2012年9月22日土曜日

教育者は人間性が欠落しているのでは

川西の高校の校長も滋賀県の中学校の校長と同じく、手前勝手な保身の立場ばかりで話をしています。自分たちが預かっている生徒が虐めで亡くなった。自分も一人の親として、遺族のことを考えれば、ひれ伏して頭を擦りつけて詫びても、それで償えるものではない。どうすれば良いか。許されものなら自分も死んでお詫びをしたい。そういう気持ちになるのが責任ある立場の人間の普通の振る舞いであると思います。そういう切実なる気持ちが会話からは微塵も感じられません。
長年人から敬われて頭を下げてもらってばかりいる先生方は、いつの間にか普通の人間の感覚が無くなってしまっているのかもしれませんね。人間は屈辱に耐えて、もっと頭を下げる勉強をしなければ磨かれません。総体的に公務員は横柄な人が多いのは、頭を下げる勉強ができていないからですね。人間性に欠落があるから、あんなに図太い応対になってしまうのです。 
 遊び盛りで希望が一杯、夢が一杯、親の愛を一杯受けている生徒らが、自ら命を絶つということは因果関係が立証出来なくても、虐めが明確になった段階で、虐めが原因であると断定していいのではないでしょうか。それを認めてしまえば責任追求される。そして多くの関係者に迷惑をかけてしまう。そんな身勝手なことばかりが先行しているようです。
 自分たちが預かっている尊い命が絶たれたのですから、まず自分たちの責任を自覚して事件究明を行い。遺族や関係各所に詫びて、そして事態が収拾すれば自ら責任を取って進退伺いをする。
そういう覚悟がない人は教師になって欲しくないですね。

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