2012年6月30日土曜日

腰痛

裸になって鏡の前に立ってよく観察すると、大抵の人の腰骨の位置の高さが
左右異なっています。
自分では意識はないのですが、利き足があって歩くときには4:6とか3:7とかの
比率で、利き足により重心を乗せて歩いるからです。
私は右足が利き足でケンケンで走るときは必ず右足です。
ケンケンで走るときにどちらで走る方がよく走れるか、よく走れる方が利き足です。
普通に歩くときも利き足により多くの体重を乗せて歩きますので、自然に腰骨の位置が異なってきます。
私は左の腰骨の位置の方が高いのです。だから左に少しですがくの字に曲がってきています。
これがひどくなると腰痛の原因になったり、また内臓疾患の原因になります。
私も腰痛持ちで、そのために歩いたりジョギングをしたりしています。
歳を取って頭だけはしっかりとしているけれど、腰が痛くて動けない。足が痛くて動けない
ということになれば惨めですから気を付けて、大腿部、腹筋、背筋、そして肩の筋力を
落とさないように運動しています。
みなさんも一度鏡の前で、自然に立って腰骨の位置が左右対称か否かを確かめて下さい。

2012年6月29日金曜日

帰路は下道

二連泊10000円の皆生温泉旅行では、往路は午前4時までに高速に入れば、
高速を出る時間に関係なく半額ですから、4時までに高速に入りました。
米子西までは通常ですと5600円ですが、2600円で済みました。
帰りは倉吉に寄って、海沿いの国道8号を通って帰ってきました。
鳥取の白兎海岸で昼食を摂り、鳥取砂丘を見て帰ってきました。
湯村温泉で水着を着れば一緒に入浴出来るころがあるので、温泉に入って帰ろう
と言ったのですが、妻は水着は絶対に嫌ということでやめて帰ってきました。
帰着は5時頃でした。
下道を帰りますと様々な発見があって、走ることも楽しめていいですね。

2012年6月28日木曜日

紫陽花

紫陽花は今が盛りと咲いています。
今年は紫陽花も沢山撮りました。
上の写真の紫陽花はガクアジサイですが、そのガクが通常は一重ですが、
写真の紫陽花は八重になっている珍しい品種です。
多くの品種の紫陽花を載せていますので見てください。

http://www.youtube.com/watch?v=3EpHN1Zxylo あじさいの画像です。

2012年6月27日水曜日

ダリア

今年は綺麗なダリアが沢山撮れました。
一度投稿したのですが、その後また多く撮りましたので
今一度投稿します。見てください綺麗ですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=Qpscjn6sL-Q ダリアの画像です

2012年6月26日火曜日

くちなしの花

いまでは指輪もまわるほど
痩せてやつれたお前の噂
クチナシの花の花の香りが
旅路の果てまでついてくる
クチナシの白い花お前のような花だった

クチナシの花を見れば、渡哲也が歌った「くちなしの花」が自然と
口をついて出てきます。
純白の白い花とあの甘い香りは、優しく清く美しい女性を
想像させます。
そんな素敵な女を置き去りにして去った男の懺悔の歌なのでしょう。
クチナシの白は沈着で深みのある白で本当に素敵な白ですが、直ぐに
汚く汚れて行きます。純粋に生きることの難しさを思います。

2012年6月25日月曜日

体調管理

最近少し体調が悪いのです。
そういう場合はジョギングをします。
走ることに慣れて体が軽く感じてシャキットした気分になるには、
二週間位掛かりますので、二週間経った段階でどうだかみてから、
病院に行こうと思っています。
今まではそれでどうにもなく過ごせてきましたが、今回はどうでしょうか。

2012年6月23日土曜日

花菖蒲


三田の永沢寺の花菖蒲を見てきました。
永沢寺は山間部にあるところですから、寒いために開花は遅く、6月18日でもまだ
三分咲きというところでした。
菖蒲をみますと妖艶な感じの女性を連想してしまうのは私だけでしょうか。

2012年6月20日水曜日

倉吉白壁土蔵群


皆生温泉の旅の帰路は倉石に寄って街並みを見て、それからは下道を帰ろうということで
帰ってきました。国道9号線を和田山で来て、そして三田方面に出るルートです。
道は綺麗で交通量もすくないので、案外早くに帰れました。
一人2万円の安くて欲張り旅行でした。

2012年6月19日火曜日

とっとり花回廊



皆生温泉の旅は一番遠い出雲大社に行き、そこから戻ってくるという
計画で行きました。夜中の高速代が半額になる時間に出発したものですから、
朝早くに到着しましたので、出雲大社を参拝して、松江城に帰って来て
拝観したのが3時前でした。
初日はこれだけの予定でしたが翌日が雨という予報がでていましたので、
鳥取の花回廊に行くことを楽しみにしていましたので、今日中に行こうということに
急遽予定変更で出かけました。
園に入りますと花花花で花好きにはたまらない高ぶりの一時です。
二日前に投稿しましたクレマチスも、クレマチス展が行われていて撮影したものです。
素晴らしい所ですから花好きにはお薦めです。

2012年6月18日月曜日

足立美術館と安来節演舞場


今回の皆生温泉の最大の目的は足立美術館に行くことでした。
館内に入って驚いたことは庭の美しさです。
お庭に降りて見ることはできないのですが、一副の絵に見立てて窓越しに
見れるようにしています。
山を背景に素晴らしい庭作りがされています。うっすらと雪を被った頃にまた見たいものです。
横山大観の絵を120点所蔵されているそうで常時20点を展示しているそうです。
その他竹内栖鳳、川合玉堂、橋本関雪、榊原紫峰、上村松園など1500点を収蔵されて
いるそうです。
現在若手画家の素晴らしい絵もあります。
胸ワクワクの一時でした。
隣接して安来節演舞場があります。久しぶりで本物の演技を見てきました。
メジャーではありませんが本物は素晴らしいです。

2012年6月17日日曜日

クレマチス(テッセン)



テッセンは中国が原産で室町期には日本でも栽培されていたそうです。
テッセンはクレマチスの一種ですが、クレマチスとテッセンは同じものとして扱われて
いるところもあります。
中国原産のものをテッセンと呼ぶという説もあります。
品種も多くこんなに一同に見られるのは大変珍しいと思います。
これもかという珍種もありますのでご覧下さい.

2012年6月16日土曜日

松江城と周辺



皆生温泉2連泊の初日は一番遠い出雲大社に行き、宍道湖を横に見て
松江に帰りお城と堀めぐりをいたしました。
堀めぐりでは説明の面白い船頭に当たり笑わせて頂きました。
美(び)とは高尚な感情の高まりを覚えるということで、どのお城に行っても
真に心にしみる感動を覚えます。美しいです。

2012年6月14日木曜日

出雲大社に参拝

今回皆生温泉2連泊旅行で一番最初に行ったのは出雲大社です。
明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」と名乗る神社だけに
荘厳な雰囲気を醸し出す立派な神社でした。
通常の神社での礼拝は二拝二拍手一拝ですが、出雲大社では二拝四拍手一拝と
他とは異なっているのが印象的でした。
大しめ縄は有名ですが本当に大きいです。

2012年6月11日月曜日

皆生温泉への旅

湯快リゾートは料金の安さで急成長しましたが、最近は湯快リゾートに続けと
安いところが増えましたので、湯快リゾートでは更に安く2連泊10000円のサービス
をしています。
そのサービスを利用して足立美術館に行ってきます。

2012年6月10日日曜日

今年見た椿



椿も品種改良されてバラのような椿もあり驚きです。
美しいですが椿の寿命は本当に短く直ぐに汚くなりますね。
椿の文様は貴族の間では長寿をめでるという意味から、宮廷では采女(後の女官)
はこの椿を装束の文様としています。
武士の時代になると花が首から落ちるということで縁起の悪いものとされていますので、
文様として用いられません。

2012年6月9日土曜日

2012年6月8日金曜日

子供の躾と教育

 今朝エレベーターに先に乗り組みますと、自転車の親子が次に来ました。
狭い方のエレベーターなものですから自転車は無理と感じたらしく、先に行って
くださいとお母さんが言われました。
連れていた男の子供もお母さんの真似をして「先に行ってください」と言ってから、
直ぐに次のエレバーターを呼ぼうとボタンを押しかけました。
そうするとお母さんは慌てて子供の手を強く払い除けました。
咄嗟に取ったお母さんの行動ですから、結構きつく払い除けましたので、子供は
きつく怒られたと思い泣きべそをかいていました。
ボタンをお押せば締まりかけていた扉がまた開きますので、迷惑をかけてはいけないと
判断して取ったお母さんの行動は正しいのです。
それでいいのですが、子供はそういう事がわかりませんので、自分なりに親切に、気の利いた
行動を取ったつもりなのに何故怒られるのか理解できなくて、何時ものお母さんのお小言のように受け取っているのではないでしょうか。それではこの場合のケースでは子どもが可哀想です。
お母さんの行動は正しいのですが、子供には分からないのです。
そういう時には「お前は親切に、また気を利かせて動いてくれたのに悪かったね。お母さんは
お前の手をきつく払ってしまったが、あの時にそうしないと扉が開いて乗っている人に
迷惑が掛かるからそうしたのよ」と説明をしてあげてくれたでしょうか。
子供は親から怒られる時は、大抵自分でも怒られる理由が分かっている場合が多いのです。
怒る場合は親も怒りながら、何故怒っているかを叫びながら起こっていますので、
怒られる理由は子供にとっては明確なのですが、子供には理解ができないこともありますので、そんな時は説明をしてあげて欲しいですね。
そして説明の出来ないことでは怒らないようにしなければいけませんね。
夫婦喧嘩で子供に当たるなんてことはもってのほかですね。

2012年6月7日木曜日

神崎農村公園「ヨーデルの森」

次女が孫を王子動物園に連れて行ってやりたいからと言って泊まりに来ました。
ところが運悪く水曜日が休みです。
王子動物園がダメなら天王寺動物園でもと調べてみますとこれも水曜日が休みです。
以前にも計画を立てて行く予定にしていたのですが、孫が熱を出したりしてのびのびに
なっていたものですから、何処かいいところがないかと探しました。
まだ一歳半ですから小動物と触れ合えるところがいいのではないかと考え、神崎農村公園
「ヨーデルの森」に行くことにしました。
園に入ってすぐに草むらで動いている動物がありました。
陸亀です。それを見て孫は「ウオー」と言って飛び上がって喜んでました。
思惑は大成功です。孫は動物を怖がることなく恐る恐る触れては大変喜んで興奮していました。
喜ぶ様子を見ていて、連れて来てやって良かったと思いました。

2012年6月6日水曜日

孫と遊ぶ至福の一時

次女の孫が遊びに来てくれました。
やっと一歳半になりました。これまでは遊びに来ても
時には笑いかけてくれていましたが、「おいで」と言っても、鳩が
近くまで来ても安全距離を保っているように、絶対に抱かせてくれません
でしたが、今回来た時は最初だけ距離を保っていましたが、直ぐに懐いて
写真のように膝に乗って遊んでくれました。
これは私たちにとっては快挙です。
これからが楽しみが増幅します。元気でいなくてはと思います。

2012年6月5日火曜日

人生は登り坂(No43)

大々的に宣伝を打てる経済力がありませんので、月に一度新聞の生徒募集欄に4~5行の広告を載せるだけです。
大手の有名着物学院の母体は小物制作会社です。従って入学時には入学金と月謝にプラスして、オリジナルのアイディア製品の売上があります。それも安い金額ではありません。
私は職人ですから、職人気質としてはきものを着るのに、これを使わなければいけないというシステムは取れませんでした。
どんな道具を使っても、道具がやってくれることはありません。その道具を旨く使いこなせる腕がなければ、道具を使っても早くで着れるようにはならないし、また上手に着れるようにもなりません。
逆に腕さえあれば荷造りに使うビニールの紐を使って着付ても上手に着れますし、そう簡単に崩れないし、着ていて苦しいということもありません。
経営が安定してから年に一度舞台を借りて発表会をしていました。その中でそういうことを皆さんに見ていただくためにビニールの紐を使って着付けをして見てもらいました。また紐を一本も使わないで普通に着る着付けなども見ていただいたことがあります。
技能というものは腕さえあれば上手に出来るのですが、技能というものの真理を知らない人は、これを使えば簡単に楽に着れるなどと説明を受けますと「そうなんだ」と簡単に思い込んでしまうのです。無知からくる損失ですね。
私は30年ほど前に各家庭に出張して着付けをしてあげるという、出張着付けを始ました。
大々的に始めたのはもう30年も前のことですから、私が出張着付けのパイオニアだと自負しています。
各家庭に着付けに伺います。非常に高い確率で大手の各学院のオリジナル小物を所持されています。それはお稽古をしたことがあることを証明しています。
お稽古をした人が大勢いいますが、その大半がお稽古に行ったけれども「ヤッパリ着れないと」という人たちです。
何故そうなるのか。体で覚えるところまでお稽古していないからです。
技能と言うものは「習うよりも慣れろ」です。
体で覚えるところまでやっていないと直ぐに忘れるのです。
どんな道具を使ってもそれは同じで、道具に頼れば余計に忘れて出来なくなります。
それが道理ですから、私の学院では道具を使わないでお稽古をしていました。
そういうシステムですから一人入学してきても入学金3000円と月謝4000円の収入です。
そんな経営内容で、借金をしてまで派手に宣伝をしても、その経費の返済は恐らく無理だろと思っていましたので借金の申し込みもしないで細々と地道にやっていました。

2012年6月3日日曜日

映画・幸せの教室

トム・ハンクスが監督・主演をしている「幸せの教室」を見てきました。
ハンクスが演じる主人公は真面目で仕事熱心なのですが、学歴がないという理由でリストラされます。
その屈辱を払拭するために学校に行きます。
その教室を受け持っているのがジュリア・ロバーツ演じる先生です。
先生は結婚をしているのですが、その亭主は仕事もしないぐーたらです。
主人公は真面目に勉強をしますがダサイのです。
学友が様々にアドバイスして次第に垢抜けて行きます。
先生の方は、ぐーたらなくせに妻を侮辱するようなことを言ったために、堪忍袋の緒が切れた形で離婚します。
そして生徒の主人公と一緒になるというストーリーです。
この映画のテーマは、真面目に前向きに生きている人は格好が良いということです。
そんな格好の良い人のところには必ず幸せが訪れるということですね。
単純なストーリーですが、その単純さがいいのです。
単純ですがどう生きて行くのがベストなのかというメッセージをキチット伝えています。
この年になりますと頑張った人が最後は幸せになるという、ハッピーエンドの映画がいいですね。

ハッピエンドの映画は心をホットにしてくれて元気が貰えます。

2012年6月2日土曜日

人生は登り坂(No42)

人生の道筋はいく通りもあり、そのための手段は様々に存在していますが、辿り着きたいと希望する地点は同じです。
全ての人が自分の人生を潤いのあるものにしたいと念じてもがいているのです。
生きていくテーマは自己の人生の充実ですが、その充実のために認識しておかなければいけないことがあります。
人は他力によって生かされています。これは真理ですからそのことを理解して、生かされていることを理解して、生きていることに感謝をする心を持つことです。
そして社会は支え合って生きていますので、自分も大きく支えれる力を養って、社会に大きく貢献できる自身を構築すれば必ず人生をより豊かにさせることができます。その人生の図式に対する確かな認識をもつことが重要です。
お稽古に来られる方は、何のために着付が出来るようになりたいと思っておられるのか。
それは着物のお洒落を通して良い気分になりたいのです。よい気分になれば心が潤います。
心が潤い楽しさが増幅すれば毎日を豊かに生きていくことができます。そういう気分を得たからお稽古に来られる訳です。
着付けに限らず、お稽古をすることの根本目的は生活の充実なのです。言葉を替えれば自分の人生の充実のためなのです。
お金があれば様々なことに取り組めます。それができれば心の潤いにつなげやすいということではお金は大切ですが、お金があれば人生が充実するということではありません。
一番大切なのは心の在り方であり、お稽古事はその心の潤いを増幅させるための小さな手助けの一つの手段です。
最も大切なのは心の潤いですから、着付けという手段を通じて、そこに主点を置いた理念を構築していかなければいけないのです。
考え迷った挙句に確かな理念信条が持てるようになりました。それからは先生と呼ばれても面映ゆく感じなくなりました。
これで体制は整いました。経営というものはそういうことが分かったとしても、生徒が来てくれなければどうすることもできません。
依然として経営の危機は続いていました。

人生は登り坂(No41)

多くの着物学院が存在しますが、先生と言われている人の大半は自分で服飾史を語り、そしてそれらの着付けもできるという人はいないでしょう。そういう意味では専門的なことはなんとか責任を全うできるようにはなりましたが、学院として運営していくには技術や専門知識を指導し伝達していくだけでは駄目なのです。
学院として運営して行くに当たっては、着付が上手くて専門知識を熟知していることは何も自慢できることではなく当たり前です。
そういうことよりも、お稽古事を通してどうどのように社会に貢献していくかという理念が必要なのです。
私は脱サラをしてまだ間もない時でしたから、最も大切なその部分が理解できていなかったのです。
最も大切な理念が欠乏していましたので、生徒たちから先生と呼ばれると何時も面映ゆい気持ちになっていたのです。
これでは指導者としては失格ですから今度は人生哲学を勉強しました。
お稽古に来る人の直接の目的は自分で着れるようになりたいということですが、着れるようになればどうなるのか。そこが着れるようになりたいという根本目的ですから。なんのために着れるようになりたいとみんなは希望するのか。
そのことを始めとして、人は何のために生きているのか。お洒落は何のためにするのか。何の為に旅行に行くのか。何のために勉強をして仕事をするのか。なんのためにお稽古事を習うのか。なんの為に誰のために結婚をするのか等々、身近な事柄についてこれしかないというところまで、自分自身と問答をしながら考え抜きました。
これらの事柄に付いて考えを巡らせてみますと、究極の目的は自分のためなのです。自分の人生を如何に豊かにするかというところにつながっていくのです。人は誰のためでもなく、自分自身の人生を潤いのあるものにするために懸命に頑張っているのです。

2012年6月1日金曜日

人生は登り坂(No41)

多くの着物学院が存在しますが、先生と言われている人の大半は自分で服飾史を語り、そしてそれらの着付けもできるという人はいないでしょう。そういう意味では専門的なことはなんとか責任を全うできるようにはなりましたが、学院として運営していくには技術や専門知識を指導し伝達していくだけでは駄目なのです。
学院として運営して行くに当たっては、着付が上手くて専門知識を熟知していることは何も自慢できることではなく当たり前です。
そういうことよりも、お稽古事を通してどうどのように社会に貢献していくかという理念が必要なのです。
私は脱サラをしてまだ間もない時でしたから、最も大切なその部分が理解できていなかったのです。
最も大切な理念が欠乏していましたので、生徒たちから先生と呼ばれると何時も面映ゆい気持ちになっていたのです。
これでは指導者としては失格ですから今度は人生哲学を勉強しました。
お稽古に来る人の直接の目的は自分で着れるようになりたいということですが、着れるようになればどうなるのか。そこが着れるようになりたいという根本目的ですから。なんのために着れるようになりたいとみんなは希望するのか。
そのことを始めとして、人は何のために生きているのか。お洒落は何のためにするのか。何の為に旅行に行くのか。何のために勉強をして仕事をするのか。なんのためにお稽古事を習うのか。なんの為に誰のために結婚をするのか等々、身近な事柄についてこれしかないというところまで、自分自身と問答をながら考え抜きました。
これらの事柄に付いて考えを巡らせてみますと、究極の目的は自分のためなのです。自分の人生を如何に豊かにするかというところにつながっていくのです。人は誰のためでもなく、自分自身の人生を潤いのあるものにするために懸命に頑張っているのです。