2014年9月19日金曜日

幸せさがし-59

昔からお稽古事(技能)は「習うより慣れよ」と言います。全くその通りです。
技能がなければ何を使っても下手な者は下手、上手な人は何を使っても上手に着れます。
上手に出来るようにならなければ、楽に着て、着崩れの少ない着付も出来るようにはなりません。道具は何もしてくれめせん、それを使いこなす腕が有るか否かが重要なのです。
技能があれば道具を使わなくても素早く、綺麗に、楽に苦崩れの少ない着付はできます。
それが道理で、道理は一つです。
それが道理だと分っているから、道具を使っているきもの学院では、上のクラスにいけば腰紐の着付けも指導しています。
某きもの学院では入学金と初級科の三か月は入学金と月謝無料という所がありました。
例えば、私の学院では入学金3000円で、初級科の期間は6か月で月謝が4000円でした。初級科は着物の畳み方や、着物に付いての常識的なことを理解して頂き、街着、浴衣くらいは何とか自分で着れるようにすることが目的でした。3000円+24000円ですから、初級科で使う金額は合計で27000円です。
何故、その某きもの学院は入学金と月謝を無料にしたか。入学時に小物をセット販売しますので、入学金と月謝を無料にしても多くの人が来れば、私の所の27000円等とは比較にならないくらいに利益が上がるからです。それでないと駅前の一等地でテナントは借りれません。
そして3か月では着れないことは分っていますので、全ての人は上のクラスに進むだろう。上の月謝の高いクラスで人数が多数定着すれば、これも経営的にプラスになるという策なのです。
この策は、一般の人達の自信過剰と計算高いところを利用した旨い策です。
「3か月もあったら着れるようになるわぁー」、それだったら少々道具代が高くても差し引きそんなに損失ではないだろう。多くの人はそう考えて、その学院に殺到しました。
学院といえども事業ですから利益を上げなければ成り立ちません。
学院、学園と銘打っていても、利益優先に考えても間違いではありません。利益優先を考えたシステムにするか。それとも日本の伝統文化であるお稽古事として、道(技の道、心の道)を重んじた形態にするかという主催者の考え方の相違だけのことです。

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