取りの生ライブで踊るのです。なんと贅沢な盆踊りでしょう。
音頭取りのライブだけを聴きに来ている人も沢山いますが、あのテンポの良い美声を聴いては自然と身体がムズムズと動きだしますので踊りました。
楽しかったです。妻が仕事でいませんので踊っている写真が撮ってもらえず残念です。

2014年8月30日土曜日

幸せさがし-47

矛盾だらけの人生ですが、矛盾だらけであることが分っていない。また分っていても、その事を追求すれば自責の念で精神が病んでしまうかもしれませんので、頑張り通せなかったこと、嫌なこと、苦しいことを避けて歩んでしまったことも自賛して、知らんふりをして歩んでいるのではないでしょうか。
自分が今置かれている立場は誰の所為でもなく、自分が選択しその環境の中で価値付されたものです。
その結果として、仕事が楽しくない、給料が安いと言ってぼやいても仕方がないのですが、人間は我欲が強いので自身の所為であると認識できない人も少なくありません。
それが確りと認識できている人は「世の中には素晴らしい人が掃いて捨てるほど存在する」と思えるようになり、自分のような者でも働かせてくれている「有り難い」と思えるようになります。
そう思えれば仕事が楽しくなり、苦ではなくなるのですが、そういう境地に至ることは大変難しいことです。
生活があるから簡単には辞められない。でも仕事が楽しくないという人は、「有り難い」と思える自分に変化させて行く以外に仕事を楽しくさせる策はないのですが、それも難しいことですね。
結局は、ストレスを飲食や娯楽で癒して、自分をなだめ宥めて進んで行く以外に無いのですね。
私はそういう生活から何としても抜け出したいと30歳の時に起業しました。
自己資金もなく借金をして始めたもので、大きな賭けでした。幸いに時代が良かったのでしょう。
何とか食べていけるようになりました。苦しかったです。恥も沢山かきました。でも楽しかったです。
毎日が充実していました。その充実感を知っていますのでこういうことが書けています。

2014年8月29日金曜日

幸せさがし-46

 矛盾という点では個々の生活においてもそうです。
人間はいくら修行を積んでも簡単に聖人になれません。欲がなくなる筈がないのです。
残る欲望の矛先は名声とお金と愛でしょう。愛の虚しさは既に記しました。
 お金は自分が起業をして成功するか、特別なライセンスを取得するか、勉強して学者になるか、プロのアスリート、芸術家になるか、技芸堪能者になるかと目標は明確です。
お金は高いところに流れますので、その道で他者から存在価値を承認されるようにならなければお金も沢山稼げません。
どの道を選択しても世の中は厳しい競争です。こういう人生を歩みたいと目標を抱き、気概と根性を発揮して頑張って競争に勝てる無形の財産を身に付けなければいけないのです。
こんな理屈は誰が考えても理解に及ぶ簡単な理屈です。
でも名声やお金に対する欲を捨てきれないのに、自分に与えられた人生という限られた時間を、無形の財産を所有するための備えに、十分に活かさないで、「その気になればなんとかなるわ」という楽な道を選んでしまう人が多いのです。私もある時期まではそうでした。これもまた大いなる矛盾なのですが、矛盾であることすら気付いていませんでした。

2014年8月28日木曜日

幸せさがし-45

人間というのは矛盾だらけです。でも自分ではそんなことはないと思っています。
 例えば選挙です。選挙に行っても何にも変わらない。だから行かないと棄権する人が地方選挙では半数以上います。国政選挙でも半数近くいます。誰に入れたらいいかわからないとも言います。
現在は政党政治ですから、例えば政治改革が必要だと感じたら、それを重大公約にしている政党に入れればいいのです。そして公約しながら口先ばかりで実行しなければ、次の選挙ではしっぺ返しで、同じ改革を唱えている政党に入れればいいのです。
そうして選挙によって政権が代わるような状態を作る。政治家は政権政党に属さなければ政治家になった意義が減退する。また政治家は落選すればただの人ですから、次の選挙で落選するかもしれないという危機感があれば、政治は自ずとよくなるのです。そうなるか否かの主権は国民にあるのです。それが真理でありながら、選挙には無頓着で、それでいて国が悪い、政治が悪い、政治家がなっていないなどと平然と言う人も少なくありません。それは大いなる矛盾でしょう。

2014年8月27日水曜日

幸せさがし-44

様々に書いていますが、いくら書いてもナンセンスだということは分っています。
親子の間においても、時代、即ち社会通念というものが大きく影響をします。
少子化の時代ですから、自ずと子供を構いすぎて大切にします。もっと突き放して厳しく育てた方が、子供のためにはプラスになると思えることは多々あります。でも親子関係が友達化してきていることが概念化してきている現在では、自分の所だけ厳しくしても子供には理解できずに、親子関係が壊れてしまう恐れもあります。結果としては格言通りに、親の背中を見せて育てる以外にありません。
どんなものでも例外はあり、これはあくまでも一般論ですが、医者の子供は、大抵は医者になっています。また社会的地位の高い、社会に貢献度の高い人。即ちマズロー博士の第四段階の尊厳の欲求を達成している人は、生き甲斐を感じて生活していますので、子供も倣ってそうなりたいと思って、しっかり勉強をします。そういう人は、人生経験で永続性の喜楽とはどういうものか、またそれを有することの大切さを知っています。
そういう人はいいのです。ただ、平均年収というものがあります。その数字だけを見れば上下5分と5分と思われがちですが、実態は平均年収よりも所得が少ない人の方がはるかに多いのが平均年収なのです。
半数以上の人は低所得者です。これも勿論例外はありますが、低い所得しかない人が、仕事が楽しい生き甲斐だと感じて生活しているでしょうか。恐らく生業である仕事は辞めるわけにはいかから、自身を激励させて頑張っていると思います。
こういう書はそういう人達に読んで頂きたいのでが、そういう人達はこういう書には見向きもしません。
選挙には行っても何も変わらないと思っているから行かないという人が沢山います。それと同じでどうにもならないと思っているからでしょうか。

2014年8月25日月曜日

幸せさがし-42

 マズロー博士の唱える欲求五段階説の三段階まではほとんどの人が到達する。だけど四段階の尊厳の欲求までに到達する人は少なくなります。
何故なのか。それは自分に与えられた時間を、将来を見越して有効に使ったか否かの差です。
大筋では、若い時に苦労、努力をして人並以上の知識や技芸を身に付けるか。若い時に遊んで楽しんで、先で生活の為に面白くないけど、仕事を頑張ってしているという生活をするかということです。
どちらを選択しても間違いということはありませんが、どちらを選択すれば短い人生においてよりベストかといえば明確です。
結婚をして所帯を持てば責任がありますので仕事が優先になります。その仕事が楽しい生き甲斐だという人はラッキーですが、若い時に楽をして仕事に就けば、仕事が楽しいという仕事に就けることは少ないと思います。
今は大学まで行く人が多いのですから、学生時代は16年間あります。その間は、その気になれば何もしないで勉強に没頭することができるのです。そして若い時は記憶力もいいし、体力もある。自分を磨くのにこれほど条件が整っていることはないのです。だから若い時は一生懸命に自分を磨くことに精を出すべきです。
こんな当たり前の理屈は誰もが分っている筈なのに、怠けてしまう人の方が多いのです。
親もよくわかっている筈ですから、子供に言っているとおもうのですが、甘いのですね。
子供に強く言えるのは親しかいなのですから、本当に子供が可愛いのであれば、もっと厳しく子供と接するべきだと思います。

2014年8月24日日曜日

幸せさがし-41

昔から「馬鹿に成れ」と言われています。
自己否定をするということではありません。気にするな,聞き流せ、そうすれば人間関係も摩擦が起らないし、自分の気持ちも楽になるからということです。
自分よりも賢く立派な人は掃いて捨てるほどいる。こんな自分でも雇ってくれて有り難いと思え。それは自己否定をしろということではありません。感謝しながら前向きに頑張るということです。
今自分の置かれている立場は、過去の時間の使い方の結果であるということです。
障害を抱えながらも夢を持って頑張っている人もいます。
私は芸能界にいた時期があります。一般の人は売れて来てからの役者やタレントの姿しかみていませんが、二世タレントは例外として、多くの人は不遇の時期を経験しています。食べることもできなかった、、それでも耐えて我慢して頑張り通した人が今名の通った役者になれています。
役者だけではありません。他の業種でも不遇な時代があって、それでも夢に向かって頑張り通した人はたくさんいます。
今仕事が面白くないという人はそれほど頑張ったのかということです。少しは頑張った時期もあるが、夢や目標を抱いて頑張り通したと言えない人がほとんどではないでしょか。
家が貧しかった。そういう宿命的なものがあって、学校には行けなかった。でも頑張れば人から称賛されるような職人になれることは出来ます。大学に行けなくて社会的地位の高い人になれなくても、人からあの人は立派だと称賛される職人にはなれます。

2014年8月23日土曜日

幸せさがし-40

 自分の存在価値を承認されることが永続性のある喜楽に繋がる。一番の近道は生涯携わっていかなければいけない仕事でそうなることがベストです。でも世の中は厳しい競争ですから、それが叶わなかった人の方が現実には多いのです。それならばボランティア活動をすれば敬愛されるようになる。
それは確かで、現実にそれを行っている人もいます。
確かに方法の一つではありますが、現役を続けながらボランティア活動をするなどというのは現実的ではありません。
現役でそれを行える心のゆとりのある人はごく稀でしょう。もしそれが出来る人であれば、既に今の職場でも遣り甲斐のある仕事に就いていると思います。
何をするにしても、一番大切なのは心のゆとりです。
心のゆとりがあれば、世の中には自分よりも立派な人、賢い人は掃いて捨てるほどいると思えるようになります。そう思えれば自分のような者でも雇ってくれて「有り難い」と思えるようになります。
そう思えれば心が軽くなり仕事が面白くなります。疲れの原因は身体よりもメンタル面の方が大きいので幾ら働いても疲れが残りません。溌剌と働けるようになりますと、会社側からの評価も好転するかもしれません。好転するかもしれませんというのは、仮の話であって、それを計算してはいけませんし、また計算では必ずボロが直ぐに見えてきます。
自分の値打ちは自分で決めるものでなく、他者によって決められます。人から見て自分は今の立場に相応しいと決められたのですから、それを受け止める人にならなければいけないのです。
もしそれが出来たなら明日からではなく、今すぐからバラ色の人生になります。

2014年8月22日金曜日

幸せさがし-39



 大きく社会貢献をしている人は、輝いています。即ち、マズロー博士が唱える欲求五段階説で四段階の欲求を実現させている人達です。毎日が充実しているから輝くのです。
ボランティア活動は例外として、輝いている人達は収入も多い人たちです。同じ働かなければいけないのであれば、そういう働きをしたいと思いませんか。
その為には無形の財産を所持しなければ四段階は実現しません。そんなことは分っていたけども、また分らなかったから自然の流れの儘に歩んできて、特別な努力はしなかったという人が多いのが現実です。
その結果仕事が面白くない。生き甲斐になっていない人は多くいます。
今さら現在の職場ではどうにもならのであれば、働きながら勉強をしてライセンスや技能取得はできます。頑張ればできますが、大抵の人はしません。
なんだかだと愚痴をこぼしながらも、我慢して仕事が続けられているからでしょう。
そうなのです。仕事で生き甲斐を見つけられなければ、他にも楽しく生きて行く方法はあります。
自分の存在を称賛,承認されることが最大の楽しみであります。遊びでは何の解決にもなりませんので駄目です。そのことを踏まえて考えられることの一つは、ボランティア活動に精を出すことです。
人のために何か役立つ活動をする。大変なことですが、ひたすら励めば必ず人から敬愛されるようになります。人から喜ばれ頼りにされることは大きな喜楽になりますので、これも一つの方法です。ボランティア活動はその気になればいくらでも活躍できる場があります。

2014年8月21日木曜日

幸せさがし-38

人の最大の喜楽は自分の存在価値が人から称賛され承認されることです。それ以上の喜楽はありません。一時的に大きな快楽が得られたとしても、刹那的なものであっては、人生という長い期間のなかでは、差し引き大きなマイナスになります。
アメリカの心理学者のアブラハム・マズローの欲求五段階説がそのことを立証しています。
人間は一つの欲求が実現しますと、高次の欲求をするものであるという説です。
第一段階では眠りたい、食べたいという生理的欲求が起ります。その欲求が安定して満たされますと、次は安定、安心した生活をしたいと思うようになります。次には文化的に生活したいので社会帰属の欲求が出て来ます。ここまでは外的欲求で誰もがここまでの欲求に到達します。
人間は自己顕示欲が強い動物ですから、これで満足しないで、自己の存在価値を称賛、承認されたいという、精神の満足度に対する欲求が生じて来ます。
そして最後は自分の創造性を発揮して大いに社会貢献したいという、自己実現の欲求へと進んでいきます。マズロー博士の五段階欲求説はザックリと言ってこのようなものですが、第四段階の尊厳の欲求
(称賛、承認、評価、昇進)の段階に進む人の数は激減します。
称賛、承認、評価、昇進という欲求は,恐らく全ての人が抱くのですが、現実に実現させるためには、自己満足でなく、他者から承認されるだけの無形の財産(知識、知恵、特技)を所持する。または起業して自分がトップとして活躍するという環境が備わってなければ実現できません。だから第四段階に進む人は激減するのですが、幸せさがしの目的である永続性のある喜楽は、四段階を実現させて初めて手にいれることができるようになるのです。
このことは誰も教えてくれませんが、早くから知っておくことが大切です。

2014年8月20日水曜日

2014年8月19日火曜日

善通寺

善通寺は、香川県善通寺市にある寺院。真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院と号します。
本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられます。
所在地: 〒765-0003 香川県善通寺市善通寺町3丁目3-1


 里帰りをしたときにハ十八か所巡りをしています。今回は善通寺に行きました。
善通寺は、平安時代初期に空海の父である佐伯善通を開基として創建されました。
伽藍は創建地である東院と空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分れています。
立派な五重塔がありますが、安政年間に着手して三代の棟梁を経て明治に出来たそうです。


 私は仏教に帰依しているわけではありませんが、寺院の境内に一歩足を踏み入れますと自我を捨て、ただただひれ伏す気持ちになれるところが好きで、宗派に関係なくお詣りをしています。

2014年8月18日月曜日

内子座

妻の里は内子町大平という所で、内子の町までは車で15分くらい走ります。
古い町並みが保存されていると聞いていましたので、今回見学してきました。
町並み保存地区から少し離れた所に、昔の芝居小屋(内子座)が保存されています。
所在地は=愛媛県喜多郡内子町内子2101 電話0893-44-2840です。


 内子は昔は木蝋や生糸で栄えた町だったそうです。町並みには豪商の家が保存されています。現在は一軒だけ木蝋を作っている所が残っていて見学できます。
地元の人たちの娯楽の場として、町の有志が大正天皇の即位を祝い、内子座を建築したそうです。
農閑期には地元の人達の最大の憩いの場であったそうです。昭和に入って打ち壊しの話が出たそうですが、町並み保存地区に隣接していますので残したそうです。
 古い木造の建築物を見ますとノスタルジックな気分になり癒されます。残してくださって有り難うです。

2014年8月17日日曜日

ぼっちょん列車に乗りました

 道後温泉駅~古町~松山市駅を走る、夏目漱石曰く「マッチ箱のような機関車」です。
 明治21年から67年間にわたり活躍した蒸気機関車をモデルにして再現されています。
現在はディーゼルで走っていますが型は当時の機関車を忠実に再現させているそうです。
道後温泉駅~古町(こまち)まで乗りました。
古町を降りると直ぐ左に道幅の広い商店街があります。
その商店街に交錯して五木ひろしが唄った「夜明けのブルース」の舞台となった2番丁があります。
駅を降りて右の方に坂道を行きますと松山城です。
坊っちゃん列車は、漱石が書いたように木製の小さな箱のような客室の汽車です。
一度乗ってみたいと思っていたことが実現したのですが、あれは乗るよりも見ている方が癒されますね。

2014年8月16日土曜日

マー君の乾燥椎茸




 マー君とは「松原 雅弘」ですから通称マー君なのです。
妻の実弟です。両親が他界して家と山を守るために脱サラをして実家を継いでいます。
林業は大変厳しい状況ですから、椎茸栽培を勉強して自分の山で栽培しています。
環境作りをして木を寝かせて、穴をあけて椎茸菌を植えつけて椎茸が出来るまで結構時間が掛かるようで、昨年くらいからやっと出荷できるようになりました。
 内子の街に、以前テレビでも取り上げられた「フレッシュパークからり」という道の駅があり、そこと松山市内に商品を卸しています。
 私も料理をしますので、国産の乾し椎茸の値段は分っていますが、写真の一袋700円は物凄く安いです。
食べてみましたが肉厚で美味しいです。いずれはネット販売もしたいということです。
安心、安全の国産の乾燥椎茸がこんなに安いのなら、大手を振って応援できますので、特約店の名乗りをあげました。
この安さですから送料はご負担いただけなければいけませんが、安心、安全、美味しいという点では誇りの持てる商品です。是非ご利用くださいませ。


販売網が固定するまでは私「着付名人=飯山 進」までご注文下さい。


<お問い合わせ、ご注文先番号>


072-813-3005自宅 携帯090-5069-1180 迄お願いします。

2014年8月11日月曜日

幸せさがし-37

私の弟子に着付で完全自立して、男性と同じように稼ぎ活躍している人が何人かいます。
専業主婦として子供の育児に生き甲斐を感じて生活をしていたのですが、子供に手が掛からなくなると余力が出来た時間を無駄に過ごしていることが虚しくなり、着物があるので自分で着れるようになりたいと思ってこられた人たちです。
 皆さんお稽古に来られるきっかけは同じようなものです。初めから指導者になりたいと考えて来られるわけではありません。来られるきっかけは当初は同じような思いなのですが、精神面に異なりがあります。お稽古事を娯楽の一環と考えている人と、趣味として感興を得たいと考えている人とのちがいです。
趣味、または遊びの中にも同じことがいえるものがありますが、極めたいと思えば難しさという壁が立ちはだかります。その壁を打ち砕いて前に進めばより大きな感興が手に入ります。でもその壁は自分の気持ち次第では分厚く大きな壁になり、頑張りがなければ打ち砕くことはできません。子供たちの勉強と同じですね。
苦労や我慢までしてやらなくても生活に何の支障もないので、大抵の人は退いて行きます。
でも少数ですが、頑張って壁に小さい孔をあける人がいます。小さい孔から先を見ると大きな喜楽が存在することが覗き見ることが出来ますので益々頑張って大きな穴にします。
苦労して、辛抱して、我慢して頑張った先には大きな喜楽が存在することを知った人は益々頑張って技能を磨きます。
私たち主催者はそういう人が出現する様に指導しますので、当然のことながら、その人には指導者になりませんかと声を掛けます。指導者になれば多少のお金も貰えるようになります。また教えることは最大の自分の勉強になり、技能だけでなく精神的にも大きく成長しますので、永続性のある喜楽にと変身していきます。

2014年8月10日日曜日

幸せさがし-36

幸せさがしというのは、如何に永続性のある喜楽や充実感という、感動を感じながら生きて行くかということです。
好きな人と結婚をすればそれが得られると期待して結婚をしますが、その期待は直ぐに破られます。
そうなれば、女性は子供の育成に活路を見出して没頭していきます。だけど子供は親元から巣立っていくのは自然現象です。子供に対する愛情は幾つ何十に成っても変わりませんが、巣立って行った子供に思い焦がれても自身の喜楽にはなりません。
やはり自身で何か心の潤いにつなげるものを持つ必要があります。
男性は仕事がありますので、その仕事に精を出して頑張れば進路変更をする必要がありません。
ところが女性は出産を機に仕事を一度退いています。以前の状態に復帰できることはまずありませんので、新たなものを見つけなければいけません。
今は厳しい時代ですから、何かといっても経済的なことを考えて、仕事に就くことを選択される人が多いのが現実です。それから始める仕事は遣り甲斐のある、楽しいと言える仕事に就けることは難しいでしょう。
そこからは、仕事が楽しくないという点においては男女共に同じ並びになります。
男性は専ら職場の人たちと遊んで癒します。女性は子供を通じて知り合った友達や、新しい職場の人たちと睦み合って癒します。
男女共に同じ路線を歩むのですが、女性は子供を通じて、または比較的住居に近い職場を選びますので身近な所で友達、知人を豊富に作り癒しの場を増やします。
ところが男は職場の人との交わりだけです。職場の友人はあくまでも同僚で、仕事を辞めればつながって交わっていくことはまずありません。男は現役を退いてから淋しい思いを強いられるという点では、男女は大いに異なります。

2014年8月9日土曜日

幸せさがし-35

 私の知っている人で東映の大部屋で役者をしていた人がいます。
結婚をして子供も出来て、このままでは食べていけないから役者を辞めて友禅作家になった人がいます。
「君にそんな絵心があったのか」と聞きますと、「その気になったら食べて行けるくらいの作家になることは難しいことでない」と言っていました。
その気になって勉強すれば、どんな事も出来るようになるものなのです。問題は不遇である立場から脱したいという強固な意志とやる気なのです。
必死で頑張れば必ず何とかなるのです。このことは忘れてはいけないことです。
仕事は一日の中で一番長く携わっている上に、嫌だからと逃げだせないものだけに辛いと思います。
でも多くの人は、不遇を嘆きながらも、そこから脱出する努力は出来ないのが現実です。
そういう弱さを持っているのも人間なのですから仕方ありません。
その気になれば、なんとかなるかもしれないのに、それが出来ないで、適当に息抜きして、気持ちを癒して続けている人が沢山います。
自分が好きで就いた仕事でも苦難はつきものです。食べていくために行う仕事はなおさらのことです。それでも適当に遊んで気持ちをリフレッシュさせて続けて行けるなら、それでいいのではと思います。ただし大きな永続性のある喜楽や充実感は得られないことを認識すべきです。
今置かれている立場が愉しくない、だけどそこから脱出する努力はしないで、不遇を嘆いているだけの人も少なくありません。それは大いなる矛盾です。努力が出来ないなら、「自分はこれまでの人間だ」、そう自覚できる自分であることが大切です。そう思えれば「自分のような者でも雇ってくれて有り難い」と思えるようになります。もしそう思えるようになれば、必ず明日からの仕事が楽しくなることは間違いありません。

2014年8月8日金曜日

幸せさがし-34

昔の企業は家族的で、入社してから色々と教育もしてくれました。
年功序列で大きな功績が無くても給料は上がりました。
厚生制度も充実しており、年に一回は社内旅行があり、運動会などもありました。
最近の企業は厳しい競争に晒されていますので、そういうゆとりはありません。
例えば英会話が出来なければ採用しないというように、入社して即戦力で使えるように、あらかじめ自分で十分に備えてから来いというのが一般的になりました。
そういう備えが十分でなければ、良い企業に就職は出来ないし、また遣り甲斐のある仕事にも就けないという時代です。
 学生は勉強することが仕事ですから、学生時代に企業の要求に応えられるように十分備えておかなければいけなかったのです。今の仕事が楽しくない、生き甲斐にならないという人は、備えを怠った結果としてそういう事態に陥っている人がほとんどですから、自業自得であるとも言えます。
中には恵まれない家庭に育ったために、学校にも行けずに就職したという人もいます。
そういう人に自業自得は酷ですが、現実に今現在面白くない、仕事が楽しくないという点では同じです。
 そういう人は今からでも遅くないのです。自分の立場を好転出来るように、何かライセンスを取得できるように頑張られてはどうでしょうか。
わたしの知っている女性で、夫が亡くなったために60歳の高齢になってから宅建の資格を取ったという人がいます。
生活の基盤となっている今の仕事を簡単に辞めるわけにはいきません。当然平行して準備をしなければいけません。至難のことではありませんが、苦境を知っている人ですから、その気になれば遣り通せてよい成果を上げる確率は高くなります。

2014年8月7日木曜日

幸せさがし-33

人間は自己顕示欲が強く、自尊心も強く「自分は偉い」と思っています。
でも自分の値打ちは誰が決めるのか。そのことを聞きますと「自分が決める」という人はいます。
自分の値打ちは自分で決めるものではありません。
学校の先生は生徒の性格などに付いて内申書を書きます。毎日接していますとよくわかりますので、書かれた内容は適合しています。
職場でも同じです、上司はよく見ています。いくら「自分がもっと出来るのだ」と言っても、あいつは駄目だと思われていたら駄目なのです。それによって昇進が決まったり、リストラの対象になったりします。
今置かれている立場は各々の力量に適合しいと考える方がまともな考えです。
自分が不遇だと思っても、会社側からすれば妥当なのです。自分で決めるのでなく、第三者が決めた方が、自分自身に対する評価は妥当なのだと知ることが大切です。
 人は「自分はもっとできる」「自分は賢いのだ」「自分が正しい」と思うから、それが不平不満につながります。そのプライドを捨てたらどうでしょうか。
どんな仕事に就いてもプライドを捨てる。そして逆に「自分はたいしたことのない人間だ、世の中には自分より立派な人は掃いて捨てるほどいる」と思うように出来ないでしょうか。
そう思えば、「自分のような者でも雇ってくれてありがたい」と思えるようになります。
そうなればどんな仕事に就いても「有り難い」と思うから、仕事を楽しみながら、一生懸命に取り組むことができます。
若い時は少々働いても身体的には疲れません。疲れるのは精神的な要素が多いので、「有り難い」と思えればいくらでも働けます。働いても疲れません。
我々凡人には一番難しい提案だと承知していますが、「自分のような人間でも雇ってくれて有り難い」と思うことが、仕事が面白くないという人に対する最大の解決法です。

2014年8月6日水曜日

幸せさがし-32

 日本では学校から就職した職場を辞めれば、それ以上の賃金を含めて環境の良い職場に就職できることは、まずありません。
仕事が面白くなくても、生活の基盤となっている職場を簡単に辞めるわけにはいきません。
だから仕事が終われば同僚、先輩。後輩などと飲食に出かけたりして、皆さん上手にガス抜きをしています。それが出来ていて、面白くないと言いながらも辞めることなく続けている人が多いのが現実です。雇われているということはそんなのもですから、その程度の面白くのは良い方で、恵まれているといえるかもしれません。
それが嫌なら自分で起業する以外にありません。
サラリーマンは夜仕事を終えてから同僚たちと飲み食いをしているときの話は圧倒的に会社の話です。
人は自己顕示欲が強いので、もっと自分の存在価値を認めて欲しいという話が多いのです。
自分はこの程度の人間ではない。もっと潜在能力があるから。それを引き出して遣り甲斐のある仕事をさせて欲しいと念じるあまりに、それが不満につながっている場合があります。
でもそういうことを言える立場の人はまだ恵まれています。
大きな工場で毎日毎日同じ単純作業で働いている人も多数います。そんな人たちと比較すれば、自己の存在価値云々と言えている立場の人は恵まれています。

2014年8月5日火曜日

幸せさがし-31

人権は平等ですが、人は生まれた時から様々なハンディーを背負わされています。
例えば、貧しくて大学に行けなかった人、なんとか大学に行ったけど、遊ぶためでなく生活費を稼ぐためにアルバイトに追われている人がいます。
そういう人たちは、その苦難を乗り越えて、環境に恵まれた人と競争して、その競争に勝つには至難のことです。
その結果、仕事が楽しい、生き甲斐だと言える仕事に就けなかった人も沢山いると思います。
中にはそんなに裕福ではないが、親が子供の為に頑張ったお蔭で、アルバイトもしなくても大学に通えたという人もいると思います。
学生は勉強することが仕事ですから、そういう環境に恵まれた人は、競争に勝てるように一生懸命に頑張れば、何とか出来たのではないか。学生の時に少し楽をして遊んでしまったという人もいます。
時間は全ての人に平等に与えられているのですから、その時間を将来の備えの為に無駄に使ってしまった。自業自得であるといえば、確かにそういうところもあります。
でもそんなことばかりを言っていても何の解決にもなりません。
現実に仕事は楽しくないという人はどうあるべきか。それを考えなければいけません。
人生は一日一日の積み重ねです。その一日の中で仕事に費やしている時間が一番長いのが現実です。
一日の中で一番長く携わっている仕事が楽しくないのは憂鬱だと思います。
休み明けの月曜日の朝、出勤する人達の顔を見ていますと、溌剌、活き活きとした顔の人は見られなくて、皆さんの顔が曇っています。お顔は心の玄関ですから、楽しくないことを映しだしています。
そこから脱出することを考えてみましょう。

2014年8月4日月曜日

幸せさがし-30

人生論は多数の方が煙たがり、嫌がります。
でも、誰かが若者に説いてあげなければいけないでしょう。
親が説けなければ、次は学校の先生が適任です。でも学校の先生は、他者よりも少し成績が良くて教員免許を取得した人達で、命と健康の次に大事なお金に付いて稼ぐことの苦労をしりません。
お金を得るために、時には畳に頭を擦りつけて、相手に頼み込むくらいの苦い経験のない先生方に、深い人生論は説けないでしょう。また説けたとしても、人生論を説くと嫌われ疎まれますから、そこまでして導いてやるという情熱を持った先生も少ないのではないでしょうか。
 親も駄目、先生も期待出来なければ後は宗教団体しかありません。だけども、どの教団も立派すぎる本殿が建立されています。そこから窺えることは多額の金品が動いているということで、一般向きではないでしょう。
 昔は親だけでなく、年配者が様々なことを説いて若い人に教えました。また若者も殊勝に聞いていました。残念なことにそういう素晴らしい光景は見られなくなりました。
私も先が短くなりました。多くの人に助けられて、ここまでやって来れました。
余生は少しでもお役に立てればと老婆心を発揮して、このように堅苦しい事ばかりを書いています。
人生は一度きりです。一度きりだからこそ充実した人生を送りたいと思いませんか、その充実は遊びの中にはないのです。それが分っていない人が多いので叫んでいます。
人生は厳しい競争です。充実は遊びの中に無いことが分っていれば耐えて頑張ることができます。

2014年8月3日日曜日

幸せさがし-29

幸せさがしの為に親は子供に確りと説くべきだと前回記しました。でもそういう言い方はナンセンスなことですね。
 医者の子供は親と同じで医者になっていることが多いです。医者になるには競争に勝って医大に入らなければいけません。そのために小学校の高学年から有名熟に通って深夜近くまで勉強をしています。
あの頑張りは親から強制されるだけでは出来ません。自分にやる気が無いのに親に強制されれば、今の子供は親に反発し、しまいには親子断絶の関係になってしまうでしょう。
 子供は親の背中を見て育つと言います。子供は親を確りと見ています。その親が社会から尊敬されています。そして、経済的にも豊かで立派な家に住んでいます。そういう親を見ていて。子供は自主的に自分も医者になりたいと決意しているから、遊び盛りの年齢でありながら、あんなに頑張れるのです。
経済的に何の心配もない。また親の優秀な血を引いているということも無視できないでしょう。
 子供にとって一番大きな影響力を持っているのは親です。その親が、仕事が楽しい、生き甲斐だと思っていなくては、子供を説得することは出来ないでしょう。
現実に仕事が楽しい、生き甲斐だと思っていない人が沢山います。だからこそ、自分の可愛い子供には社会で活躍出来る人になってほしいと愛情を注ぎます。でも人生経験の浅い子供には理解が及びませんから、自分の気持ちの赴くままに進んでしまいます。
人間は弱い動物ですから、子供の気持ちの赴くままに任せておけば愉楽の方に進んでしまいます。
昔から、やることは異なっても親子共々に同じような人生の歩みをしているから、子供は親の尺度しか育たないと言われています。

2014年8月2日土曜日

幸せさがし28



 小学校の高学年になりますと、医者、法律家、学者などを目指して深夜まで懸命に勉強をしている子供がいます。そういう子供たちはそこに辿り着けば、永続性のある喜楽が得られことが、既にその年で分っているのでしょうか。
既にその年で理解できていれば素晴らしいことですが、そこまで理解できていなかったとしても、早くからそこに向かって進んでいることは確かです。
 私の年代では中学卒で就職をする人もかなりいました。高校を出れば大半は就職をして、大学に進学する人は少なかった時代です。
 現在は大学まで進む人が大半を占める時代です。小学校から大学まで16年間通学するのです。
その間、学生は勉強することが仕事ですから、確りと勉強することが幸せさがしには一番の近道なのです。
 勉強をすることが好きだという人がいます。世の中は競争ですから、そういう人は競争に勝ち抜いて
遣り甲斐のある仕事に就ける確率は高くなります。
でも大半の学生は勉強が好きでない。だけど就職を意識して我慢、辛抱をして頑張っています。
世の中は生まれた時から運命的にハンディキャップを背負っています。でも時間だけは全く平等に与えてくれています。その与えられた時間を如何に有効に自分の将来の為に使うかで、競争に勝てるか否かが決まるのです。
遊びはお金があればいくらでもできます。そのお金を少しでも多く稼げる人になることが先決です。そのために学生は一生懸命に勉強すべきです。
遊ぶためのお金欲しさにアルバイトをして、勉強する時間を削るなんてことは愚かなことです。
傾注して勉強すれば、大きな喜楽が得られる。そのこと親は確りと説くべきです。

2014年8月1日金曜日

幸せさがし-27

人生論というものは、実際に自分が経験をして初めて「そうだ」と理解できるものですから、何が一番楽しいことなのかということの理解は難しいところがあります。
現実にきもの学院を運営している時に「お金を使って得られる様々な楽しみ以外に何かあるのですか。私には分らない」という人がいました。
 人間は生まれてくるときは親の都合で生まれて来ます。生まれても親の都合で育てられます。
そして自分の親はどういう親であろうと子供には選ぶことはできません。
大きな運命に人は左右されます。人は人権おいては平等ではありますが、環境面においては大変不平等です。武田信玄は早くに逝かなければ天下を取っていたかもしれないという説があるように、寿命も区々で不平等です。
人によっては様々に運命的な不平等を背負いますが、だけど、誰もが頑張り次第では永続性のある喜楽を得ることは出来ます。
世の中は現実には厳しい競争です。全部が偉くなれるわけではありませんが、永続性のある喜楽は得ることが出来るのです。
生き甲斐、遣り甲斐につながるものを有している人は心躍る喜楽が得られ、そういう人は遊びも愉しく、その遊びは次の創造、創作活動に弾みをつけます。ところが永続性のある喜楽を有していない人の遊びは、萎えた気持ちを元に戻すだけに留まります。癒しに終始するだけなのです。