2014年9月21日日曜日

幸せさがし-61

これも経験がないので仕方がないことですが、着物が着れるようになるという点に付いても、確かな理解に欠けている人がほとんどです。
着付のみでなく様々な事柄に付いて、哲学的に思考することが重要ですから記します。
着れるようになる。その出来上がりは端的に言って下手、普通、上手、美しいとあります。
下手でも着れるようになったことにかわりはありません。お稽古に来ていて、指導を受けながら着付ていきます。そうしてなんとか着れるようになります。「よしこれで分かった、出来るようになった。後は家でお稽古すればよい」と考えて、その段階で辞めて行く方が沢山います。
家で懸命にお稽古をすればその判断は間違いではありません。でもそれだけの強い情熱と意思をもっておられるか。そこが問題です。
お稽古日は一週間に一度です。作成されたカリキュラムというものは、その日お稽古をしたことを、次週のお稽古日までに確りと復習して、その都度、確実に取得していただくと仮定しての期間です。
でも実態はお稽古に来たら、次のお稽古日まで触ったことがないという人が大半です。
着付が出来なくても生活に何の支障もないから、何としてでも出来るようにしなければという強い気持ちがないので、復習なんかしません。それが一般的なのです。
着付のお稽古に行ったことがある人は沢山います。だけども、やっぱり着れないという人が殆どです。それがそのことを実証しています。
着物を着る機会がないとよく耳にしますが、正しい言い方ではありません。きものにも寛ぎ着~普段着~街着~外出着~礼盛装とありますので、その気になれば何時でも着れます。着る機会がないのではなく着ないだけなのです。着なければ折角持っている着物が、箪笥の肥やしのままで終わってしまう。そう思うからお稽古に来られるのです。でも次のお稽古の日まで袖を通すことはないのです。
それが普通の人間であり、自分もその一人なのです。そんな人が何とか着れるようになった程度で辞めてしまえば直ぐに忘れて着れなくなるのは当然です。

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