2011年11月17日木曜日

小袖

A=唐衣裳 B=袿 C=小袖袴 D=はつき E=湯巻
 
 きもの、昔は小袖と呼ばれていたのですが、その小袖は貴族の間では当初は肌着として着用されていました。
十二単というのは俗称で正式には唐衣裳(からぎぬも)といい礼装でした。礼装ですから儀礼儀式用で普段は上図の袿姿(うちきすがた)で過ごしていました。上級者は必ず袴を穿いて衣(きぬ)をはおっていました。
政権が武家に移行すると公家の力が減退し、それに伴って衣服の簡略化が進みます。
室町時代になりますと、小袖袴(こそではかま)のように上に衣(きぬ)をはおらない形、また「はつき」と言って袴を穿かない姿、湯巻と言って小袖に裳(も=裙ひらみ)を付けただけの姿も女官たちの服装として認められるようになります。そうなりますと肌着として用いられてきた小袖は露出する部分が多くなります。
洋服のTシャツが肌着として用いられていた時は白色であったものが、表着として用いられるようになりますと色が付けられプリントものが大勢を占めるようになったのと同じで、小袖も白であったものに色や柄が付けられるようになります。
  時の支配者層は小袖を肌着として用いていましたが、庶民はずーと小袖を表着(うわぎ)として用いて来ました。安土桃山時代になりますと、その庶民の小袖と上級者の小袖が表着として着用するという点で合流をして、安土・桃山時代からは小袖中心の時代になります。
小袖中心の時代というのは貴賤を問わず普段は小袖で過ごすようになるということで,現在NHKの大河ドラマ  「江」はその小袖が衣服の中心になった時代のドラマで す。
ドラマ「江」では打掛姿が上級者の姿として出てきます。別名は「かいどり」ともいいます。
「はつき」というのは小袖に衣を羽織った姿ですが、その姿を真似て武家の女房達が小袖の上に小袖をかさねて礼装として採用しました。それが打掛です。

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