2014年10月15日水曜日

幸せさがし-82



 お稽古事の場合は、皆さん強い個性を持った人の集まりです。
口では先生と言っていても、腹の中では侮りの気持ちでいる人も少なくありません。
募集をかけて来てくださいとお願いはしますが、行くか否かの最後の結論を出すのは当人です。自己責任で自分のためにお稽古に来るのですが、先生に対して従順に従う気持ちを持っていない人も少なくありません。
お稽古事の先生というのは、長年の経験で培ってきた技能を切り売りするわけです。培って得た細かいコツやテクニックというものは宝物です。
その宝物を自分で手に入れるには何年かかるかわかりません。それを惜しげもなく見せて、手とり足とりで指導してくれるのですから、教えられるものにとっては有り難いことであり、感謝に値することです。
でもそういう理解はなく、お金を出しているのだから、どう取り組んでも自由だと考えている人も少なくありません。
そんな考えの人は何に取り組んでも、絶対に上手という域に達することはありません。何故か、自我が強くて教えて頂いている先生の物真似が真面目に出来ないからです。
駄目な指導者は、生徒がそういう人であることが分っていても、注意することが出来ません。それは嫌われたくない、あの先生は良い先生だと言われたいという気持ちが強いからです。
注意するどころか逆に生徒に媚びてしまう指導者がいます。最低の指導者です。
そんな人は指導者には向いていませんので直ぐに辞めるべきです。
お稽古事の世界だけでなく普通の学校でもそんな先生がいるのではないでしょうか。
私たちは直接生徒からお金を頂いています。普通の学校の先生も給料を貰っています。
お金を頂いて指導する限りは、なんとしても出来るようにしてあげたい。そういう情熱の持てない人は先生をやめて他で稼ぐべきです。教えることは戦いです。戦う気持ちの持てない人は指導者には不向きです。愛情の解釈を間違っている人が多いのです。
お金は大切です。そのお金の重みを感じ取って指導すべきです。生徒募集の看板を掲げるか否かは関係ありません。

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