2014年10月5日日曜日

幸せさがし-73

農耕主体の社会から今は変わりましたが、自然の恵みがあるから人は生きて行ける。その原理原則はなにも変わっていないのです。だからこそ未だにお正月には多くの人が初詣に行き、お食い初め、宮参りから始まる通過儀礼を大切にしています。
日本の年中行事や通過儀礼のほとんどが神仏に関わる祭事です。そこに臨む場合は、最大の謝意を表すために、昔から潔斎をして晴れ着を着用するのが習わしです。
時代は変わっても生きて行く原理原則は不変で、一番感謝の意を捧げなければいけないのは神仏です。
神仏はお願いをしても叶えてくれません。それでも時折には神仏詣でをしなければと思う心が、心の豊かさにつながります。
人は社会の中で共生しています。安全で安心して生活をするには、人間関係を円滑にすることが必要です。法律は最低限度のルールであり、それだけでは暮らしやすい社会が出来ませんので礼儀作法というものがあり、その一環として衣服があります。
神社仏閣に行けば禊場が設けてあり、礼拝する前に手を洗い、口を注ぎます。それは潔斎の一環で、昔は沐浴をして、衣服も最上の服を着ました。
礼拝するときは、どこから来ました誰々ですと明確に告げなければ通じないといわれています。
それは人間関係においても同じです。人間関係を良くするには、儀礼の場に招かれれば「私も共に祝福していますよ」ということを表現しなければいけませ。その表現は言葉だけでなく、衣服も盛装をして一見して相手に分かるように伝えることは重要なのです。
感謝の意を告げるために衣服は重要な役割をしています。誰も見ていなくても、自分の心の在り方の問題です。自分の心、家族の心を大切に思うのであれば、初詣の時などは邪魔くさがらないで晴れ着を着て頂きたいとおもいます。
神仏はお願いをしても叶えてくれませんので、普段着で行っても同じでしょうと言う人がいます。
そんなことはありません。神仏の偉大さに感謝して、気持ちも衣服も改めて礼拝をすれば、普段着で行くよりも数倍良い気分になれます。
良い気分になって「よし、明日から怠けよう。悪いことしよう」という人はいません、良い気分になれば「よし、また明日から頑張るぞ」という善なる気持ちが喚起します。その気になって明日から頑張れば生活向上につながります。それが神仏詣でのご利益だと私はおもっています。

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