2014年10月16日木曜日

幸せさがし-83

随分以前の話ですが、森繁久彌の奥さんが、お手伝いさんが来た時は、猫を被ってもらいますと話されているのを聞いたことがあります。
既に出来上がっている性格を簡単に変えることはできません。だけど従順でなければ使う方はこまります。性格まで直せといっても無理なことは分っていますので、家に来てくれている間は自我を押さえて猫を被って従順なそぶりをしておいて欲しいということです。
これは大変薀蓄のある言葉です。学校でも、お稽古場でも同じです。この先生は怖い。自分の信条を貫いてひるまず突進してくる。それが分っているとそれに逆らえば、逆らった本人が恥を掻き、値打ちを下げてしまうことになりますので、そういう人に対しては、心では相手を蔑んでいても表面に出さないで猫をかぶります。猫を被っていると、自分は不本意でも周囲が先生の指示通りに動いていれば、自分も猫を被って一生懸命に頑張っている振りをします。
頭から逆らって動かないよりも、本人が不本意であっても、猫を被らせて動いてもらった方が少しでも前進します。
教室は様々な性格を持った人が集まる人間模様の坩堝です。その中で指示をして人を動かすには、相手に猫を被らせるだけの迫力がなければいけません。
それには、お金を頂戴していることの感謝と使命感、良くしてあげたいという愛情が根底になければできません。愛情の無い人は真の戦いはできません。
こういうことを述べますと、正にお稽古事や学校は道場です。人間の言動は先ず心があって、その心によって言動が発生しますので、心を錬磨することは非常に大切です。お稽古事は技能を指導し、技能を通して心の面を考えてもらう場です。
心の面を重視しなければいけない道場で、着物を着るのに余計なお金を使わなくても、上手に出来るようになることが分っている。
また道具を使ったからといって、早くできるようにならないことも分っている。それなのに新装小物をセットで販売するシステムは、道場ではそぐわないと思いましたので、昔ながらの小物を使った指導をおこなっていました。お金儲けの下手な経営者でした。

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