2013年3月31日日曜日

妻の存在

悲しく辛く苦しい時があった。
そんな時に妻と意見が一致して、気持ちを支えてくれていることが分かれば何とか我慢が出来る。
妻の存在は偉大だ。

2013年3月28日木曜日

月ヶ瀬散策


月ヶ瀬の 梅を見たさに 訪ね来て
        妻と腕くみ 湖畔を歩く

2013年3月27日水曜日

高校野球


私は泉北の方で4年生まで育ちました。
5年生の時に尼崎に引っ越してきたのですが、尼崎に来てカルチャーショックを受けました。
その当時の南海沿線沿いは、堺を過ぎてから田圃ばかりの田舎で、遊びと言えばチャンバラゴッコ、や駆けっこで野球などは見たこともありません。
ところが尼崎に来ると男の子の遊びは野球一辺倒といえるくらいに盛んでした。
やはり甲子園が近いからでしょうか。阪神フアンは地元の西宮よりも尼崎の方が多いそうですから、そういう影響でしょうか。
 自分も直ぐに野球が好きになり高校生くらいまではよく甲子園にいっていましたが、社会人になってからは、阪神の試合は何度か行きましたが、高校野球を見に行ったのは初めてです。
 妻が愛媛出身ですから済美の試合を見たかったのですが、用事があって見れなかったので、済々黌と常総学院の試合を見ました。
 黒色に近い茶色の土にグリーンの芝生が映えて綺麗なグランドです。
高校球児が憧れるのは当然です。
 試合はどちらかを応援しないと面白くないので、父は鹿児島ですから同じ九州の済々黌を応援しました。
済々黌のピッチャーはよかったです。
結果は応援した済々黌(せいせいこう、熊本)が常総学院(茨城)に勝ちました。優勝した58年以来となる55年ぶりの勝利だそうです。

2013年3月26日火曜日

おかしなこと-学校の成績

全ての親は、子供の学校の成績が優秀であって欲しいと望んでいます。
子供の成績が良くて特殊なライセンスを取得する。優秀な企業に就職ができれば、経済的にゆとりのある生活ができると考えているからです。
学校の成績はそのようにつながっていますので、親は成績が優秀であることを強く希望しています。
それは当然の親心だとおもいますが、それでは学校の成績はどういうことによって決まるかと尋ねますと、意外と答えられない人が多いのです。
それがおかしなことの一つです。
学校の成績は学校で勉強した内容を沢山記憶しているか否かで決まります。
それ以外にありません。
その記憶力は集中力と持続性と自主性によって培われていきます。
従って親はお金をかけるよりも如何にそういう性格づくりに気を配って子供を養育していくかということが重要なのですが、そういう理解に至っていない親が多いのです。

2013年3月25日月曜日

高松宮杯競馬とりました

毎週日曜日のメインレースだけを3000円の予算で買っていると昨日のブログで書きました。
3連単ですから当てるのは大変難しいのですが、今週と先週はゲットです。
1番と2番人気が来て27000円の配当ですから3連単は凄いです。
頭は固いと思ったのでロードカナロアを頭にして、2着は人気馬3点、高松宮杯は3着に穴馬がくることが多いので、3着に13,14を入れて10点流しにしていましたので正解でした。
昨日は3着で取り逃がした人が多かったのではと思います。
人が取った馬券の話なんか面白くも可笑しくもないでしょうが、推理があたると当人は大満足です。

2013年3月24日日曜日

今日は高松宮杯競馬

現役を退いてからも週に一度だけ日曜日のメインレースだけ、通常は3000円くらい、多い時は5000円くらいを買って楽しんでいます。
昨年はトータルで黒字でした。
今年も10万円の万馬券を取りましたので黒字で推移しています。
競馬をしない人にはわかりませんが、私は3連単しか買いません。
頭の一着を決めて、二着は3点にして、3着は10点かいます。
それで3000円になります。
一着が的中していたとしても2着が違ったり、2着と3着が入れ替わっていたりしてなかなか的中しませんが、その買い方が一番ベストだと思っています。
今日はロードカナロアを1着にして買います。3着が人気うすが来れば配当はたかくつきます。

2013年3月23日土曜日

春日大社

全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使としています。
ユネスコの世界文化遺産に、「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。
奈良時代に創建された藤原氏の氏神。平安時代、藤原道長をはじめ貴族の間で春日詣が流行し、中世以降は武士や庶民にも広まった。
三条通りの突き当たり、一ノ鳥居(重文)から始まる長い参道は万葉集の歌枕として名高い春日野を貫いて深い森に吸い込まれ、最奥に朱塗の社殿がしずまる。
 南門(重文)をくぐると幣殿(重文)白砂利の庭をへだてて中門(重文)さらに奥に本殿4棟(国宝)がまします。
廻廊(重文)につるされた釣灯籠が絶妙のアクセントになり、王朝絵巻をひもといたような華麗な優美さ。石灯籠、釣灯籠あわせて約3000基に灯が入れられる万灯籠(節分とお盆)は文字通り幽玄の世界をかもす。参道途中に春日大社神苑、多数の国宝・重文を有する宝物館、南門前から御間道(おあいみち)をへだてて、12月17日に行われる「春日若宮おん祭」で有名な若宮神社がある。
http://www.youtube.com/watch?v=r--Ib0PibB4 春日大社の写真集です

2013年3月22日金曜日

西国三十三か所二十一番札所 穴太寺(あなおじ)

穴太寺(あなおじ)は、京都府亀岡市にある天台宗の寺院です。山号を菩提山(ぼだいさん)と称し、本尊は薬師如来、札所本尊は聖観世音菩薩。西国三十三所第21番札所となっています。
穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られています。
この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として知られていたことがわかります。

http://www.youtube.com/watch?v=pyz30hD6yCs 穴太寺の写真です

2013年3月21日木曜日

嫌な女No1-1

 私の妻は色々と私に注意をするのですが、私がキチットできないから馬鹿にしてとか蔑んで言っているわけではないのです。いちいち私に干渉したいのです。干渉して何時も私に関わっていたいのです。
それが分かっているから、洗濯物の干し方でも他のことでも、妻の言っている方が正しいので、「はい」と言って妻の助言通りに出来るよう努めています。
妻の注意する言葉が、愛のささやきに聞こえるから「はい」といって言われたとおりにできるのです。
ところがそうではなく、人によっては、そんなことぐらいもできない人と蔑んで、上から目線で偉そうにいう女もいます。
上から目線で偉そうに言う。真顔で偉そうに言うということは、それは相手を蔑んでいるということですから、当然こんな女は嫌だなぁーと男は思ってしまいます。
手伝って欲しい。手伝ってくれて有難う。同じ手伝ってくれるのだったらこうしてくれたらありがたいわ。
そう言えたら素敵な人ですね。

2013年3月20日水曜日

嫌な女No1

女房が仕事をしてくれていて、私は仕事をしていると言っても小遣い稼ぎ程度の仕事ですから、家事は主に私がしています。食事は一週間に何度か妻が作ってくれますが、やはり私よりも妻の方が上手です。
上手ですが私の作った料理は美味しいと褒めて食べてくれます。
ところが食器の洗い方、拭き方、布巾の絞り方、洗面所の使い方、特に洗濯物の干し方には口うるさく注意をされます。
洗濯物などは落ちないように干して、乾けば問題はないだろうと男は考えてしまうのです。
そういう気持ちで干すもんですから、時々は後から手直しをされてしまいます。
さあーここで妻の態度と自分の考え方が大切です。「何を偉そうに、いちいちうるさいなー」と思ってしまえば嫌な女になります。些細なことですがそれは性格によるものですから、お互いに嫌なやつだなぁーと感じれば、そこから夫婦の絆は壊れていきます。
女性の家事は本当に大変ですから、男は手伝ってやっているという気持ちを持たなければいけないでしょう。
女性も手伝ってもらって当たり前と思ってはいけないでしょう。まずそこでいい女か、いい男が判別されてきます。

2013年3月19日火曜日

おかしなことNo2-2

衣服には礼装から普段着まであり、衣服の役割は儀礼とお洒落です。
衣服は人が生きて行くために最も大切な人間関係を円滑にする、儀礼の一環として重要な役割をしています。
またお洒落も心の潤いのための手段の一つであって、情操という心の面につながっている大切なものです。
 お茶には可視的な物を通して非可視的な事柄に感謝をする。
また一期一会の言葉の如く人間関係を最も重んじるという精神によって成り立っています。
そういう精神を学んで日常の生活に活かせていくことが自己の人生の充実にとって大切だから、お稽古事として価値があるのです。
 お茶も着付けも根本精神は生きて行く目的である、自己の人生の充実に関わっているという点では何にも変わりません。そういう根本精神を理解できないで、上辺のエリート意識だけが働いて区別をしてしまうのですね。
おかしな人が沢山います。

2013年3月18日月曜日

おかしなことNo2-1

何故区別をしてしまうのか。恐らくお茶は歴史があり、また過去も現在も富裕層の間で敬われているお稽古事ですから、お茶は高尚だと思っているからではないでしょうか。
歴史があるという点に付いては着付けの方が歴史があります。
お茶は室町時代の村田珠光から始まって、桃山時代に千利休によって侘び寂び茶の理念が出来上がります。
着付は昔は衣紋道(えもんどう)と言いました。
鳥羽帝の時代に左大臣であった源有仁が公家の容儀を質す必要があると献言をします。それによって、それまでは凋装束(なえしょうぞく)といって柔らかい裂地(きれち 裂=絹の意)袍(ほう=上に着る衣服)であったものから剛装束(こわしょうぞく)といって、堅い裂地の袍にかわります。
柔らかい裂地の時はどんなに着装していて目立たなかったのですが、堅い裂地になると不格好な様はよく目立ちますので、そこで着装や調度まで衣服全般にわたって司る人が必要になります。
そういう経緯で出来たのが衣紋道です。鎌倉時代の初期には衣紋道は完成され現在でも高倉流、山科流に連綿と引き継がれています。

2013年3月17日日曜日

おかしなことNo2

 着付けの教室をやっていますと、お茶を習っているから着付けのお稽古に来たという人も少なくありません。
そういう人からすればお稽古のメインはお茶であって、着付けはつけたしという気持ちなのでしょう。
中にはお茶のお稽古事は高尚だが着付けなんかという侮りを持っている人も少なくありません。
お稽古をしていて、自分のやっているお稽古事を蔑んだ気持ちで取り組んでいますと、一生懸命に頑張るということができません。
お茶も難しいですが、着付けも同様に難しいのです。前向きに頑張る気持ちがなければ上手に着付けが出来るようにはなりません。着付けのお稽古に行ったけれどもやっぱり着れないという人が殆どです。
それは理屈ではなく体で覚えるまでやっていないからです。身体で覚えたか否かの基準になるのは上手に出来るようになったか否かなのです。そこまでやらなければお稽古をした意義が半減してしまいます。
そこまでやるにはそれ相応の頑張りが必要です。侮りの気持ちを有していれば頑張れないのです。
何故区別をして考えてしまうのか、おかしい現象です。

2013年3月16日土曜日

月ヶ瀬の梅

奈良県の月ヶ瀬に梅を見に行って来ました。
良い天気で今が盛りと咲いていました。
大きなダム湖がありその湖の護岸の周辺に植えてあります。
白梅が殆どですので空と水にとけこんで際立って目立つ梅ではありませんが古木で美しいロケーションでした。
花には花だけを見ていれば美しく癒されるものもありますが、梅は周辺のロケーションに大きく左右されますね。そういう意味では美しかったです。

2013年3月15日金曜日

おかしなことNo1~4

小学年の高学年になりますと、性格は出来上がっています。まして大人と相対して戦うとなると大変です。
大人になれば親でもどうすることもできないのに、他人が威厳で屈服させることはできません。ひたすら個々の良識をつついて行く以外にありません。
様々なお稽古事がありますが、それらのものが出来なくても明日からの生活に何の支障もありません。
様々な有料の資格取得の講習会がありますが、それらに参加できる人達は資格を取得できなくても、同様に
現状の生活には何の支障もないという人が殆どです。
だから折角受講をしても困難にぶち当たりますと簡単に諦めてしまいます。
そういう人を頑張らせるには人生論を説く以外に方策はありません。
資格を有していなくても生活には何の支障もない。そんなことは分かっているけれども、逆に資格があれば生活がこのように膨らんで行く。人生は喜怒哀楽の繰り返しで、資格があれば現実にこういう風に喜楽が増幅していきます。
人生は如何に喜楽を増幅させて、自己の人生を充実させるかが生きて行く目的ですから、自己の人生の充実のために簡単に投げ出さないで頑張って欲しい。そういう風に情熱を持って訴えて行く以外に前向きな気持ちを喚起させる方策はないのです。
お稽古事とか勉強は全て人生の充実につながっていますので、一つの取り組みを、そういう風に生き様全体に結びつけて訴えていくことが、プロの先生の使命だと私は思っています。
お稽古事の先生は威厳を重視して恰好をつけたがりますが、看板の内容なんかどうでもよいのです。お金を頂戴している限りは、プロとして如何に理念と信条を持って臨むかということではないでしょうか。

2013年3月14日木曜日

おかしなことNo1~3

十月桜

 様々な資格取得の有料の講習会があります。
わざわざ大切なお金と時間を費やして講習を受けに行きます。有料講習ですから自分の意思で目的を持って受けに行くわけです。
受けにくる目的は皆同じですが、目的を達成させて資格を取得することのできる人は半の一握りです。
大半の人は自分のために来ていながら途中で諦めてしまう人が多いのです。
それが現実なのです。
指導者はその現実を良く踏まえて、如何にして前向きに取り組ませるように導いて行くか。それを指導者自身の最大の課題だと認識し、認識しているだけでなく現実に実行しているか否かが、良い先生であるか否かの選別対象となります。
自分がお金を出して、自分で自由選択して来ているのだから、自分がどのように取り組もうと自由ではないかという考えの人が多いのです。
そういう現実の中で指導していくには、そういういい加減な気持ちを払拭させることが出来るか否かの戦いです。その戦を指導者は投げ出したり、逃避したりして負けてしまえば一番迷惑するのは受講者です。

2013年3月13日水曜日

おかしなことNo1~2

寒椿

 医者も電柱などに看板を掲げています。
最近では学校法人でも生徒募集の広告を載せています。
書いている内容がどうであれ、看板を掲げて広告をしているということは「ここでこういうことをしていますのでよければ来てください」と訴えているのです。
看板を掲げて生徒を募らなければ成り立ちませんので大いに広告をすればよいのです。
そういうことよりもお金を頂戴している限りは教える側はプロです。
プロとしてどのように生徒と向かい合っていくか。ということが最大の課題なのです。
看板やチラシを見て最終的には自分の意思でお稽古に来られるのです。こちらからお願いをして来て頂いているわけではありません。
ボランティアで指導するのであれば、仲間が気分を悪くするような、責任のある厳しいことを言う必要はありません。「いいですよ。グーです」と言ってあげればよいのです。
でもお金を頂戴しているプロはそれではいけないでしょう。お金を頂いているからこそ時には厳しく接しなければいけないのです。
先生の中にはお金を頂いているから、厳しいことを言えば辞められたら困ると思って、逆に生徒に媚びる先生もいます。あの先生は優しい良い先生だと言われたいからです。
そういう先生は最低ですね。最低だけどそういう人は多いですね。

2013年3月12日火曜日

おかしなこと No1

                                                                             ミツマタ

 きもの学院を大阪で開校したのですが、一年目は120人の生徒がきてくれたのですが、2年目に残ったのは3人だけで、それからは3年ほど大変苦労しました。
お金は入ってこないのに、出て行くお金は毎月決まって出て行きます。
そこで教室のテナント料の足しにでもなればと思い、教室の空いている日を貸そうということになり借り手を募集しました。
習字の先生が借りたいということでお越しになられました。
教室を始められるに当たって「生徒募集の看板をどうしますか」とお聞きしました。
その先生は60歳を越えておられる人で、その当時私はまだ30歳の青二才です。
その先生から見ればそう見えたのでしょう。「あのね、習字は生徒募集の文字は書きません」「募集していますと書くことは、どうか来てくださいとお願いをしていることになります」「こちらからお願いをしておいて、生徒に威厳を持って接することはでないでしょう」と、若い私を諭すようにおっしゃいました。
その先生はもう若い時から教えておられるということでしたが、その言葉を聞いて私はガッカリいたしました。

2013年3月11日月曜日

二条城に行って来ました

これで何度目でしょうか。何度行っても感動します。
写真撮影はできませんが、慶喜が大政奉還の意を諸大名を集めて告げた時の場面を人形で再現しているところがあります。
 将軍は公家社会の直衣(のうし)姿で、太刀持小姓も公家の水干(すいかん)を着用しています。
3位以上は親藩です。3位以上の礼服は直垂です。三位以上の大名に向かって座っているのは四位の高家です。4位の高家は礼法を司る大名で、この大名だけは公家社会の狩衣(かりぎぬ)を着用しています。
昇殿をし直接将軍に謁見の出来るのは五位以上の大名です。五位の諸大名は大紋(だいもん)を着用しています。高家から今日の式典は通常礼装の裃長袴でよいと指示を受けていたのですが、実は礼服の大紋であったという忠臣蔵の松の廊下の刃傷で有名な衣裳です。、
三位以上の礼服の直垂はテレビや映画でもあまり目にすることの少ない衣裳です。時代考証に忠実に再現させていますので、二条城に行かれた時は、そういうところも是非見て頂きたいです。

http://www.youtube.com/watch?v=F6HHNfnwtOM二条城の写真です

2013年3月10日日曜日

中国の黄砂

デジカメで写真でも撮ろうと出かけていくのですが、空が何時も靄っていて、スカットした青空がないために綺麗な写真が撮れません。
六甲山に登って遠い海の景色でもと行きますと最悪です。
中国からやってくる黄砂と排煙のためです。この現象は健康によくないでしょう。何故強く抗議をしないのか。国際機関に提訴もしなければいけない重大事でしょう。
中国の国民は何をしているのでしょう。いくら体制の異なった国だと言っても自分たちの健康、命に関わる重大事ですから抗議行動を起こさなければいけないでしょう。
 嘗て日本も同じ状態でした。それでもその当時は対策の術を知らなかったのです。現況では技術も整いどうにでも出来る時代です。
にも拘らず放置したままというのはコストを掛けたくない。コストを掛けると経済競争に負けてしまうからでしょう。
 お金は心の潤いのためのものです。お金があっても迷惑を考えないのは貧しいことです。
私達の日本はそういうことを中国の学問から学んで大きくなりました。
本家本元が今はそういう大切な儒教の精神を忘れているのではないでしょうか。

2013年3月9日土曜日

十月桜


殺風の 園を彩る 寒桜
             桜匂いの 色香を散らし

西宮の北山植物園には、十月桜が寒風の中をひとり彩を添えて青空を染めています。

2013年3月8日金曜日

春よ来い



蕾たち 陽の近づきを 待ち焦がれ

暑さ寒さも彼岸まで 
早く冷たい春と暖かい春を分ける彼岸を、草木は今か今かと準備を整え待っています。

2013年3月7日木曜日

福寿草



                                             枯れ園に 黄金散らす 福寿草

 早春に春を告げる花の代表で元日草(がんじつそう)朔日草(ついたちそう)などの別名があります。
和名の福寿草は新春を祝う意味があります。
茶色一色の枯れ園に、この花だけが黄色の黄金を散らして咲くからでしょう。

2013年3月6日水曜日

いのち

根本は朽ちて危なげに立っている木に、新しい命が逞しく芽生えてきている。逞しさの中にほのぼのとしたものを感じたので撮りました。
全てが私たちの仲間。仲間たちに教えられることも多いです。

2013年3月5日火曜日

転んでしまいました

最近は2~3cmの段差の所でも躓いてよく転んでしまいます。
自分では若いつもりでいますが年ですね。歩くときに足があがっていないのです。
頭は重いのですね。胸が地面に付くような転び方をしますと、顔まで必ず打ちつけてしまいます。
今回は顔を打ちつける瞬間に柔道の受け身のように、左に肩からコロンと転がりましたので顔は免れました。
 道で転ぶと格好が悪いので、無様に見えないようにと腕で支えようとしますが、そうしますと怪我が大きくなりますので、最近はどう思われてもよいので、腕で支えないで転がるようにしています。でも瞬間のことですからそれが出来るか否かは受け身の練習が必要ですね。
私は幸い若い時に柔道をやっていましたので出来たのでしょうか。
因みに前回は早朝のまだ暗い時にジョギングをしていて転びましたので、顔から突っ込んでしまいました。怪我は大したことはありませんが、擦り傷は痛いですね。

2013年3月4日月曜日

ひき逃げか

3日の夜中にポトカーのサイレンがけたたましくなって、「こちらです」という男性の声が聞こえて目が覚めました。
朝になって仕事に行くときに駐車場の入り口で警察が立っています。
道路では多数の警察官が来て掃除機で道路の砂などを吸い取っていました。
それで交通事故である事がわかり、状況からひき逃げでないかとおもいました。仕事から帰って来て駐車場に車をとめますと、現場は私の駐車場の位置のまえですから、調査が終わり現場の血痕を流して掃除をしているところでした。それが写真です。流すと水が真っ赤になっていました。その状況では恐らく亡くなられてのではとおもいましたが、やはりそうでした。
事故の状況は新聞に下記のように記されていました。

3日午前4時40分ごろ、兵庫県西宮市高須町2丁目の市道で、近くに住む会社員松岡利和さん(42)が倒れているのを通行人が発見し、110番した。頭や腹から出血しており、搬送先の病院で死亡が確認された。甲子園署がひき逃げ容疑で捜査している。

2013年3月3日日曜日

京都散策

清水寺に三十三か所の札所巡りに行ってきました。
車を高台寺の横の駐車場にとめて二年坂三年坂をぶらぶらと散策しながら清水まどを往復しましたが、このコースは幾度行っても心躍る楽しいところです。沢山着物姿のお嬢さんがいましたが、話をしているのを聞きますとほとんどのお嬢さんは中国語でした。最近は若い人向きに着物を着るプランのツアーがあるようですね。
着物はこれほど安い着物はないというグレードのものですが、若い人が着ていると綺麗ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=tH5uRshBhNs 写真です

2013年3月2日土曜日

躾の拙さで芽が摘まれる子供の潜在能力


子供は様々な可能性や能力を秘めています。
それを引き出してあげるのが親の役割です。
どういう才能を秘めているか、親も容易にわかりませんが、分からないが
故に、経済的にゆとりがあれば様々なものに取り組ませてあげればよいと思います。
 自分のことを話しますと、私の所は貧しかったのですが珠算だけはお稽古に行かせてくれていました。
感覚と運動神経だけは長けている方でしたから、ある段階までは上達は物凄く早かったのです。先生も驚嘆して褒めてくれました。
ところがクラスが上がっていき桁数が大きくなってきますと、コンマのいちで桁を決めると珠をはじくということをしていませんでしたので、間違うことが多くなってきました。そして暗算が皆目できませんでしたので嫌になって辞めてしまいました。
未だにそういうがさつな習慣は抜けないでパソコンのキーは自己流ですからよく間違います。
文字も本当に多数書きましたが下手な字しか書けません。
残心と言いますが。一つのことを最期まで心を込めて丁寧に扱い行うということが出来ない性格だからです。
子供は3歳にして決まるといわれていますが、幼い時から最期まで丁寧に順序立てて行うという習慣が身に付いていなかったからです。
我儘を見過ごして育ててくれた親の責任範疇ですね。
でも、そういうことを理解できる子に育ててくれたことを感謝しています。

2013年3月1日金曜日

親は怖かった



私たちの時代には父親は怖かった。目上の人は怖かった。当然学校の先生も怖かった。
私は中学では就職組でしたが、就職組の者は悪餓鬼が多かった。私たちの時代でも学校で暴力問題を起こす悪がきがいた。そういう奴とも仲が良かったが、そういう奴は大人を怖がっていなかった。親も怖くなかったのかもしれない。親が怖い、先生が怖い、大人が怖いという事は、子供の躾のためには大切です。
 親から「食事の時は黙って食べろ。食事が終わるまでは立つな」と言われ親の「ご馳走様」という声を聴かなければ席は外せなかった。食事の時は何時も家族全員で親父の目が光っていたので、楽しく食事をしたという思い出がない。でも今になって、そういう風に厳格に育ててくれたことに感謝しています。あの怖さと厳格さがあったからこそ、我慢、辛抱、持続性や人の心の痛みがよくわかる人間になれたのだと思います。
 苛めが社会問題になっていますが、苛めをする者は恐らく惨めさや怖さを知らないからでしょう。惨めさを知っている者は人にやさしくなれます。怖さを知っている者は助け合おうとします。そういう心の欠落が苛めにつながるのでしょう。
 親はみな自分の子供だけは苦労のないようにと考えて、今は少子化の時代でそんなに裕福でなくても子供を大切に育てます。子供に惨めさや怖さを経験させていない親の溺愛が生じさせている現象でしょう。
今の子供は親や目上の人を怖いと思っているのでしょうか。
もし思っていなくて苛め問題をいくら論じても解決はしません。