2013年3月1日金曜日

親は怖かった



私たちの時代には父親は怖かった。目上の人は怖かった。当然学校の先生も怖かった。
私は中学では就職組でしたが、就職組の者は悪餓鬼が多かった。私たちの時代でも学校で暴力問題を起こす悪がきがいた。そういう奴とも仲が良かったが、そういう奴は大人を怖がっていなかった。親も怖くなかったのかもしれない。親が怖い、先生が怖い、大人が怖いという事は、子供の躾のためには大切です。
 親から「食事の時は黙って食べろ。食事が終わるまでは立つな」と言われ親の「ご馳走様」という声を聴かなければ席は外せなかった。食事の時は何時も家族全員で親父の目が光っていたので、楽しく食事をしたという思い出がない。でも今になって、そういう風に厳格に育ててくれたことに感謝しています。あの怖さと厳格さがあったからこそ、我慢、辛抱、持続性や人の心の痛みがよくわかる人間になれたのだと思います。
 苛めが社会問題になっていますが、苛めをする者は恐らく惨めさや怖さを知らないからでしょう。惨めさを知っている者は人にやさしくなれます。怖さを知っている者は助け合おうとします。そういう心の欠落が苛めにつながるのでしょう。
 親はみな自分の子供だけは苦労のないようにと考えて、今は少子化の時代でそんなに裕福でなくても子供を大切に育てます。子供に惨めさや怖さを経験させていない親の溺愛が生じさせている現象でしょう。
今の子供は親や目上の人を怖いと思っているのでしょうか。
もし思っていなくて苛め問題をいくら論じても解決はしません。

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