2013年2月28日木曜日

叱るときは対峙して


三歳くらいになりますと言葉が明確になってきますので、泣いて主張したり欲求したりすることがなくなり、言葉による意思表示が出来るようになってきます。
幼児期の後半期に入るのですが、言葉が明確になり、歩行も発達してきますと、更に言動が活発になってきます。
泣いて自己主張したり欲求をしている時は親も手をこまねいていましたが、言葉での意思疎通が可能になってきますと、例えば怒るにしても「だめよ」と言葉だけで済ませてしまうことが多くなります。
言葉だけが素通りするような怒り方では効果がありません。
子供にはまだ理性が成育していないので、自分のやりたいと思う通りに動こうとします。それは仕方のないことですが、強く制止しなければいけない時があります。そういう場合は親しか制御できないのですから、親が声を荒げた時はキチット制止出来るように躾けておかなければいけません。
親が声を荒げて「駄目」と叫んでいるのに、全く効き目のない情景をよく見かけますが、そういう子は恐らく学校に行っても優秀な成績は取れないでしょう。
幼児の躾は、優しく甘く言っていては動物と同じで効き目がありません。
躾には叱責がつきもので、怒るときはキチット対峙して目を見て、親が本当に怒っている気迫を見せなければ躾はできません。言葉だけでは効き目がない時はそれこそ「愛のむち」で、殴り倒すくらいの迫力が大切です。
3歳くらいでは躾と言っても作法的なことはまだできません。親が仕事をしなければいけない時は「一人で遊んでなさい」と突き放す。食事の時は最後まで座らせておくというように、けじめをつけて良い習慣づけをする。親が言いつければキチット制御できるようにする。そうすることで我慢や辛抱、持続性や集中力が養われていきます。

2013年2月27日水曜日

孫「愛美」誕生日

二女の一人娘の満二歳の誕生日です。
孫は5人います。誕生日は1月3日、2月1日、2月10日、2月22日、3月2日で、全員が早行きです。
こんなに誕生日が集中しているのは珍しいですね。
御目出度いことですがプレゼントも大変です。

2013年2月26日火曜日

鳴き声に翻弄される親達


幼児は三歳ぐらいぐらいまでは泣いて欲求をしてきます。
三歳くらいになりますと言葉が分かるようになりので、言葉で欲求をするというように成長をしていき、泣くことは少なくなってきます。
 幼児のあの鳴き声は、よくできているもので大人にとっては非常に耳障りな音です。可愛いい存在でもありますので、あの鳴き声で自己主張し、欲求をされますと放置しておけないという親が多数です。
イェーイェーと泣かれてしまいますと、どうしても構ってしまいます。
子供の勝利ですね。
 あの耳障りな鳴き声を無視するには、親自身に確かな見識、信条、信念がなければできません。
 子供は泣けば直ぐ構ってもらえば、それが楽で一番癒されますので泣きます。それを無視して放置しておけば独り遊びを覚えます。
独り遊びをすれば、何に対しても興味津々ですから夢中になれるものもできてきます。独り遊びをすることによって創造性や自主性や持続性を自身で育成していくことになります。
「可愛い子には旅をさせ」という格言がありますが、3歳までの幼児育成で大切なのは、愛情を注ぐときは確りとスキンシップをするけれども、同時に突き放すことができるかということです。
 この時期は親が目くじらを立てて怒らなければいけないことは少ないと思います。親が「駄目」と言えば止める様に躾ことだけは絶対に怠らないで、後は突き放して自立心をな養ってあげることが最も大切です。
 親にはそうい見識を持って実行しようとする人、出来ても徹底してできる人と甘い人、分かっていてもできない人、そういう見識の全くない人というように十人十色です。子供は親の性格が伝播して性格育成されていきます。
子供は親によって作られていきますので、親がバラバラであると同様に子供も千差万別に育成されていくのです。
 脳科学者の久保田カヨ子おばあちゃんは、、自分が子供を育てたら必ず有名大学に行ける子供に育てる自信があると言います。それは突き放して自身で学ばせることの大切さをご存じで、確実にそれが実行できる自信がおありだからでしょう。因みに私も家内もそれが出来る自信がありますが、もう遅いです。



2013年2月25日月曜日

子供は3歳までに決まる

 最近のヤングママたちは、経済と時間にゆとりがある分様々に育児に付いて勉強をしているようで、様々に理屈を述べますが肝心なことは全く分かっていない親が多いようです。
 幼児に対しては何時もベッタリと寄り添ってスキンスップを図らなければいけないなどと教えている先生方も多いようで、それをまともに受け取って子供を目一杯甘やかしている親がほとんどです。
 愛情を注がなければいけないのは当たり前のことですが、理解力の乏しいヤングママたちは、スキンシップと躾とは相反する行為の部分がありますので、スキンシップに重きを置いて躾の部分を疎かにしています。
 子供は小学生の低学年くらいまでは親が絶対に好きで、いくら突き放しても親を慕ってまつわりついてきます。
その時期に時には叩いたり、外に放り出してでも、親が怒れば本当に怖いのだという畏敬の念を子供の心に叩き込んでおかなければいけません。幼児の時に行う躾はそれに尽きると思います。
 子供は這い這いをし出すころから自我が芽生えて、自分の希望通りにさせろと直ぐに泣いて主張してきます。幼児は鳴き声を出せば、親が欲求に応じてくれることが分かっていますので、泣いている真似をして欲求をして来るのです。幼児の鳴き声は泣いているのではなく欲求の言葉です。
 そういう状態が3歳近くまで続きます。その期間に子供の泣く声に惑わされずに、泣いていても放置をしておいて、親の都合で生活が進めて行けるかどうかによって、子供の性格育成に大きく影響しますので、3歳までに出来上がると言われているのです。
 甘やかすよりも厳しく接する方が可愛い存在ですから親は難しいです。でも本当に可愛ければ「かわいい子には旅をさせ」「愛の鞭」の格言通りに難しい方を、選択しなければ自主性や持続性や我慢、辛抱のできない子供になるのです。

2013年2月24日日曜日

子供をどう育てるのが理想か

子供をどういう子に育てるか。
一般的には健康で賢くて、心の優しい子になってくれればと考えている人が多いようです。
子供は親に倣って育っていきますので、その点については親がそういう人であれば、子供も必ずその様に育ちます。
但し、大人はずる賢くて、社交的には思いやりのある人の様に振舞いながら実のところはそんなに暖かい人ではないという人がいます。そういうのは子供はキチット見分けますので論外です。
 賢くて優しい子にというような漠然としたものではなく、現実にはどう育つかははわかりませんが、目標はもっと具体的であるべきだと思います。
 昔から子供は社会の預かりものという格言があるように、少しで早く自立できる子供に育ててたあげる。それが親の目標と責任ではないかと私は思います。
 最近は親に経済力があるものですから、何時までも子供を構い面倒を見過ぎて、子供の自主性を削いでしまっている親が少なくありません。
そういう親は自身の人生において目標がなく、何時までを子供を生き甲斐の上位に据えているからです。
子供の育児は親の都合で考えるのではなく、子供自身に充実した人生を送らせてやるという観点から考えるべきです。
 親に依存していれば子供は経済的には苦労が少ないので楽です。だから子供も何時までも親頼みの子供が増えています。そういう生き方では子供の人生の充実は叶いません。
 人生は喜怒哀楽の繰り返しで、大きな喜怒哀楽を自身で経験してこそ人生の理解度を高め充実につながっていきます。子供の人生の充実を最優先に考えれば、少しでも早く自立できるように育てることが親の責務ではないでしょうか。

2013年2月23日土曜日

適当に不潔がよい

5~6ケ月もすると誰に抱かれても笑っていますので、お母さんだけは別として視覚による判別がまだ出来ていないようです。
ハイハイが出来るようになりますと、人見知りもするようになり、好奇心が旺盛になって、色彩、形状等は判別はできませんので、手にした物は全て口に入れてしまいます。
子供は目が見えない時からお母さんのお乳を飲んでいますので、一番先に発達しているのは触角と食覚で、手にしたものは先ず口に入れてしまうのではないでしょうか。
 次女の娘一歳半を連れて鳩に餌をやりにいきました。鳩を孫の近くに呼び寄せるために孫の足元にも餌を撒きました。そうすると孫は鳩を追いながら撒いた豆を拾って食べています。それを見ていた娘は笑って見ているだけです。
大抵は汚いからと叱って止めさせると思うですが、それをしません。
お母さんの中には可愛いが故に万全を期して清潔にと食べ物を与えていますが、どんなに清潔にしても目を離せば必ず何かを口に入れているのですから、神経質になっても無意味だと感じてしまいます。
子供は様々な物を口に入れて免疫力を高めているのではないでしょうか。
いたずらに清潔に固執しすぎると、そういうお母さんの性格が子供に伝播して、子供も神経質な子供になってしまいますので、おおらかにそして適当に不潔が免疫力を高めて子供のためにはよいのです。
乞食は拾い食いをしても病気にならないことがなによりの証明です。

2013年2月22日金曜日

幼児教育

幼児虐待という言葉で騒がれていますが、そういう虐待騒動は目立つ
だけであって数はごく少数でしょう。
一般的には目の中に入れても痛くないという言葉の如く、自分の子供は
可愛くてしかたがなというのが実態ではないでしょうか。
愛しい存在ですから賢くて、健康で、思い遣りのある子供に育ってほし
いと親は一様に念じています。
 その健康という点に於いては、子供は物凄い運動量です。それが証拠に
一歳くらいの幼児の腹筋や背筋は物凄くつよいので、そんなに神経質に
ならなくても適当にバランスのよいカロリーを摂取していれば、特別な
疾患がないかぎり心配はないでしょう。
 その他の点に付いては、太古の昔から親は子供達を慈しんで育ててきて
はいますが、どのように育てれば、子供はこう育つという明確なデータ
はありません。
ただ長い歴史の中で判然としている確かなデータがあります。
それは「子供は親の尺度しか育たない」「子供は親の鏡」と言われてい
ることです。
子供は親に倣って育ってきます。子供は自分の親がどういう親かよくわ
かっています。これは確かです。それが明確であるならば親自身が感謝
する心、思い遣りの心をキチット形に表現して、見習わせて育児をして
いくことが大切です。子供に対しては上から目線で立派なことを言って
いるけれど、親自身はチャランポランという人をよく見かけます。
 昔から日本では礼を最も大切にしてきました。それは人が生きて行く上
で人間関係を円滑にすることが最も大切だかです。礼の根本精神は恭敬
愛です。
作法はその礼の一環で、その精神も同じですから、そういう日本の良い
伝統を親自身が大切にする生活習慣が根付くことが、子供の情操育成に
大切だと思います。

2013年2月21日木曜日

育児と母親

子供がいますが、子供が幼い時はサラリーマンで撮影所に行って忙しく働いてましたので、育児の姿を直接見るということがすくなかったために、育児の大変さが理解できていませんでした。
最近になって娘たちの育児を身近で見るようになって、育児の大変さがよくわかるようになりました。
男は主婦業を軽視し、「そんなものぐらい誰でもできるわ」と主婦業を蔑んで見ている人も少なくありません。男も専業主夫にでもなればできるのでしょうが、通常は男ではとうてい育児はできません。
仕事に行っている方が楽です。
男の中には「俺が働いているからお前たちは生活できている」と自分の存在の大きさを主張したがる人もいます。確かに夫の働きによって生活がなりたっていますので、そういわれれば妻は我慢し耐えていますが、そういう姿勢を見せつけられると、そこからは打算と妥協の夫婦生活が混在してきます。
女性はずーと耐えて自分のことよりも子供のこと、夫のこと、家庭を守ることを優先させて人生を送っています。そして大変な出産を乗り越えていますので、女性は男よりも精神的には数段強いです。
男は別れても後を引きますが。女性は後を引きません。

2013年2月20日水曜日

孫「百奏」(ももか)満一歳の誕生日

三女の娘、通称「もも」の一歳の誕生日です。
「おめでとうもも」無事一歳の誕生日を迎えることが出来ました。
ささやかですが誕生日ケーキとそして日本では目出度い時の定番の鯛、赤飯、ちらし寿司にみんなで頂く串カツを祝い膳に添えました。
 見た目は和洋折衷の食膳でアンバランスですが私と妻とでつくりました。
医学が進歩していますがまだまだ赤児、幼児の死亡率は高いので無事元気に育ってくれることを祈るばかりです。

2013年2月19日火曜日

熊野詣で


熊野の神様が鎮座されている熊野三山には、熊野山所権現といわれる以下の主祭神が祀られています。
熊野詣での目的地は
・熊野本宮大社 ・熊野速玉大社 ・熊野那智大社
そして西国三十三か所の一番札所の青岸渡寺への3社1寺です。
熊野三山の主祭神は次の通りです。
・結神(那智 新宮) 熊野夫須美(ふすみ)大神=いざなみのみこと
 本地仏は現世利益を授ける「千手観音菩薩」です
・速玉神(新宮)=熊野速玉 大神=いざなぎのみこと
 本地仏は苦しみ、病気を癒す「薬師如来」 過去世の救済
・証誠殿 本宮=家都美御子(けつみみこ)大神=すさのおのみこと
 本地仏は来世浄土へ導く「阿弥陀如来」です
 
 
 この度熊野詣でをして強く印象に残ったことは、各神社の境内は綺麗に復興していますが、道中の河川 には大きな石が重なり合い、昨年の台風の爪痕がまだ強く残っていることでした。

2013年2月18日月曜日

山田洋次監督作品「東京家族」

2012年5月の東京を舞台に、橋爪と吉行演じる老夫婦が、成長した子どもと会うため瀬戸内海の小島から上京する姿を通して、家族の絆や老い・死についてメッセージを投げかける作品です。
 家族とは居住を共にすることによってひとつのまとまりを形成した親族集団のこと、あるいは産み、産まれるというかかわりの中から生じた親と子という絆、そうしたものによって繋がっている血縁集団を基礎とした小規模な共同体が家族であると定義されています。
 世の中には家族と言われるつながりのある人はほんの少数しか存在しません。
その少数共同体が一つとなって励まし合い、支え合える状態が作れればその家は繁栄するでしょうし、また心豊かに暮らせる確率は高くなるのですが、現在はその家族が崩壊しています。
 子供たちが独立して核を形成すれば、その核を維持し繁栄させることに忙殺され、それまでに自分を育んでくれた家族のことは気にしながらも実質的には何もして上げれない。それが特に都会に住んでいる家族の形態です。気にする気持ちがあるとすれば良い方で全く気にかけていない人も少なくありません。
 折角親が田舎から来ているのにたらい回しの状態で満足に接待もしてやれない。自分の核には嫁や婿や子供という存在があり、自分の親に対してもその人たちの気持ちを優先して気遣いをしなければいけない。
 親は東京で友達と会って。酒をくみ交わしながら「どげかしなければいけない」と盛んに叫ぶシーンがあります。これでいいのかという山田洋次監督のメッセージでしょう。
 お金に振り回される生活から脱しなければ心豊かに暮らせませんが、人間には欲がありますので、それは無理でしょうね。
欲を募らせながら、その欲に押し潰されて、精神的に貧弱になって
いるのが都会人の生活ですね。


2013年2月17日日曜日

熊野本宮神社参詣

熊野本宮大社にお参りに行ってきました。
行かれた方も多いと思いますが、鳥居の左わきに素敵な茶店があったのですが、今は仮設の店になっていました。
ひょうとして昨年の台風で流されてしまったのかと思い、ご主人にお聞きしますと詳しく説明してくれました。
 昨年の台風で最初は屋根の高さにまで水がきていたのですが、ダムが放水をしたために完全に家が没してしまって流されたと説明してくださいました。
以前に何回か来ていますが、来る度にお茶を頂いていた素敵な店でしたので改めて台風の脅威を感じました。
一日も早い復興をお祈りしています。少しでも協力をということで御饅頭を買ってきました。

2013年2月5日火曜日

体罰と自殺

淡路黒岩水仙郷
 
 教育委員会および先生方は人の命の尊厳をどう考えているのでしょうか。生徒が自殺した。それに付いて教育委員会から反省の弁も、これからの改善策も示されない。そして体育科の入試が廃止となると、体育科を目指していた受験者、そしてその父兄や在校生からも理不尽だと橋下さんを批判する声が出てくる。個人という立場からすれば、そういう気持ちになることは分からないでもないのですが、生徒が自殺しているのです。もしそれが自分の子供であったとすればどうするのです。恐らく教育員会、学校、先生方に対して狂って雄叫びを挙げるでしょう。
こういう事件が起こった時は対岸の火事ではなく、個々の身に降りかかったこととして、教育の場の抜本的改革、改善を一丸となって推し進めるように働きかけなければいけないのではないでしょうか。
 橋下さんは教育の場に直接関わることができないので、このままの体制なら予算を出さない伝家の宝刀を抜いて立ち向かわれました。
あの言葉を聞いた時から、言葉は適切でないかもしれませんが、あれが橋下さんの独特の喧嘩の仕方で、改革をするにはあれしかないわなぁーとおもっていました。
 入試まじかに迫っている子供たちには確かにかわいそうですが、これから永遠と続く教育の場の改革が先決というのは支持できますね。長い目で見ればそうしなければ子供たちがかわいそうでしょう。
 先日別府大分マラソンがあり、市民ランナーの川内さんが優勝しました。あの事例がスポーツを目指している人達の大きな教訓になるのではないでしょうか。指導者、学校云々というよりも、何があっても負けない個々の不屈の精神と努力があればどうにかなるということです。

2013年2月4日月曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編最終回

知り合ったママのことに付いてはパートナーに相談するようなことでもなく、またパートナーは家庭があって主人もおりますので、最終的には私の行為を容認してくれるのではないかという考えもありましたので独断で進めていました。
 学院を割るか、知り合ったママと別れるかという選択を迫られたのですが、ママは既に離婚もして私の所にきていますので、適当に遊びで付き合いというようなこともできません。
学院はパートナーがいれば立派にやっていけるでしょう。だけどもママの方は私がいなければいけない状態ですから私は学院から退きました。
 苦労をして学院を育てて何とかやっていけるようになって、これから益々発展できるのではないかという時期でした。ですから学院に対しては愛着も夢もあり、生徒に対する責任感や使命感は大いに持っていたのです。
私が長年独り住まいをしていましたので、そういう人が出来ても仕方がないねと容認してくれればやれたのですが、パートナーがそれはできないと言えば彼女の意向に沿った解決をしていかなければ生徒の皆様に迷惑がかかります。
そこまで考えているのなら、そういうことはしなければいいのに。それをしてしまったということは学院や生徒に対する裏切り行為であるとの批判は甘んじて受けなければ仕方がありません。
そういうことで私は無職になり年金生活を今は送っています。

2013年2月3日日曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No63

淡路黒岩水仙郷


 私共の学院では、派手に宣伝もできませんので入ってくる人は少ないのですが、在籍している人は、「そんなに長い期間なにを習うことがあるの」と人から不審に思われるくらいに長年に渡って在籍してくれている人がほとんどです。
お稽古事は家元制度を採用していますので、私共の組織から出て他に行けば立場的には初心者扱いになってしまいます。
それでは長年に渡って学院を支えてくれた生徒までも裏切ることになりますので学院を割ることはできません。割れば私にも何人かは付いてきてくれたかもしれません。それをするにはパートナーも経営者であるというような余計なことを暴露しなければならなくなってしまいます。
 生徒は私が経営者で彼女は私のために懸命に尽くしてきている。そう思い込んでいるようですから、そういうことをばらせば彼女に対する同情が減少し彼女の立場が不利になります。それは彼女のためによくないし、彼女の立場が悪くなれば学院のためにも大きなマイナスになりますので、そこまでの争いは避けなければと思っていました。
 当然のことながら多少のいざこざがありましたが、彼女なら私がいなくても学院を旨く経営していってくれるだろう。私が興した学院ですから学院に対する未練は大きいです。またこれで無職になってしまいますので、先の生活を考えれば不安でしたが男らしく自分が退くことを選択しました。
辞めてから私が生徒を裏切って女に走ったように言っているようです。確かに長年苦楽を共にしてくれたパートナーを裏切ったことになります。
確かに私が悪いのですが、彼女には夫がいて家庭もあります。また自分の経営でもありますので、私に尽くしたというよりも自身の励みでもあったわけです。様々な点から争い方は色々あって、自分の興した学院を自ら退くこともなかったのですが、ただ生徒に迷惑は掛けたくなかった。その一心で退いたのです。
知り合いには「お前は阿保か」と言われました。確かに私は阿保ですね。

2013年2月2日土曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No62

淡路黒岩水仙郷

 あくる日にママに逢いました。好きだと言ってくれました。店に来た時から年上ですが感じのよい人だと慕っていたと言われました。
ママには旦那がおります。不倫になります。それは嫌だからと言いますと、夫の浮気が原因で自分の所では既に家庭内離婚のような形で寝室も別にしている状態ですから直ぐに離婚をするということです。
そしてあくる日には好きな人がいるから離婚をしたいと夫に告げたそうです。男がいると聞いて一発殴られたそうですがあっさり離婚をしてくれて私の家で泊まるようになりました。
 そういう生活が始まって直ぐに私に女性が出来たことは同志である仕事のパートナーに分かってしまいました。
パートナーとなって様々に苦労をしながら20年以上一緒に苦楽を共にして頑張ってくれた人です。共同経営者であり利益は折半してきていますので、自分の事業でもありますので考えによっては頑張るのは当たり前といえます。でもそれは屁理屈であって、私に好意を持っていてくれたからです。
二人で頑張って様々な面でよい方向に進んでいた時ですから怒ったのです。
彼女には夫がおり孫もできてよい家庭がありますので、私に彼女が出来たとしても許してくれるかもしれないと思っていたのですが、心情的には許せないということなのでしょう。
その彼女と別れるか。学院を割るかの選択を迫られました。

2013年2月1日金曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No61

淡路黒岩水仙郷

 行きつけの飲み屋に素敵なママがいました。
来る男性はあわよくばママを口説こうという人ばかりです。
水商売の人ですが、そんなに水商売人ぽくなくておとなしい感じの美人です。
歌を歌わせれば非常に上手なのですが歌い終わったときに必ず気恥ずかしそうにします。その顔付きを見ていますと奥ゆかしく控えめな感じで大変好感を感じていました。
私よりも20歳も年下ですから、私などは対象外ですからあまり話すこともなく、ただそっと眺めながら飲んでいました。
ある日客は私一人という時がありました。私は口説くつもりもありませんし、二人きりですと何を話してよいか分からず、気まずい気持ちになりますので早々に帰ろうと席を立ちました。そうするとママは紙きれを私に握らせました。
帰り道でそれを開いて見ますと、「あなたの夢を時々見ます」と書いてありました。
びっくりしました。これまでに言い寄るような素振りを私も示したことがないし、そんな素振りを受けたこともありませんので「嘘」と思いました。
暫く考えました。仕事のことを考えますと仕事のパートナーには主人がいて家庭もありますが、20年以上も夫婦以上に力を合わせてやってきて、心情的には私に好意を感じてくれていましたので、私に好きな人が出来たといえば怒るだろう。
 仕事のことを考えればこれでその店には行かないほうが良いと分かっていたのですが、20年以上も独りの生活が続いていましたので、家庭の温かさに私は飢えていたのです。
好きと言われた、その気持ちを受け入れれば仕事の方は駄目になってしまうかもしれない。
断わらなければいけないという理性は働いていたのですが、そう思いながらも「話がしたい」という電話を入れていました。