2012年5月31日木曜日

人生は登り坂(No40)

日本の衣服は随、唐制の模倣から始まっています。
そして平安時代の藤原時代には唐制のアレンジではありますが、日本固有の服飾が誕生します。
それが男性は衣冠束帯であり、女性は唐衣裳(十二単)姿です。
服飾においてはそこが頂点で、武家の台頭によって簡略化が進み、下級の武家の服飾が武家社会では礼装となり、一般庶民の服飾の源をなしています。そして町人の経済力の台頭により町人の服飾に工夫が凝らされて現在に引き継がれています。
服飾は独り歩きするものではなく、必ず各時代の社会背景に大きく影響を受けて変遷していますので、服飾を語るには社会背景を理解しておかなければいけません。そういう服飾史を先ず勉強することが私のとっての優先課題です。
その勉強は私には大変困難を極めました。
例えば衣冠束帯の構成を列記しますと先ず小袖(こそで)、大口(おおくち)、垂纓冠(すいえ
いかん)、単(ひとえ)、衵(あこめ)、襪(しとうず)、下襲(したがさね)、半臂(はんぴ)、石帯(せきたい)、笏(しゃく)、剣と平緒(けんとひらお)、袍(ほう)、そして袍には脇が空いている闕腋(けってき)の袍と、脇の空いていない縫腋袍(ほうえきのほう)いうものがあります。
これらの漢字を読み込んでいかなければいけません。広辞苑では載っていませんので、一字一字詳細漢和中字典で引いて読んで書けるようにします。
そしてそれらがどういう形のもので、どういう役割の服で、どういう時に着るかを知らなければいけません。
苦労をしました。苦労でしたが学院を維持しやって行くには必須ですから必死でした。
ただ幸いだったのは、私はそのものがどういう形をしているかは、ある程度分かっていましたので
理解は早かった方だとおもいます。
私は学者ではありませんので、指導するにあたって、これで十分に責任が果たせるのではないかというところまで勉強しました。
その勉強を通して分かったことは、勉強というものはその気になって必死でやれば、独学でもどうにか形にはなるということです。
これで専門分野のことについては、技能と合わせて知識の方でも先生と呼ばれても面映ゆく感じることはないだろうというところまでには至りました。

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