2014年10月3日金曜日

幸せさがし-71



 皆さんは上司の家にご挨拶に行く時に、普段着で行くでしょうか。
恐らく盛装をしていくと思います。初詣は上司の家を訪問する時と同じか、それよりも畏敬の念をもって参拝するのが昔からの習慣です。
上司への挨拶訪問は、自分を引き立てて貰えるためという現実的な思惑が絡んでいます。会社での立場は実生活にもろに関わってくることですから、良い印象を持ってもらえるように、言葉遣いや所作、そして服装まで気配りをして万全の態勢で訪問します。
ところが神仏詣では、どんな態度や服装で行っても咎められたり、悪い印象を持たれて後々まで自分が不利になるような実害はありませんので、最近では皆さん気ままな服装で参拝されます。
皆さんは考え違いをされているように思います。仕事での人間関係は、計算や思惑が働いて行動に繋がっていくのですが、果たして上司の家に訪問するのと、神仏詣でとはどちらが自分に大きなプラスとなるでしょうか。
上司が部下を大切に思うのは自分の立場を考えての計算や思惑からのものです。私の知っている人ですが、勢いのある上司に可愛がられて、上司の昇進と共に自分も引き立てられて管理職になれた人がいました。ところが上司が急死したために、上司のライバルの上役から睨まれていたために地方に左遷されたという実際の話が身近でありました。
社会に出れば競争と計算と思惑が渦巻く中で、その重圧に勝てるように頑張らなければいけないのが現実です。訪問される上司も、訪問をする部下も心に秘めた思惑で社交しているわけです。
そこに真実の感謝や思い遣りは存在しないとはいいませんが、恐らく計算と思惑の方が勝っているのが現実でしょう。
仕事には達成感という大きな喜楽が存在しますが、一般的にはそんなにドロドロした心境が渦巻く仕事場で安らぎの感じる心の潤いが得られるでしょうか。得られない立場の人が多いでしょう。
その点神仏詣ではどういうわけか、何の計算や思惑もなく素直な気持ちになれて、心が安らぎ、良い気分にさせてくれます。

0 件のコメント:

コメントを投稿