2014年7月17日木曜日

幸せさがし-18

「親子は一世、夫婦は二世」と昔から言われています。
どちらかが倒れて面倒を見て貰わなければいけない状態になった時は、子どもにはそれぞれに家庭がありますので連れ合いしかいないのです。
人生で一番絆が強いのは夫婦ですから、何十年経っても甘え合い、労わり合い、心遣いの出来る仲であることが理想です。そうであればお金は食べて行くに困らないだけあれば、それだけで楽しく生活していくことがでます。
だけど、人間というものは自己顕示欲の強い動物です。長年の自己主張の応戦で何時からか、お互いが少し疎ましく感じるようになり、妥協と惰性の生活に陥っている夫婦が殆どです。
夫婦仲に妥協と惰性の生活がはじまりますと、家族愛によって喜楽を得ることは難しくなります。
女性は、その虚しさを子供の育成に方向転換させて、気持ちの張り合いを維持して行こうとします。
子供は自分の分身ですから可愛いですし、責任もあります。
子供は鎹(かすがい)と言われています。子供を鎹にして、夫婦仲を上手に修正して生活している夫婦もいますが、大抵は子供の世話でくたくたになって、夫婦間の歪を修正することを忘れて、子供の育成に没頭している母親が多いのです。
そうしますと、男は家では寛げない、癒される場ではないので、外に目が向くようになります。次第に帰宅が遅くなります。妻の方も子供の育児は結構重労働ですから、夫の帰宅が遅くなったりしても「亭主は留守で元気がよい」と言われているように、帰宅が遅くなったり、出張してくれている方が息抜きできて気楽という気持ちを持つようになっていきます。
こうなりますと既に家庭環境によって喜楽を得られる状態ではなくなっています。当然のことながら外に喜楽を求めます。外に目を向けると何をするのもお金が必要ですから、心よりお金という気持ちになってしまいます。

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