2014年8月1日金曜日

幸せさがし-27

人生論というものは、実際に自分が経験をして初めて「そうだ」と理解できるものですから、何が一番楽しいことなのかということの理解は難しいところがあります。
現実にきもの学院を運営している時に「お金を使って得られる様々な楽しみ以外に何かあるのですか。私には分らない」という人がいました。
 人間は生まれてくるときは親の都合で生まれて来ます。生まれても親の都合で育てられます。
そして自分の親はどういう親であろうと子供には選ぶことはできません。
大きな運命に人は左右されます。人は人権おいては平等ではありますが、環境面においては大変不平等です。武田信玄は早くに逝かなければ天下を取っていたかもしれないという説があるように、寿命も区々で不平等です。
人によっては様々に運命的な不平等を背負いますが、だけど、誰もが頑張り次第では永続性のある喜楽を得ることは出来ます。
世の中は現実には厳しい競争です。全部が偉くなれるわけではありませんが、永続性のある喜楽は得ることが出来るのです。
生き甲斐、遣り甲斐につながるものを有している人は心躍る喜楽が得られ、そういう人は遊びも愉しく、その遊びは次の創造、創作活動に弾みをつけます。ところが永続性のある喜楽を有していない人の遊びは、萎えた気持ちを元に戻すだけに留まります。癒しに終始するだけなのです。

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