2014年10月4日土曜日

幸せさがし-72

人間の生きて行く目的は自己の人生の充実ですが、その充実は物質的な豊かさのことではありません。
衣食足りて礼節を知るで、物質的に豊かであることは生活にゆとりをもたせ、それが心のゆとりにつながることは確かです。そういう意味ではお金は大切です。お金の大切さは十分に承知していますが、でも幸せ感は哲学的には心で決まるものですから、最も重要なものは心の在り方です。
その心の充実にとって大切なことは、感謝できる心のゆとりです。
何に対して最も感謝をすべきかを考えました。
父母のことが真っ先に思い浮かぶと思います。最近は父母に対して感謝や敬愛の念を抱かない子供が増えてきており、子供は自分達の勝手な思惑や計算で親に接しますが、親は計算なく子供を慈しんでくれます。親に対しては感謝の念で一杯ですが、その親も、またその親達も大自然の恵みが無ければ生きて来れなかったことは確かです。様々な宗教が存在していますが、多くは自然崇拝が源であると言われています。
第一次産業が経済の主をなしていた時代では、大自然の恵みに感謝して自然の神々を第一に崇拝してきました。人間はある時期から団を組み、社会というものを構築して共生する様になりました。
その社会を安全で安心して生活して行くには精神的支柱が必要です。その精神的支柱として、国を挙げて神々を崇め、仏を崇めて来ました。支配者は挙って社殿を設け、潔斎をして、最上の衣服(礼服。礼装)を身に着けて、純粋に神々のお加護を祈祷しました。この祈りは、自然が猛威を振るえば人間なんかひとたまりもない脅威となりますので、穏やかで良い天候に恵まれるようにという祈りであり、秋には恵みに対する感謝の祈りをしました。祈りは努力以上の収穫が欲しいという欲望の祈りではなく、努力して頑張った分が損なわれないように、どうか天候が穏やかでありますようにという祈りです。
時代は変わりました。第一次産業はかすれてしまっています。でも大自然の恵みがあるから生きて行けることだけは何にも変わっていません。そういう意味では感謝の念は今も昔も、第一に神々に捧げなければいけないのですが、その感謝の気持ちは薄れてきています。

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