2014年10月23日木曜日

幸せさがし-88

 着付でもそうですね。
お稽古に行ってけれども着れないという人が大半です。着付ぐらいその気になれば、直ぐに出来るようになると甘く見ていたけど、お稽古を始めると意外と難しい。なかなか上手に着れるようにならない。
別に指導者になりたいわけでもないし、着付が出来なくても生活に何の支障もない。着付ける順序は分ったから、後は適当に家で練習すれば出来るだろう。そう思ってなんとか着れるようになった初歩の段階で辞めてしまからです。
着付ぐらいと思っている人はおおいのですが、そもそも着付学院、教室が存在し事業として成り立っているということは、着付はそんなに簡単ではないということの証です。美容院で着付けて貰えばヘアーセット代よりも、着付料の方が高いのです。美容院は美容液代や電気代という経費分よりも大半は技術料です。その技術取得が難しいからセット代よりも着付料の方が高いのです。
そういう理屈が分れば、着付ぐらいという安易な考えは持てない筈で、最初からもっと気合を入れてお稽古に臨み、結果はもっと異なった成果になっていたのではと思います。
そして大事なことは着付も教養の一つであるということです。人が生きて行く上でお金はままならない。
男女愛も曖昧である。子供は必ず巣立って行く。自身にとって一番確かに人生の歩みを助けてくれるものは教養です。教養が豊かであれば様々な場面で楽しみを増幅させてくれます。教養というものはそんなに大切な働きをしてくれるものだという理解があれば、ゆとりがあって始めようと考えて実行に移したお稽古ですから、確かな無形の財産として身に着くまでは続けようという気持ちになっていたでしょう。そういう理解がなかったから間単に辞めてしまうのです。
技芸は頭で覚えるものでなく、お茶の作法の如く、考えることなく自然に手馴れ手慣れで進めて行けるようにならなければいけません。そういう事の認識不足もお稽古に行ったけれども着れないということの一因になっています。

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