2014年1月6日月曜日

初詣は晴れ着でということの理由

最近初詣に晴れ着姿の人が少なくなってきた。晴れ着を着るべきであると先日書きました。何故そうあるべきなのか。それに付いて書きます。


 神事においては潔斎をして臨むことが大昔からの習わしです。
沐浴をして心身を清める。お詣りに行くと先ず手を洗い口をすすぎます。
これも潔斎の一環です。そして衣服は最上の衣服を着用する。これも潔斎の一環なのです。
礼服は格式においては最上の衣服であり、それは本来は神事用として用いられていました。人生には日本の文化の一環として様々な通過儀礼はあります。
その通過儀礼は神事にまつわるものですから、礼装やそれに準ずる準礼服を着用する習わしになっています。
 人が何故生きて行けてるか。それを哲学的に考えますと、まずは大自然の恵みによってです。世界の宗教は自然崇拝に端を発しているのは、それが真理だからです。
陽が輝き水がある、風が吹いて嵐もくる。それがあるから人は生きて行ける。
生きて行けることに先ずは感謝をする。感謝をすべき根本の先は神様である。
その感謝の気持ちを最大限に表現するのが潔斎であるのです。
 お金は何のために使うか。それはお金で心の潤いを買っているわけです。
最も大切なのはお金ではなく心の潤いです。
その大切な心の潤いを考えた時に、日本の文化や伝統を大切にする。例えば儀礼のときにはメリハリのある装いすることもその一つです。
礼服は恭敬愛の表現のひとつなのです。キチット表現をしなければ神仏にも伝わらないのです。

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