2013年10月1日火曜日

お稽古事の「修」「破」「離」

お稽古事の理想の進み方に千利休の言葉だと言われています「修」「破」「離」というのがあります。
 35年間お稽古事に携わった一人として大変貴重な言葉であることを実感しています。
 「修」は言葉の如く修行することです。どんな芸術も物真似からスタートしていますので修の段階では、物真似は重要な上達の手段です。
 今の人は昔と比較して、裕福になった恩恵を受けて、甘やされて育てられていますので、従順さに欠ける精神性が蔓延っています。
 ですから教えを乞いに来ているのに、素直に従えない人が多いのです。
自我が強ければ当然の事として、入ってくるものが閉ざされてしまい、その分上達は遅れます。
昔から教えられる人は、自分を真っ白にて、染まりやすい気持ちにならなければいけないといわれています。
修の段階では素直さが必要です。
 ところが巧みに洗脳して、お金を貢がせようとするところが、ありとあらゆる所に存在しますので、素直に聞き入れれるのは危険と感じていることもあります。
ですからそれを払拭するために、「お金を持ってこい」ということがない限りは、言われることを全て受け入れても得になるだけで、損失は生じないでしょう」とよく言いました。

0 件のコメント:

コメントを投稿