2014年9月23日火曜日

幸せさがし-63

普通の出来栄えというのは、特別に無様な個所がなく無難に着れている着付のことです。
この程度の技能の人は着付をする時に、次はどうするかを考えて着付をしている人です。
手順を考えながら着付をしている人は、体で覚えていない人です。
前記しましたように、着付を習ったからと言って普段に着物を着る人はいません。
頭で覚えている状態ですから、お稽古に来なくなると直ぐに忘れてしまいます。
お稽古に行ったが、やはり着れないという人がほとんどなのですが、そういう人は頭で覚えているだけの段階で辞めている人です。
お稽古に来ている間は何とか着れていたのが、やめたら直ぐに忘れてしまうようでは、着れたことにはなりません。着れるようになるということは、辞めてからも忘れることなく着れることです。
何故そういう人が多いのか。これは指導する側にも責任があります。
大手の着物学院は、道具を使っています。出入りが多いほど道具が多数売れますので、カリキュラム通りに進めます。入学日を決めて集団でお稽古をして、一斉に卒業していくシステムになっています。
指導者になりたい人はアシスタントとしてお手伝いをして経験を積んで指導者になります。
指導者になりたいと思ってお稽古に来ている人は少数です。大方の人はカリキュラムをこなした段階で終了です。それでは着れても頭で覚えている程度で、体に染みついているところまでに至っていませんので、お稽古に行かなくなれば、直ぐに忘れて着れないことになります。
お稽古事は行ったことがあるというだけでは駄目なのです。行ったという事実よりも、出来るようになったか否かが重要なのです。
私の所では、きちっとカリキュラムと期間は設定します。しかし出来たか否かが重要ですから、カリキュラムを循環させて出来ていない人は、カリキュラムの内容を取得してもらうまでそのクラスでお稽古します。そしてそのクラスの最終日は内容を取得したか否かを判断する試験をして、次に進んでもらうようにしていました。その試験が嫌で辞めて行く人も多数いました。
試験というのは能力を測るというのではありません。真面目さ真剣さの測定です。真面目に前向きに取り組んでいれば、年齢、不器用に関係なく誰もが着れるようになります。その真面目さを促すための試験なのです。試験を嫌がる人は遊びの延長で着ている人です。

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