2014年10月6日月曜日

幸せさがし-74

私は19歳の時に一度死にかけています。私の母も生きていた時に私に話していたことを私も経験をしました。意識がもうろうとしてきた中で、綺麗なお花畑があって、そのお花の中に何故か若くして亡くなった同僚が立って、私の方を見ています。母の場合は、おばあちゃんが立っていて呼んでいたということです。それを水上勉先生は臨死現象と表現されています。
生と死の境目にいて、仮死状態で向こうに行けばそのまま死んでしまう。こちらに戻れば生きてかえって来るという状態です。母はおばあちゃんに、「まだ子供が小さいのでそっちにはいけない」と、もうろうとした意識の中で、おばあちゃんに訴えたとよく聞かされていました。
そのことがあってから、死んでしまえば全てお終いで辛いことも経験できない。辛いことも生きている証です。生きていることの大切さを感じて、人生を充実したものにしたいとその時から強く念じていました。
全ての事柄は、ただ生きて行くためでなく、充実した生き方をするためのものなのです。
楽しむための遊びは幾らでもあります。でも遊びからは持続する心の潤いは得られない。
前向きになれば、持続して心の潤いに繋がる何かが必要です。その対象の最たるものは仕事であり、お稽古もその一つになりえるものなのです。
お茶。お花、日本舞踊などをお稽古している人は、お茶。お花。踊りは高尚で格式が高いが、それに比べて着付なんかと侮っている人を私は多く見て来ました。
でもそれらは全て業種的に言えばサービス業で、税申告をしなければいけないこと。また心の潤いや豊かさを得るための手段として存在しているという点においても全く同じなのです。
お稽古事は遊びと違って、技能習得には時間が掛かります。また、技能習得には少しの苦労や努力をいとわず、乗り越える情熱が必要です。
でも確実に技能を習得できれば、生活に幅が出来て、持続した心の潤いにつなげることができます。
そこがお稽古事のすばらしさでありますので、お稽古に来た限りは確りと出来るようになって頂きたいので、意識高揚につなげたいと様々な事柄をテーマに話しかけていました。

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