2013年1月7日月曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No36


現在は日本女性といえども自分で着物が着れなくても恥ずかしいという時代ではありません。現在はきものの畳み方も知らない人が多いのです。
そんな時代ですから儀礼の時だけに着たいというのならプロに着せてもらえばいいのです。
そのほうが合理的です。こんな時代にわざわざ着付けのお稽古をするのであれば、積極的にきもののお洒落を楽しんでいただきたいのです。そしてお洒落の根本目的である心の潤いにつなげて頂きたいのです。
着物を着てよい気分に浸っていただくには、人様から「素敵な装いをしているなぁー」と褒めてもらえるような上手な着付けが出来なくてはそう気分は味わえません。
 お稽古をする限りは上手にできるようになるまで行う。そのためには素直な気持ちになって先生の物真似をする。自我を出さない。上手になるにはどんなものでも努力が必要である。上手という山に登るには苦労や我慢はつきもので、それを克服してやり通す。
技能が無ければどんな小物を使っても上手にはできない。教養は永続性のある楽しみになるので、自身の人生の充実のために頑張る。
そういうことを説いて努力をできる人に導いて行くのもお稽古を営む者の役割なのです。
 人様から先生とよばれるものに従事している人は、運営費捻出を優先して考えるよりも何が道理かを優先させて運営をしなければいけないというのが私の考えです。
そのような考えですから学院経営は、常にやって行けるか否かの境を彷徨っているという状態が続いていました。



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